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街道てくてく旅

体力勝負の一人旅 No.097【街道てくてく旅編】

【11日目・2006年6月15日】

 私のてくてく旅も本当に今日が最後。岩本さんは明日の朝、京都三
条大橋にゴールするからだ。今日の岩本さんは大津宿を出発し三条大
橋の数キロ手前まで歩くらしい。

 夜行バスで京都駅に着いた。ちょうどその頃から雨が降り始める。
JRで大津駅へ移動。まだ7時前だ。
 かっぱを着るほどの雨になっていたため少し時間をつぶして出発す
る。この辺りは旧東海道の交差点ごとに案内板があるため迷わず旧東
海道に到達。中継地点である平野神社の案内まではなかったが、それ
ほど苦労せず7時20分に神社へ到着した。

 神社では早くも岩本さんたちが蹴鞠(けまり)をしている。ここは蹴
鞠の神がまつられた神社だ。本番前の練習かと思ったら、「近づかな
いでくれ、と言われた」とおじさんがぶつぶつ言っている。なんと今
日は生中継ではないため、今が本番の撮影中だったのだ。
 どうやら昨日も生中継ではなかったらしい。そう言われれば番組の
構成がいつもと違っていた。大津駅で時間をつぶして失敗した。

 蹴鞠を終えるとすべての撮影が終了したようで、集まったファンと
の交流時間。私がサインしてもらおうとしたのは、ベルマーレ平塚が
Jリーグ入りした1994年のベルマーレオフィシャルハンドブック。岩
本選手のページを開いて差し出すと、「これナラ(名良橋)とのインタ
ビューのヤツでしょ」と言って岩本さんはページをめくりだした。そ
のページを見つけファンに見せる。本当にこの人の記憶力には驚かさ
れた。
 次第に見物人が増えてきた。もちろん生放送のつもりで集まってき
た人たちだ。中には見覚えのある顔が、あの女性3人組みは確か大井
川で会った人だ。少し離れたところにいる1人の女性にも見覚えはある
が、どこで会ったか思い出せない。
「どこかでお会いしましたよね。」と声を掛けた。
「島田宿です」
 そうだ、私がてくてく旅を始めた日にNHKスタッフといっしょにな
って歩いていた女性だ。川崎の人だったと思う。
 亀山で会ったおじさんもいる。京都で待っているよと言ってくれた
おじさんだ。今日は全員集合だな。

 岩本さんはホテルへ引き上げこれから朝食。ここでお別れするファ
ンもいれば、今日のスタート地点へ移動するファンもいる。ファンの
平均年齢は高く、50歳過ぎの人も多かった。何人かのファンと話して
3つのファン層があることがわかった。1つ目はサッカーファン、2つ
目は東海道ファン、3つ目はテレビを通してあるいは一度会って人柄
に惚れ込んだ人たちだ。

 スタート地点の本陣跡がわからない。女性3人組みもうろうろして
る。情報交換するが知らない者どうしでは意味がない。私は大津駅に
ある観光案内所を尋ねることにした。
 観光案内所で説明を受けて本陣跡へ向かうと、そこにはもう女性3人
組みがいた。これで一安心。
 ひとり、またひとりと集まってくる。9時半を過ぎても岩本さんが
現れないが集まった人は10人弱。これだけいれば心強いと思う反面、
川崎の女性がいないのが気になる。
 10時近くになると亀山で会ったおじさん2人組みが「きっと先に行っ
たんだよ」と言い出し、出発していった。何人かも待ちきれなかった
のかおじさんについていき、残ったのは私と女性3人組みだけ。4人と
も不安だったが待つしかなかった。

 40歳代の男性がタクシーで乗りつけてきた。「岩本さんを待ってい
るんですか?」と私たちに尋ね、そうだと言うと安心した表情を浮か
べタクシー代を払った。
「京都駅からタクシー2台乗り継いで来たんですよ。運転手に本陣跡っ
て言っても分からなくてね。」
 そんなに安心されても困ってしまう。こっちも半信半疑なのだから。
 しかしその不安を払拭してくれる発言。「10時半ぐらいに来るって
聞いているけど。スタッフに食べてもらおうと思って小田原で駅弁を
買ってきたんだよ。」と左腕にぶら下げた袋を見せた。アジの押寿司
弁当が5個ぐらい入っている。どうやらNHK関係者らしい。
 10時半を過ぎても一向に現れる気配がない。彼は携帯電話で連絡を
取り始めた。彼を信じていいのかどうなのか、でも人柄はとてもよさ
そうだ。

 11時ぐらいになっただろうか、ようやく岩本さんを乗せた車が到着
する。その車のすぐ後ろにタクシーが着き、降りてきたのはなんと川
崎の女性。後で聞いたが、神社からタクシーで追いかけ、公園でサッ
カーをやったり回顧録の撮影を見学していたそうだ。公園でまたタク
シーを拾いここに来たのだ。すごいとしか言いようがない。

 1時間ほど歩くと岩本さんは料亭のような門構えの月心寺に入って
いった。スタッフから「撮影するので向こうのロケ車の先まで行って
ください」と言われ、150mほど先で待機した。
 撮影終了の連絡が入るまで、40~50分は雨の中を突っ立って待って
いただろうか。月心寺へ戻ると、デジタル一眼レフを首から下げたお
ばさんがいた。そう、赤坂宿辺りで岩本さんを築80年の自宅へ招いた
おばさんだった。私たちは再会を喜び大きな声を出していた。そこへ
NHKスタッフが口の前で人差し指を立ててこっちをにらむ。まだ撮影
中だったらしい。
 先に出発していたおじさんたち一行も合流したが、岩本さんたちは
ここでお昼休憩。私は近くのお寺で雨宿り。

 再スタートするころには雨足が強くなっていた。雨のためか岩本さ
んの足取りがやけに速い。ポンチョをかぶって雨をしのいでいるはず
だが、汗でポンチョの中はびっちょり。不快指数100だ。岩本さんが
ノンストップなので脱ぐこともできない。
 三条大橋まであと2Kmの地点で東海道をそれて左の山へ登っていっ
た。岩本さんはついてきた人たちに「ここは東海道ではありません。
今日はこの山を登って終わりです。」と説明する。皆「えっ」という
表情をするがここで脱落する人はいなかった。

 岩本さんは相変わらず速いペースで登っていく。時折走ったりする
ものだから追っかける人の列も長くなる。まるで自転車レースの山岳
ステージのようだ。競技しているかのように必死についていった。
 20分ほどで山頂に到着。そこにあるお寺が目的地のようだが、山門
から先へは関係者以外立ち入り禁止になってしまった。遅れて到着す
るファンたちへは私から説明する。

 20~30分待っても岩本さんが戻ってこないので、駅弁男性と女性3人
組みはタクシーを呼んで下山していった。女性3人組みは明日も追っ
かけをするので今日は充分らしい。
 一時は10人以上いた同行者も残ったのは私を含めて5人。もちろん
川崎の女性はいる。あとは鈴鹿から来た女性と関西の母娘だ。
 娘さんの方はさっきまでいなかったはずだと思ったら、母からの電
話を頼りにタクシーでここへ来たらしい。手には花束、靴は5cmぐら
いのヒール、仕事を終えて駆けつけたのだ。しかもこの場所を伝える
キーワードは『三条大橋が見える山』だけだったらしい。『東海道』
のキーワードを補ったとしても、よくここへ来れたものだ。

 どのくらい待っただろうか。岩本さんが戻ってきた。花束贈呈式が
行われ、一人ひとり握手する。本当にもうこれで終わりなんだ。
「来年は横浜FCでカズさんにセンターリングを上げてください」
 と言ったが、
「海外でてくてく旅をやっているかもね」
 とはぐらかされた。

 車で立ち去る直前、岩本さんが車から下りてきて私たちにポストカ
ードをプレゼントしてくれた。それは今回の旅のワンシーンだった。
私のは関宿を歩く岩本さんの姿。私の宝物になった。
 この1ヶ月ちょっとは日常とは違う時間を過ごせて幸せだった。テル、
ありがとう。

 川崎の女性が住職さんに「タクシーを呼びたいんですけど・・・」
と言ったが、住職さんは「20分は来ないよ。歩いて下山したほうが早
いよ。」という。私が
「下山してからタクシーを捕まえた方がいいですかね」
 と聞くと
「下の道に出ても捕まらないよ。京都駅に行きたいなら、この山道を
下れば円山公園に出るよ。その方が早いよ。まだ明るいから今のうち
に行けば大丈夫だよ。」
 と教えてくれた。その山道はちょっとしたハイキングコースのよう
で、もちろん未舗装路だ。
「男性が1人いるから大丈夫だろ」
 と住職さん。ヒールの娘さんが気になったが、「私は平気」と言う
ので山道に入っていった。

 一人旅とは違うプレッシャーだ。後ろを気にしながら先頭を行く。
一本道かと思っていたが別れ道だらけ。そして行き止まり。あちゃー
である。けもの道らしきものがいくつかあったので、みんなを待たせ
私ひとりであちこち行ってみるがどの道も行けそうにない。少し引き
返したところで円山公園の案内板。助かった。
 暗くなる前に円山公園に到着。ここで私の役目は終了。あとは京都
で働いていたという娘さんにバトンタッチして、地下鉄五条駅まで案
内してもらった。

本日の歩行距離 14~17Km

6月15日(木) 京都

おわり

体力勝負の一人旅 No.096【街道てくてく旅編】

【10日目・2006年6月5日】

 どんより曇った朝だった。7時25分、庄野宿に到着する。今日の中
継は庄野宿資料館からだ。この時間に来れば岩本さんと話ができると
思っていたが、すでにリハーサルの真っ最中だった。
 リハーサル後、歩いてくる岩本さんに「歩きだと追いつかないんで、
ずるして藤川から自転車で来ました。」と話し掛けた。岩本さんは「
チャリか、いいね」と答えてくれたが、時間がないようでそのままど
こかへ行ってしまった。

 生中継が終わると、路上は中継で使われた紙吹雪で覆われていた。
NHKスタッフ7~8人で片付けていたが、すぐに近隣の人や見物に来た
人たちも片付けに加わった。町の人たちの人間性を感じることができ
たし、一体感も感じた。自然と私も片付けの仲間に入っていた。

 生中継前には多少雨がぱらついたものの、岩本さんが出発するとき
には雲の少ない日焼けしそうな天気になっていた。岩本さんは顔にべ
ったり日焼け止めを塗り、「白くない?」とスタッフに聞いていたが
、あまりの色白にスタッフは多うけだった。

 自転車で付いていくにはペースが違いすぎて退屈なので、先回りし
て川俣神社で一休み。この辺りは他にも川俣神社がある。地元の人が
言うには、
「鈴鹿川と安楽川が合流する地点だからみんな川俣神社なのよ」

 安楽川を渡ったところに岩本さんへの応援ボードがあった。そのボ
ードには岩本さんとおじさんのツーショット写真も貼ってある。これ
を作ったのはそのおじさんで、東海道を日本橋に向かって歩いていた
ところ静岡で岩本さんに出会ったそうだ。
 おじさんは四国歩き遍路をした経験もあり、東海道の旅では1日
40Km歩いたそうだ。そんなおじさんからマメ防止の秘けつを聞いた。
女性用ストッキングを適当な長さに切って、それを履いてから普通の
靴下を履くこと、そして休憩中は靴を脱ぐこと、だそうだ。

 岩本さんの人気は高まる一方で、井田川駅前では応援メッセージの
垂れ幕を持った10人以上のおじいちゃんおばあちゃんに出迎えられ記
念撮影。まるで四国お遍路のお接待のように、道の傍らにあるベンチ
に呼ばれお茶のお接待を受けていた。
 その後も歩き出せばすぐに声を掛けられ、たくさんの人と握手して
いた。握手をし終えた1人のおばちゃんが50mぐらい戻ったところにあ
る自宅へ走って帰っていった。
 変だなぁと思っていたら、ダンボール箱を抱えて戻ってきた。そし
て「もう行っちゃった?」と聞かれたので、「行っちゃいましたよ」
と答えた。おばさんはさびしそうな顔をしてダンボール箱を開け、缶
のお茶を1本取り出し私にくれた。箱ごと冷蔵庫に入れていたようで良
く冷えている。冷たいお茶を岩本さんやスタッフの人たちに飲んでも
らおうと思って準備していたようだ。心にジーンときた。自転車で追
いかけ「おばさんがお茶をあげたいって言っているんだけど」と言い
たかったが、そんな勇気はなかった。とぼとぼと家へ帰るおばさんに
、何度も何度も手を振って、「ありがとう」と御礼を言った。

 和田一里塚跡に着いたところでちょうど12時。いつものようにお昼
を食べに移動するらしくワンボックスカーが止まっていた。スタッフ
から「1時間後に戻ってきて、ここから再出発します」と説明があっ
た。

 この時間を使って自転車を自宅へ送る手配をすることにした。今日
のゴール方面へ向かいながらヤマト運輸の取次ぎ所を探す。亀山宿に
入ると民家と商店が混ざった町並みになる。クロネコヤマトの看板を
クリーニング店で見つけたので中に入ってみた。
 田舎の店らしく、しばらくして奥のほうからおばさんが現れた。果
たしてサイクルヤマト便を理解してくれるだろうか。日本サイクリン
グ協会のタグを付ければ安く送れるサイクルヤマト便を説明したが、
案の定おばさんは分からない。ドライバーに電話し説明してくれるが
ドライバーも分からない。
 ヤマトの営業所まで行かなければだめかなと頭をよぎったが、おば
さんはあきらめずドライバーに説明してくれる。お客さんのためとい
うより、商売を抜きにした『人のため』の行動に思えて、またまたジ
ーンときた。すぐにドライバーが来てくれることになり、店の横で自
転車の分解作業に入った。
 分解作業中にヤマト運輸の車が到着。サイクルヤマト便のことを調
べてから来たようで、「扱ったことがなくて分からなかったけど、あ
なたの言うとおりでしたよ。」とおばさんに話していた。私が事務手
続きを済ませるとドライバーはお昼休憩に出かけた。
 分解作業を終えると、おばさんは「手を洗いますか?」と言って、
水道の場所へ案内してくれた。そこは立派な中庭で、通りから見えな
いのはもったいないぐらいだった。
 「これから出かけるけど、自転車は盗まれるといけないのでそっち
へ置いておいたら。」と中庭への通路を指差した。
 自転車を移動させながらおばさんに「もうすぐ岩本さんが来るんで
すよ。NHKで毎日放送しているあれです。」と言って応援することを促
した。そうこうしているうちにお向かいの家のおばさんが出てきて岩
本さんの話になった。お向かいの家の隣のおじさんが車で出かけよう
と外へ出てきたが、僕ら3人が話している姿が異様に見えたのか、お
じさんが寄ってきた。事情を知ったおじさんは出かけるのを遅らせて
岩本さんを待つことにした。そんな話しが隣から隣へと広まり、あっ
という間に10人近くが路上で待機。もちろんクリーニング店のおばさ
んもいる。

 待つこと1時間以上。そろそろ14時になる。人伝えに13時30分ごろ
ローソク工場に入ったらしいと聞く。亀山はローソク発祥の地らしい。
 小学生が集団下校してみんなの前を通っていく。おばさんたちは「
お帰りなさい」と声を掛ける。子供たちも元気に答えている。そして
おばさんどうしで「あの子はどこの子だっけ?」なんて話している。
このシーンからも町内の雰囲気が感じ取れる。きっとこの町では変な
犯罪はおきないだろう。

 14時30分になっても来ない。お向かいのおばさんは「ローソク工場
からだと15分もかからないから、引き止めちゃっているのかしら。」
と言う。
 私が暑い素振りを見せると、おばさんは「麦茶飲む?」と言って、
麦茶を持ってきてくれた。身も知らない私が岩本さんのことを言った
ばかりに、1時間以上もおばさんの時間を無駄にしたのにこんなに親切
にしてくれるなんて。
 そのおばさんの娘さんはもともと岩本さんが来ることを知っていて
、いつのまにか道端に出ていたが、おばさんから「あんた、もう行か
ないとだめでしょ。」と言われる。娘さんは看護婦さんでそろそろ出
勤時間らしい。「15時に出れば間に合うのよ」と答えていた。

 もう2時間近く同じ町風景を眺めながら井戸端会議に参加している
と、ここは旅先ではなく、子供のころに住んでいた町のような気がし
てきた。なんだか懐かしさを感じる。あそこに見える薬局も、あの道
も子供のころに見たような、そんな気がしてきた。そこを下校中の子
供たちが通っていく。
 なぜそう感じたのか分からないが、町の人たちが気軽に話をしてく
れて、打ち解ける雰囲気を作ってくれたのも要因かもしれない。

 14時50分、やっとNHKのワゴン車が見えてきた。「あれNHKの車です
よ。すぐそこまで来てますよ。」とおばさんたちに伝えた。しかしワ
ゴン車が2~300m先で止まってしまう。ワゴン車の屋根にカメラを乗
せ始めたので、「あそこで撮影するみたいですね」と私が言うと、家
を出たり入ったりして出かけられずにいたおじさんが「鳥居があるか
らね」と言う。
 ようやく岩本さんの姿が見えてきたが、沿道の人と握手などをして
なかなかこっちに来ない。お向かいのおばさんは娘さんに
「あんた、向こうまで行って来なよ。15時になっちゃうよ。」
「やだよ。はずかしくて。」と娘さん。
「そんなことないですよ。行ったほうがいいですよ。」と私。しかし
娘さんは覚悟してここで待つことにした様子だった。そんな娘さんに
「カメラがあったら岩本さんとの写真を撮ってあげますよ。気軽に応
じてくれるから大丈夫ですよ。」と言って、撮ってあげることにした。

 なんとか15時に岩本さんが来てくれた。お向かいのおばさんは開口
一番「ずっと待っていたのよ」。私は岩本さんに「写真を撮らせてく
ださい」と言って、恥ずかしがっている娘さんと岩本さんのツーショ
ットを撮ろうと思ったが、お向かいのおばさんもしっかり写される側
にまわっていた。
 撮り終えると、私に気付いた岩本さんが私を指差して「あっ、ベル
マーレ」と言う。私は微笑みで返したが、なんで私が住民たちと仲良
くしていたのか不思議に思ったことだろう。

 岩本さんが去った後、私もおばさんたちに別れを告げた。「また来
てね」と言ってくれる。岩本さんを出迎えた人たちの7割ぐらいが私
を見送ってくれる。直接話しをしなかったおばさんからは栄養ドリン
クをもらい、驚いた。
 私がただの旅先ではないと感じたように、みなさんも私のことをた
だの旅人ではないと感じてくれたのかもしれない。

 岩本さんは亀山宿の本陣跡近くの店で絵を書き始めてなかなか出て
こない。店先は追っかけや町の人、そしてNHK関係者でいっぱい。20
人以上はいるだろう。そんな人たちでの会話があり、「いつから追っ
かけているの」とか「明日はどうするの」とか、顔見知りになったNHK
関係者とも「ローソク工場で何してたの」などなど、仲間意識が芽生
えつつも旅の終わりが近いことも感じてきた。

 ロケが終わった岩本さんに、「今度こそ、これで最後です。ありが
とうございました。」と言ったが、岩本さんは軽く「またね」と笑顔
で返してくる。そう言われても、、、。
 同じ追っかけの人にも今日で最後だと別れを告げるが、京都で待っ
ているよと誘われた。暖かい気持ちのまま夕日がさす下り坂を小走り
で亀山駅へ向かった。


本日の走行距離 23Km
本日の歩行距離 約4Km

6月5日(月) 亀山

体力勝負の一人旅 No.095【街道てくてく旅編】

【9日目・2006年6月4日】

 えっ、何で?自分でも信じられないが、また岩本さんを追っかけて
いる自分がいる。ここまで来ると病気だ。前回はNHKの関係者に「働
いてないの?」と聞かれたが、なんとかクビにならずに会社員をして
いる。
 それで今は藤川駅にいる。岩本さんとお別れした藤川宿の最寄り駅
だ。岩本さんは先週の金曜日に約100Km先の庄野宿に着いているはず。
今回の旅は今日と明日の2日間なので歩きやジョギングではとても追
いつかない。ちょっとずるして自転車を持ち出した。これで追いかけ
るぞ。

 藤川駅には10時ちょっと前に着いたものの、自転車の組み立てに時
間がかかり出発は10時58分。太陽は出たり引っ込んだりだが暑い。水
分補給は重要だ。が、歩きと違ってなかなか自販機に巡り会えないな
んてことはないだろうから心配はない。

 自転車のペースで東海道をなぞるのはちょっと大変。ガイドマップ
のコピーを右手に持ちながらのサイクリング。岡崎の27曲がりは至難
の業。多少道を間違えて行ったり来たりしても自転車なら苦にならな
いが、完璧に東海道を通ることはできなかった。

 手術後、初の自転車旅行で不安はあったが快調に進み、次の宿場で
ある知立に到着。知立神社に立ち寄ると、白や紫の花しょうぶが咲き
乱れきれいだった。菖蒲園は観光客でいっぱい。入場料が無料だから
地元民のコミュニケーションの場にもなっているようだ。私ものんび
りしたかったがそんな時間はない。なにせ半日ちょっとで100Km走る
のだから。

 次の鳴海宿の手前に有松宿という間の宿がある。下り基調でスピー
ドにのったまま宿場の入り口に突っ込もうとすると、警備員に止めら
れた。絞り染め祭りの真っ最中だったのだ。宿内を歩行者専用道路に
して、絞り染めの作品を展示、販売している。
 楽しそうなので自転車を押して進み始めたのはよいが、進んでいく
うちに想像以上の人込みになりなかなか進めない。500mぐらい進んで
ギブアップ。迂回したが、あと500mは同じような人込みだったようだ。

 宮の渡し公園に到着。ところどころの説明板を読んでいたためにか
なりペースが遅い。14時30分を過ぎているのにまだ四十数キロしか来
ていない。観光はほどほどにして走り続けなくては。
 それが焦りにつながったのか、いきなり道に迷ってしまう。ガイド
マップの七里の渡しのページを見ていたが、それは渡し船が到着する
桑名の七里の渡しだった。宮から桑名までは東海道唯一の海路なので
ガイドマップに陸路が載っているはずがない。今度は普通の道路地図
を広げた。
 伊勢湾に沿った環状道路のように、海側から国道23号線、東海通、
国道1号線が走っている。当然、円の内側ほど距離が短いので、国道
23号線を目指して南下した。
 海からの向かい風に苦労しながらも国道23号線の合流地点までやっ
てきた。そこで見たものは、「歩行者・自転車通行禁止」の標識。さ
っきの苦労は何だったのか。
 無難なのは国道1号線まで戻ることだが、少しでも楽したかったの
で東海通を行くことにした。しかしその判断も間違っていたことにや
がて気付くことになる。木曽川、長良川、揖斐川を渡るためには国道
1号線を通らなければならないのだ。七里の渡しから木曽川までくね
くね曲がり、岡崎27曲がりを再現したようだった。

 揖斐川を渡り切ったところだっただろうか、『東海道』と書かれた
石柱があった。本来、桑名までは海路なのでここが東海道のはずがな
い。石柱の年号を見ると明治になっている。海路が東海道だったのは
江戸時代の話で明治時代は陸路だったということか。

 桑名を目指して川沿いを南下する。ここもそうだが宮の七里の渡し
以降、おおむね向かい風でスタミナロスが激しい。両足がすいすい回
らなくなってきた。朝は調子良いと思っていたが錯覚だったらしい。
東海道では観光しながらだったので不調に気付くほどがんばっていな
かったのだ。不調というより、手術前の体力にまだ戻っていないよう
だ。

 宮の渡し場から2時間半かかって桑名の渡し場に到着した。もう日
が傾き始めている。そろそろ17時だ。目的地までの距離を調べるのも
怖くてできないが、ちょっと前に四日市まで25Kmの標識を見た気がし
た。目的地はさらに先だ。あー、岩本さんのように舟に乗りたかった。

 一休みしてここから再び東海道だ。そしてまた道に迷う。歩いて来
たときには間違わなかったのにと思うと余計焦る。東海道が見つから
なかったのでもう東海道に執着するのはやめよう。そう思って広い道
に向かおうとしたら、東海道を見つけてしまった。国道をビュンビュ
ン走りたいがもうしばらく東海道にこだわろう。

 喉が渇き、おなかも空いてきた。水分、食料とも底をついていたが、
どうせ自転車を止めるなら両方とも購入できるコンビニかスーパーと
思い、腹ペコ状態になるまで走ってしまった。かなりヘロヘロな状態
で商店街のスーパーにたどり着いたときは18時を過ぎていた。
 腹ごしらえをして18時30分に出発する。商店街を抜けると交通量の
多い通りに出て、右側には近鉄四日市駅っぽいビルが見えた。すでに
四日市に来ていたようだ。「腹が減ってはいくさはできぬ」とは本当
だな。なにせ休憩前は自分の居場所も分からず必死にこいでいたのだ
から。

 四日市まで来ればもうこっちのもの、といっても残り距離は知らず、
感覚的に近いと思っただけ。こういうときは前向きにというか楽観的
に考えた方がいいのだ。ホテルには20時着と言ってあるから、それま
で走るつもりでいればいい。過去にはもっとつらい旅があった、今日
は楽な方だ。
 補食が効いたのか足が回るようになってきた。てくてくで放送され
た追分、岩本さんが珍しく走らなかった急坂などを通過し、まさに岩
本さんの軌跡を追うようで楽しく走れてきた。しかし石薬師寺を過ぎ
た辺りから暗さが増し、ガイドマップがみづらくなってきた。目的の
庄野宿まではあと2Kmぐらいだが、こう暗くては行ってもしようがな
いだろう。そろそろあきらめるか。
 あとは平田町駅近くのホテルを予約してあるのでそこへ向かうだけ
。利用したことのあるホテルなので場所探しに苦労することなく19時
49分に到着した。

本日の走行距離 110Km

6月4日(日) 鈴鹿

体力勝負の一人旅 No.094【街道てくてく旅編】

【8日目・2006年5月23日】

 岩本さんを追いかける旅は多分今日が最後。悔いのない一日にしよ
う。そう思っていたのに寝坊した。ホテルの目覚ましが壊れていたせ
いもあるが、事前に作動確認しなかったのがいけない。朝から反省。

 遅刻したため生放送前の空き時間に岩本さんと会話できなかったが、
8時30分ごろに中継地点に着いたのでスタートから同行できる。恒例の
サイン攻めの間、私は「よらまいかん」という無料休憩所で一休み。
宿場にちなんで茶屋風の建物になっている。
 中では係のおじさんが50歳過ぎのおばさんに宿場の裏話をしている
。おもしろそうなので一緒に聞かせてもらった。ガイドブックには書
かれていないが、代々言い伝えられてきた話をしてくれる。
 例えば、御油の女郎は強引に客を取ったが赤坂の女郎は声を掛けて
も通り過ぎていく人は相手にしなかった。当然、御油の女郎は客数が
多くつらくて逃げ出したくなる。そこで女郎のいる2階はろうや構造
になっていたとか。赤坂はそうなっていなかったらしい。
 昨日のてくてく旅の中で、御油と赤坂は小さい宿場と言っていたが
嘘だと言う。赤坂宿に九州の大名が来たとき2500人も泊めた記録が残
っているそうだ。そのときは近くの村から人手や茶碗を借りたりした
そうだ。遠くは三ヶ日からも来たという。三ヶ日はミカンで有名なと
こだが確か浜名湖の北だったと思った。このおじさんの家は旅籠をや
っていたのでたくさん記録が残っているそうだ。
 いっしょに聞いていたおばさんは300mmレンズを付けたデジタル一
眼レフを持っている。実はこのおばさん、ここらでは名の通った人物
の子孫だという。隣村の長沢に住んでおり、家は築80年。東海道沿い
なので岩本さんが来るのを待って写真を撮ると言っていた。

 9時23分、岩本さん出発。出発とほぼ同時に雨が降ってきた。予報
だと夕方前にはやむらしい。
 見物人の中に見覚えのある顔があった。昨日音羽町のパンフレット
をくれたおばあちゃんだ。今日は原付きバイクで途中まで追っかける
そうだ。
 このおばあちゃん、実はかなりのお話好きだった。岩本さんが撮影
中だったので、私はかなり離れて立ち止まっていた。そこへ原付きが
横付け。おしゃべりが始まった。最初は楽しかったが、岩本さんが歩
き始めたのに話を中断できない。しかたなくゆっくり歩き始めたが、
原付きは進んでは止まりを繰り返してなかなか解放してくれない。と
うとう岩本さんを見失ってしまった。
 おばあちゃんは原付きで先の方へ行って、「きっと向こうの城跡に
行ったのよ」と言う。私は冷たい口調で「違いますよ」と答えた。な
ぜなら岩本さんを追いかけている別の女性がおばあちゃんの手前にい
たからである。きっとその女性の近くの建物に入ったのだろう。
 案の定、そうだった。それ以降おばあちゃんの姿を見ることはなか
った。かわいそうなことをしてしまっただろうか。

 私には強い見方ができた。さっきの岩本さんを追いかける女性だ。
赤い傘に水色のレインコート、遠くからでもよく分かる。今日の追っ
かけは私とその女性の2人だけ。
 岩本さんは1Kmも歩かないうちにまたどこかの家へ入り込んでしま
った。門があって、庭があって、歴史を感じる家だった。玄関にいた
のはデジタル一眼レフを持っていたおばさん。これが築80年の家か。
やるな、おばさん。

 また少し進むとNHKの車が来て岩本さんが乗り込んだ。カメラマン
たちはおにぎりを食べている。どうやら昼食らしい。ここでじっとし
ていられなかったのでコンビニを求めて先へ進んだ。
 次第に雨が強くなってくる。赤い傘の女性の分も買って戻ろうと思
ったが、こう雨が強くては歩きながら食べることもできない。東海道
ガイドマップによればこの先にコンビニがあるはずだがなかなか現れ
ないぞ。そしていやなことを思い出した。前にここを通ったときの記
憶だ。確か、コンビニがつぶれてトラックの装飾販売店になっていた
ところではないだろうか。今更戻るわけにもいかずてくてく歩くとや
はりコンビニの建物のままの装飾販売店が見えた。やっちまったと思
ったが、幸いにも隣はドライブイン。そこで食事をしよう。
 中に入ると、食事を終えたお客さんから「岩本さんはどの辺り?」
と聞かれた。地元の人?と思ったが、連れの女性はてくてく旅の関係
者だった。彼女たちは岩本さんの旅を本にまとめるためにときどき同
行している。今日の朝もスタート前に会っていたのだ。

 20分ほどで食事を済ませ、急いで岩本さんと別れた場所へ逆行した
。途中ですれ違うと思ったが、20分歩いて別れた場所まで来てしまっ
た。そして岩本さんはいなかった。まさかドライブインにいるうちに
追い抜かれたのでは。だとすると1時間マイナス岩本さんの食事時間
だけロスしたことになる。Uターンして必死に追いかけた。

 前方で見覚えのある車が止まった。近づいて運転席をのぞき込むと、
昨日の地球博40回女性だった。
「岩本さんは?」
「かなり先へ行っていると思います。ごはん食べている間に見失っち
ゃって。」
「乗っていかない?」
「いえ、歩きます」
「いいじゃない」
「歩いて追いかけたいんです」
「あの人たち本当にずっと歩いているの?私歩いてないと思うわ。」
「ずっと歩いてますよ、絶対に。東海道を進めば会えますよ。」
 私が同乗しないので少し残念そうだった彼女は岩本さんを追って走
り出した。

 3年前に朱印してもらったと思われるお寺が見えた。門前の駐車場
や本堂へ上る石段の雰囲気からそう思ったが自信はない。縁起を読む
と家康が幼少のときに住んでいたと書かれている。これを読んでほぼ
間違えないと思ったが、本堂まで行って確認してみたい。
 しかし本堂は石段の上。ここで寄り道していては岩本さんに追いつ
けない。石段の手前でどうするか少しもじもじしていた。が、確認せ
ずにはいられない。
 石段を上ると正面に本堂、そして右の建物につながる回廊がある。
確か右の建物で朱印してもらったと思う。懐かしくなり右の建物に近
づくと、反射して中が見えにくくなっているガラス越しで誰かが手を
振っている。岩本さんだ。うれしくなってお辞儀したが、あの手の振
り方は撮影中だから来ないでとも思え、とりあえずその場を離れた。
 岩本さんにここで会えたのはラッキーだが、赤い傘の女性はどこへ
いったのだろうか。岩本さんが出てくるまで、近藤勇の首塚などを見
て時間をつぶしていたが、気付くと岩本さんたちは石段の下の駐車場
にいた。慌てて石段を降りるが、みな車に乗ってどこかへ行ってしま
った。
 一人残されたのは赤い傘の女性。今までいったいどこで待機してい
たのだろうか。まずは岩本さんの行方を尋ねると、食事に行って1時
間後に戻ってくると言う。数時間前に岩本さんが車に乗ったのは食事
のためでなかったのだろうか。女性によれば、テレビ番組に電話出演
するために車内から電話していたそうで、私の早とちりだった。
 次に彼女がどこにいたか尋ねた。なんとお寺まで旦那さんに車で来
てもらい、車内で待っていたという。ということは私がお寺に寄るか
どうか悩んでうろうろしていたのを目撃されていたのか。ちょっと恥
ずかしい。

 適当に時間をつぶして1時間後の15時にお寺に戻ると、岩本さんは到
着しておりカッパに着替えていた。やむはずの雨がさらに強くなって
いたのだ。NHKスタッフからは「予報と違うな」とつぶやきが聞こえた。
雨男の私は心の中で謝っていた。

 再出発すると少し雨が弱まったが冷えてきた。私はたびたびトイレ
に寄ることになり、そのつど岩本さんを見失ったが赤い傘のおかげで
離れ離れになることはなかった。
 16時過ぎに藤川宿の本陣跡に到着。ロケ終了後、岩本さんに声を掛
けた。
「今日が最後なんでもう会うことはないと思います。今までありがと
うございました。」
「そんなこと言うなよ。寂しいじゃん。」
 みたいな言葉を言ってくれた。思いがけない一言に驚き、正直いっ
て岩本さんの発した言葉をきちんと覚えていない。
 私は2つのことを伝えたかった。
「京都にゴールした後、東海道五十七次ってのがあるんで大阪まで歩
いてみてください。」
 と言うと、即座に
「俺はいかないよ」
 と返ってきた。もう1つ、サッカー選手として復活してほしいと伝
えたかったが、とうとうそれは言えなかった。

 私の街道てくてく旅はここ藤川宿で終わる。岩本さんとはサッカー
スタジアムで再会したい。できれば三ツ沢か平塚で。

 今回の旅では太らないことを意識していたが、結果は体重が200g減、
体脂肪率が3%減だった。今までと違うのは、甘いものを控える、アク
ティブダイエットを飲む、夕食は一人前にする、ことだった。この3つ
のどれが有効だったのか分からないが目的は達成できた。

本日の歩行距離 およそ14Km

5月23日(火) 藤川宿

体力勝負の一人旅 No.093【街道てくてく旅編】

【7日目・2006年5月22日】

 街道てくてく旅の中継地点は御油宿の松並木資料館。しかし私は勘
違いしていて松並木だと思っていた。松並木だと最寄り駅は御油駅か
名電赤坂駅。地図上は名電赤坂駅の方がわずかに近そうだが、駅員は
御油が最寄りだというので、最後まで迷ったが御油まで電車で行くこ
とにした。

 7時20分過ぎに御油駅到着。松並木までは15分ぐらいかかりそうな
ので急がなければ。まずは東海道へ出よう。足早に進んだが、東海道
へ出る前にテレビカメラを持った人が橋の上にいるのを発見。土手に
は人だかり。なにかやっているぞ。岩本さんがここにいるとは思えな
いが、関連しているかもしれない。寄ってみよう。
 近づくと橋の下に岩本さん発見。松並木からの中継ではなかったよ
うだ。駅員さんに感謝。

 いつものようにリハーサルを終えたあとファンに囲まれる。いやい
や、いつも以上に多くの人にサインをねだられている。本番まで15分
ぐらいだったろうか、スタッフが間に入ってファンを遠ざけた。
 岩本さんのお付きの人と思われる人が私に気づいて「お久しぶりで
す」と挨拶してくれる。本番に向かう岩本さんとスタッフの方に声を
かけると、「歩いてきた?」と岩本さん。「今日は豊橋から電車です
けど、豊橋までは歩きましたよ〜、走ったところもあったけど」と答
えると、「いいね〜」と言ってくれた。
 本番が終わるやいなやサイン攻め。しかもここの子供たちはサイン
を書いたあと一言書いてくれと要求する。いやいや岩本さんは大変だ
。ポルトガル語で毎回違う言葉を書いていた。
 サインはまだ続いていたが早めに豊橋へ戻ることにした。昨日のゴ
ール地点から歩き始めるために。

 いったんホテルへ戻り、9時50分に再出発。雲が多く、もしかした
らパラッと降られるそうだ。
 岩本さんは赤坂宿までのわずか1.7Kmを歩く。東海道で一番距離が
短い宿場間だ。おかげで私は15Kmでよい。だからといってのんびりは
していられない。岩本さんが午前中で宿に入ってしまうかもしれない
からだ。

 昨日痛んだひざは全く痛まない。痛むのはももやふくらはぎなどの
筋肉痛のみ。幸いにも行程にたいした坂はない。こういうときは休ま
ずどんどん歩ってしまおう。目標は3時間で松並木資料館だ。
 3年前に通ったときすごく驚いたことがある。それは河原にヤギが
何頭もいたこと。今回も会えるのが楽しみで、川を渡るたびに「ここ
かな」っと河原に目をやる。
 そろそろ12時になろうとしたころヤギ発見。ヤギも昼食の時間なの
か一生懸命草を食べていた。ヤギを見ながらのんびり河原で座ってい
たいが時間がない。見ただけでも疲れが取れたので、もうひとがんば
りしよう。

 3時間経過したが松並木資料館にはまだ着かない。足がパンパンで
休みたいが、あと1〜2Kmだろう。我慢、我慢。
 朝見た景色が視界に入ってくると力が湧く。資料館はもうすぐだ。
休めるぞ。東海道を外れて資料館へ向かう。が、中は真っ暗。入り口
に12時30分〜13時30分は休憩時間とあった。今は13時。どうしようか
と思いながら中を覗く。と、そのとき、中からおじさんが出てきた。
「今日は休みなんだよ」
 しまった、月曜か。とぼとぼと休む場所を考えながら東海道に戻っ
た。
 歩くこと15分。松並木に着いた。ここで一休みして、あとは岩本さ
ん探しだ。

 松並木を通過すると数分で赤坂宿。まずは本陣跡を目指そうと思っ
たが、視界の先に岩本さん登場。追いついた、一安心だ。
 もう先へ進む必要はなくなった。岩本さんを見に来た年配女性たち
とおしゃべりする。一人は岡崎、一人は豊橋、あとは地元の人たち。
地元民と思われるおばあちゃんが話す。
「早く豊川市になっていれば古い家が残ったのにね。古いのはこの旅
籠の一軒だけよ。豊川なら助成金が出たのよね。」
 ここは音羽町、来年豊川市と合併するそうだ。そして唯一残った旅
籠に、今晩岩本さんが泊まる。明日の放送が楽しみだ。
 おばちゃんにこの辺りのみどころを尋ねると、自分の原付きバイク
から音羽町の観光パンフレットを取りだし説明してくれた。そして「
パンフレットをあげるから、日付を書いておけば思い出になるよ。」
と。地元を愛するおばあちゃんだった。

 まだ14時なのでマンモスを見に、豊橋の博物館へ行ってみたくなっ
た。地球博で展示されたマンモスがそこにあるのだ。豊橋から来てい
たおばさんに場所を尋ねると、これから車で連れて行ってくれるとい
う。岩本さんと会話したい気もあるが、せっかくなのでそうさせても
らった。
 このあばさん、地球博には40回行ったというつわもの。当然マンモ
スも見ている。なんだか博物館の中まで案内してくれそうな調子だ。
 が、走り始めて間もなく重大なことに気が付いた。今日は月曜日。
まさか。
「その博物館って月曜もやっていますか?」
「そうね、休みだわ。なんで気付かなかったんだろう。」
 岩本さんの泊まる旅籠まで戻って来てもらった。

 おばあちゃんの薦めで、近くのお寺に行こうとしたら、そのお寺か
ら岩本さんが撮影を終えて戻って来た。「朝、豊橋を出てようやく追
いつきましたよ。」と声をかけた。「早いね〜」と岩本さん。気にな
る岩本さんやカメラマンの足は全然問題ないとのこと。すごいな、と
いうか私が弱すぎるのかもしれない。どちらにしろ京都まで心配する
必要がないということだ。

 岩本さんとお話できたので今日はもう満足。あとは近くを散策して
、豊橋のホテルに帰ることにしよう。

本日の歩行距離 およそ17Km

5月22日(月) 赤坂宿

体力勝負の一人旅 No.092【街道てくてく旅編】

【6日目・2006年5月21日】

 岩本さんを追いかける最後の旅に出た。今日から火曜までの3日間
だ。火曜日に岩本さんが出発するまでに追いついておきたいので、2
日間で46Km歩けば良い、というか歩かなければならない。それを達成
するためには今日が大事だ。
 今日は浜松宿の先にある高塚駅から出発する。3年前にここを歩い
たときは、高塚駅の数キロ手前から歩き始め、へとへとになって二川
宿に到着した。ほとんどの区間で強烈な向かい風か横風を受けて精根
尽き果てた難所だ。しかもバスが通っていないので這ってでも二川ま
で行かなければならないプレッシャーのかかる区間だ。その二川まで
が25Kmなので最低二川、できれば豊橋まで行きたい。豊橋だと30Kmち
ょっとだ。

 9時43分に高塚駅を出発する。透き通った空とは言えないが、ほと
んど雲のない良い天気。暑くなりそうだ。
 先週痛めたひざが完治していなく、歩き始めから左ひざが痛んだ。
しかし不思議なことにいつの間にか痛みが消え、代わりに右ひざが痛
んできた。

 今回は一つ心掛けていることがある。それは太らないこと。自転車
旅行だと体重は増えるが体脂肪率は激減する。歩き旅だとどちらも増
えてしまう。燃焼を増やすことはできないので食べ物に注意していき
たい。
 そう誓っていたのに、スーパーでとても甘い菓子パンを2個と小さ
めの黒糖パン6個を買ってしまった。まだ11時前だからこの分は燃焼
をしてくれるかな。そう思いながら一気に菓子パン2個を食べたら食
欲が激減し体がだるくなってきた。甘いものは一気に摂取してはいけ
ないのだ。

 舞坂宿の松並木には、日本橋から順番に宿場名と広重の絵が書かれ
た銅版が並んでいる。舞坂のところで立ち止まり銅版に近づこうとす
ると、なまりのある日本語で「危ないよ」と声が掛かる。自転車で通
りかかったブラジル人っぽい男性の声だった。私がきょとんとしてい
ると「はち」と言う。良く見れば大量の蜂がぐるぐる回っている。そ
こを車が何台も突っ込んでいくので、蜂がパニックしているかのよう
だ。「向こうに巣がある」と男性は言う。スズメバチではないがとに
かく逃げた。

 本来の東海道は舞坂宿から船で浜名湖を横断するが私は橋を歩く。
3年前に来たときは、つぶれた飲食店やガソリンスタンドが目につき
、橋の歩道は犬のフンだらけ。廃れたイメージを持った浜名湖だった
が、今はコンビニに若者が集まり、歩道から犬のフンはなくなってい
て、その橋からは二十歳ぐらいの男女数名が釣りをしている。活性化
しつつあるようだ。
 もう一つ印象が変わったことがある。外国人が多くなったこと。ポ
ルトガル語を話しているのでブラジル人のようだ。

 右ひざの痛みもいつの間にかなくなり、今度は両足のももが痛みだ
した。しかし関節痛でなければ慣れたもの。恐れていた風もそよ風で
、快調!快調!

 白須賀宿、二川宿も風に悩まされることなく快調に通過。むしろ追
い風で気持ち良かった。
 二川駅に着いたのが16時過ぎ。次の吉田宿までは8Kmぐらいだろう
。それなら行けそうだと思い休憩せずに通過した。日々の生活なら8
Kmはとても歩ける距離ではないのに、こういうことをしてると「よ
し、歩いちゃおう」と思えるから不思議だ。

 吉田宿まであと数キロ。国道1号線の交通量が多くなり、国道沿い
には民家が連なっている。そんなところに三重塔が見えてきたのでお
寺に寄り道。さらっと見て戻ろうと思ったが別の出入り口があったの
で境内を通過するかたちで国道へ戻った。
 お寺から1Kmぐらいで左折ポイントの歩道橋が現れるはずなのにで
てこない。おかしいなと思いながらも真っすぐ進んだ。ガイドマップ
に載っていない地名がやたらと現れるので、ミスコースしたことに気
づいた。本来西へ進まなければならないのに北上している。
 コースを外れたのはきっとさっきのお寺を出たときだ。別の出入り
口が面していたのは違う道だったのだ。そういえばその直後に見たバ
ス停の名が、その前に見た停留所名と同じ気がしたのだった。なんて
愚かなことだろう。国道一号線に戻るのに20分以上要してしまった。

 吉田宿の本陣跡辺りで、東海道から離れ豊橋駅へ向かった。
 19時に駅前のホテルへ到着し、今日はここで終了。道を間違えたこ
ともあって、期待以上に歩けた1日だった。

本日の歩行距離 およそ34Km

5月21日(日) 吉田宿

体力勝負の一人旅 No.091【街道てくてく旅編】

【5日目・2006年5月14日】

 岩本さんを追いかけ、掛川へ来てしまった。と言っても、今日は岩
本さんに会いに来たわけではない。岩本さんはおとといの12日にすで
に42Km先の舞阪宿に着いているはずで、次の宿場目指して歩くのは明
日15日だ。
 岩本さんが休んでいる間に距離を詰めて、いつの日か再会したい。
それも遠くへ行かないうちに。

 私は5月5日に掛川まで来ているので掛川から再出発する。今回は日
帰り。なるべく距離を稼ぎたいこともありウォーキングではなくジョ
ギングで臨む。
 手術から2ヶ月が経ち、走れる状態ではあるが術後のジョギング最
長距離はわずか8Km。少なくとも32Km先の浜松までは行きたいが大丈
夫だろうか。不安を感じながら9時45分に掛川を出発した。

 走り始めてまもなく十九首塚(じゅうきゅうしょつか)の案内板を
発見。東海道から50m奥に入ったところにあるようだ。3年前に歩いた
ときは雨だったため、名所旧跡にはほとんど立ち寄らなかった。だか
ら先を急ぎたいのに寄り道してしまった。
 残念ながら墓碑は当時のものではなく最近整備されたようで新しい
めのものだった。期待はずれだったこともあり、もう名所旧跡観光は
やめて先を急ごう。

 1Km7~8分ペースだろうか、ゆっくりゆっくり進んでいく。橋を渡
ると見覚えのある景色。右側に少し荒れたお寺があった。仲道寺だ。
その名の通り、江戸と京都の中間に位置するのでこの寺名がついたそ
うだ。
 3年前は木々に囲まれた石段に腰掛けて、雨宿りしながら補食した
が、今日は良い天気。徐々に暑くなってきたがまだまだ休憩の必要は
ないだろう。

 11時10分、袋井宿入り口に到着。茶屋風無料休憩所の「東海道どま
ん中茶屋」が出迎えてくれる。街道てくてく旅の中継地点になった場
所で、広重が描いた袋井宿の出茶屋があった場所らしい。
 歩きながら茶屋の中を伺っていると、中から老人が「お茶を飲んで
いったら」と声を掛ける。最初は無料休憩所とは知らなかったのでた
めらっていたが、何度も声を掛けてくれるのでお茶をいただくことに
した。
 中には老人が3人。うち2人がタバコを吸っている。休憩所は煙でい
っぱい。健康志向の私にとってはつらい。
 記帳してほしいと帳面を渡されたので、ペラペラとめくるとあった
「NHKスタッフ一同」が。なんと総勢30名。そのすぐ横には「東海道
を歩く会」。こちらも30名。
「東海道を歩く会なんていうのもあるんですね」
 と老人たちに聞くと、
「東海道を歩いているんじゃないんですよ。バスで来るんですよ。」
「えっ、歩いていないのに、歩く会?」
「バスで来て宿場とか見るとこだけ歩くんだよ」
 東海道ウォーキングの楽しみ方は人それぞれということか。歩き、
自転車、バス、タクシーなどさまざまな手段で周る人たちがいる四国
遍路のようだ。
 東海道てくてく旅の影響で歩く人が増えているかと思い、尋ねてみ
たが、そんなことはないと言う。東海道400年際をやった5年前がピー
クだったそうだ。

 10分弱の休憩で茶屋をあとにした。袋井宿を走って通過するが足は
まだまだ大丈夫。と言ってもまだ10Kmしか走っていない。
 東海道てくてく旅で放映された袋井どまん中小学校の校門や一里塚
跡を通過する。その少し先には神社があり、岩本さんがザリガニ釣り
を楽しんだと思われる池を発見。こうやってテレビに登場した場所を
探すのもなかなか楽しい。

 スタートして14Km、登り坂が現れついに歩き出す。ここはちょっと
した丘越えの道だが、三ヶ野七つ道といって平成、昭和、大正、明治
、江戸、鎌倉等々に作られた7つの道が1カ所にまとまってみられる珍
しい場所らしい。似たようなところでは東海道丸子宿付近の宇津ノ谷
峠、日本海の親不知があったが、そこに比べるとここは全然難所では
ない。なぜこんなに道を作ってしまったのか不思議だが、それだけ交
通の要衝だったのだろうか。
 丘を越えても微妙にアップダウンがありときどき歩くようになって
しまった。それでも12時43分、見付宿の入り口にある一里塚に到着。
そのまま走り抜けるつもりだったが、一里塚の説明版に「この一里塚
のように両側に現存しているのは珍しい」とあったので、つい見に行
くことにした。
 しかしこの一里塚は高台にあり、石段を延々と登っていく。石段を
77段登ったがお堂があるだけで一里塚らしきものが見えない。お堂の
裏が小高くなっていたので、裏に回りさらに登るとようやく一里塚が
あった。見たからどうってことはないが、達成感のためだけに登って
しまった。下りの石段からは見付宿が一望でき、少し自己満足であっ
た。
 もう片方の一里塚を探そうとうろついたが見つけられなかった。一
里塚探しの代償は大きく、両膝が痛み出し、見付宿内はほとんど歩く
ことになった。

 見付からおよそ7Km、走っているのか歩いているのかわからないペ
ースで天竜川まで来た。ここに架かる橋は歩道がなくとっても危険。
少し上流で架橋工事をしているので、もうじき解消されることだろう。
 たらたらと橋を歩いていると、はるか向こうにタワーが見えた。あ
れは確か浜松市民が自慢にしている、数年前までは日本一高かったタ
ワーではないか。目標地点を視界にとらえたからだろうか、ひざの痛
みが和らぐことはなかったが、なぜか再び走り始めていた。
 その元気も天竜川を渡って4、5Kmで限界。また歩く時間が長くなっ
ていた。歩いていても痛むので、しかめっ面をしていたことだろう。
浜松宿の先まで行ければと思っていたがもう限界。浜松駅で終わりに
しよう。
 地図を出すのが面倒というか、疲れと痛みで頭が回らなかったのか、
浜松城の案内板が出てから地図を確認すると、なんと浜松駅はもう過
ぎていた。次の駅は5、6Km先。もちろん戻ったほうが近いが、戻るの
は絶対いやだ。両ひざの痛みを我慢しながらゆっくりゆっくり走った。
 暑さのせいで多少脱水症状が出ていたかもしれない。気持ち悪く、
いくら水分補給しても喉が乾くのだ。それでもこの辺りは歴史ポイン
トの解説板が数多くあるので、それを楽しみに歩けるので助かる。
 やっとの思いで高塚駅に着いたのは16時27分。これで休めるんだ。

本日の走行距離 およそ37Km

5月14日(日) 高塚

体力勝負の一人旅 No.090【街道てくてく旅編】

【4日目・2006年5月7日】

 また東海道に来てしまった。金谷宿からのリピートだ。おとといま
での3日間は暑いくらいの良い天気だったが、今日は雨。雨だからこ
そ歩く気になったのかもしれない。雨の日に歩いてこそ、岩本さんの
励みになると思ったのだ。

 岩本さんが何時に出発するのか分からなかったため、朝早く小田原
を出発し9時前には金谷駅に到着していた。SLを見に行くとの情報を
キャッチしていたので、SLが走る新金谷駅まで20分ほど歩いた。
 新金谷駅でSLの運行時間を確認すると12時ごろの1本のみ。早く来
すぎてしまったようだ。
 宿場に関する博物館が近くにあると聞いていたので行ってみること
にした。駅前のみやげ物屋のおばちゃんに場所を尋ねたところ、島田
市と合併して博物館がなくなってしまったという。展示物はそれぞれ
の持ち主に返され、見ることはできないそうだ。
「中には貴重なものがあってね、私はときどき観光客に説明したりし
ていたのよ。」
 観光ポイントに詳しそうだったので、近くの観光ポイントを教えて
もらった。それは日本左衛門の首塚だった。
 それからとっておき情報をもう一つ。金谷側にも川会所が1軒だけ
残っており、近々公開すべく整備中だという。川会所とは川越の料金
所のことだ。数年後にまた訪れてみよう。

 日本左衛門の首塚を見たりして時間をつぶしたが、11時30分を過ぎ
ても岩本さんは現れない。あきらめて、というか未練がましくとぼと
ぼと歩き始めると、向こうからNHKの車がやってきた。ほっとしなが
ら新金谷駅へ戻り、待機していると岩本さん登場。
 岩本さんに「静岡は楽しいけど、名古屋周辺はつまらないですよ。
」と言うと、
「見るとこないの?」と岩本さん。
「そうじゃなくて排気ガスがひどくて歩いていて楽しくないんです。

「名古屋は1週間ぐらいだったかな。三重に行けば楽しくなる?」
「三重に入ると楽しくなりますよ。ただ四日市は排気ガスがひどいで
すけどね。」
 などと会話し、最後に
「雨で石畳が滑るので気をつけてください。」と言うと、
「そうなんだよな。俺走るから。」
「下りの石畳が危ないから気をつけてくださいね。」と言ってお別れ
した。

 岩本さんはSLを見送るシーンを撮影した後、おみやげ屋のおばちゃ
んのところに寄って話し込んでいた。人のよさそうなおばちゃんなの
で自然と人が集まるようだ。
 スタッフたちがお茶羊かんを買い込んで、岩本さんたちは出発した。

 テレビカメラを向けられて興奮さめやらぬおばちゃんは、私に「住
所を書いて」と紙を差し出した。
「来年、新茶が取れたら送るから。私、こうやって旅している人と話
すのが好きでこれやっているのよ。ほら、この商品に印刷してあるSL
の写真、これもね新茶を贈ってあげたらね、その人が撮った写真をく
れたんで、ここにくっつけたのよ。」
 そう言いながらも私に商品のお茶を1つくれた。
「私、どんどんあげちゃうのよ。さっきも岩本さんたちにお茶羊かん
をあげようとしたら、買いますって言うのよ。こんなに買っていった
のよ。」
 と商品がなくなったエリアを指差した。
 おばちゃんは本当に生き生きとして楽しそうだった。おばちゃんみ
たいな人と出会えるから旅はやめられない。
 話しに夢中になりすぎて、岩本さんの姿を完全に見失ったがそれは
どうでもいいことだった。

 日坂宿に向かう道を通るのは2日前についで3回目。雨のせいだろう、
ハイキングしている人も、茶摘みしている人もいなかった。金谷の町
を出てからはほとんど人に会わずに中山峠に到着した。
 峠には子育て飴で有名な扇屋がある。多くのガイドブックに載って
いる茶屋だ。珍しく扇屋の前に10人弱の人だかり。どうやらNHK関係
者らしい。
 もう1つ珍しいのは扇屋が開いていること。お店の人に尋ねると、3
年8ヶ月前におばあちゃんが亡くなってしばらく休んでいたが、土日
だけ営業するようになったとのこと。あるガイドブックには『今は営
業しておらず、伝統の子育て飴が途絶えるのがさみしい。』とあった
が、続いていることを知りうれしくなった。
 もちろん子育て飴を購入した。割り箸に水あめ状のものをその場で
巻きつけてくれるのだが、これがなかなかなめごたえがある。割り箸
を口に入れたまま歩き始めるわけにもいかず、30分以上はなめながら
辺りをうろついた。NHKの方々も一様に割り箸をくわえながら、明日
の中継の打ち合わせをしている姿がおかしかった。

 お寺の方によれば3時くらいに岩本さんが来るとのことだったが、3
時をまわっても現れない。お寺で雨宿りさせてもらっていたものの、
体が冷えてきたので岩本さんを待たずに出発したかったが、まだ飴が
残っている。最後は割り箸を口から出し入れしたり、回転させたりし
て強引になめきった。

 岩本さんと会えぬまま日坂宿に向かった。雨がだんだん激しくなり、
16時前だが暗くなってきた。
 原付バイクでは登れないと思うほどの急坂を下る。蛇行した細い道
を雨水が勢い良く流れている。カーブの内側には折れた枝や落ち葉が
路面を覆い、気をつけて歩かないと危ない。あまり暗くならないうち
に岩本さんがたどり着くか心配だ。

 まもなく人通りのほとんどない日坂宿に到着。一般に開放されてい
る昔の建物でしばらく雨宿りして、16時50分の掛川行きバスに乗り、
本日の旅を終えた。

本日の歩行距離 およそ8Km

5月7日(日) 日坂宿

体力勝負の一人旅 No.089【街道てくてく旅編】

【3日目・2006年5月5日】

 朝6時に石畳茶屋に到着。ここは東海道ウォーキングを楽しむ人の
無料休憩所になっている。駐車場にはNHKの車が4~5台止まって生中
継の準備をしている。まだ裏方さんだけで、岩本さんやいっしょに歩
いている面々は来ていない。
 7時過ぎに岩本さん到着。昨日下見をしていないので念入りに打ち
合わせをするのかと思っていたが、リハーサルは1回だけだった。空
いた時間はファンサービス。
 そこで、昨日はなんで旧東海道を歩かずに山道を行ったのか尋ねる
と、景色を撮りたかったんじゃないのとのこと。牧之原台地の茶畑の
ことだ。

 昨日追っかけをしていたファンたちの姿を見つけた。
「昨日どこまでついていったんですか?」
「蓬莱(ほうらい)橋を渡ったら坂を登っていったんで、そこで引き返
しました。」
 やはり女性陣にあの坂はきつかったようだ。

 撮影が終了するとファンに囲まれサインと記念撮影。いつもなら次
の宿場に向けて出発するまで多少の時間はあるのだが、この日は関連
番組の収録のため渋谷にすぐ移動しなければならないようだ。
 スタッフから
「今日はサインはできません。写真だけにしてください。」
 一瞬あきらめたファンの間げきを縫って、1人のファンがサインを
ねだった。他のファンも、自分のだけはという思いから殺到する。
 岩本さんが「大丈夫、全員サインするから」と声をかけて、再び秩
序を取り戻した。

 遠くで見ていたスタッフの方に、なぜ昨日旧東海道を通らなかった
のか質問してみた。答えは旧東海道を行くと距離が短すぎるからだそ
うだ。そして付け加えた。
「回り道したけど、金谷で旧東海道に戻ってきたから。」
 ちゃんと旧東海道を歩いているんだよと訴えているように聞こえた。
個人としても旧東海道にかなりこだわりがあるようだった。

 岩本さんが帰り、静かになった石畳茶屋を私は8時45分ごろ出発した。
次の日坂(にっさか)宿、その次の掛川宿に向かってだ。
 岩本さんを応援するつもりで今回の旅に出たが、珍しく天気に恵ま
れているのでこのまま旅を続けたくなったのだ。ちなみに岩本さんは
2日後の日曜日に旅を再開するらしい。

 3年前にも歩いた石畳を登っていく。コンクリートの上に石を置い
て復元したので、箱根石畳のような雰囲気が出ていないなとそのとき
は思ったものだが、今では枯れ葉などがうまい具合にコンクリートを
隠し、それっぽい雰囲気になっている。
 今度は下りの石畳。3年前は復元工事の真っ最中だったが、ここも
いい雰囲気だ。最後のほうの石畳は石が小粒になったが、ここは復元
ではなく当時のものが残っている区間だそうだ。

 茶畑に囲まれた山道を進む。これが意外にきつい。東海道三大難所
の一つ中山峠越えだ。
 登りきったところに、かっぷくの良い60歳ぐらいの紳士がいた。東
京から一家を連れて遊びに来たそうだ。孫は虫取りに夢中だ。もとも
とこの近くの出身で、たまに遊びにくると言う。目的は1日に1組しか
客を取らない今井シェフのフランス料理。かなり有名な方だそうだ。
1組10万円だ、と自慢げに話していた。
 この紳士、街道てくてく旅のことを知っていたので、あさっての午
後ここを通りますよ、と教えてあげたら「良い情報をくれた」とすご
く喜んでいた。

 坂を一気に下り、10時45分、日坂宿に到着。『町並みは当時とほと
んど変わっていない』と解説があるが、観光地としては今一つ。屋号
を書いた板が各家に掛けられていたり、当時の建物を公開したりして
いるが、ひきつけるものがない。
 それでも観光客が何組かいた。お目当ては中山峠ハイキングで、公
開している建物の係員に登り口を尋ねていた。

 12時50分、掛川宿に到着。こちらは老若男女を問わず、人でごった
返している。NHK大河ドラマの舞台になっていることが大きく影響し
ているだろうが、掛川城なくしてはその舞台になることもなかっただ
ろう。
 聞けば、掛川城復元資金は市民の寄付でほとんど賄われたとか。金
谷の石畳も市民の手で復元されたというから、茶どころには人の心を
動かす何か共通点があるのかもしれない。

 掛川で旅を終えるが、街道てくてく旅を続けたい気持ちが少しだけ
出てきてしまった。

本日の歩行距離 およそ12Km

5月5日(金) 掛川宿

体力勝負の一人旅 No.088【街道てくてく旅編】

【2日目・2006年5月4日】

 昨日は収録が終わったあと岩本さんと話すことができた。足の疲労
は全然なく、まめもできないそうだ。やはりプロサッカー選手は違う

 私が東海道を歩いたときの話題になったので、「暑くなるとつらい
ですよ」と言うと、「暑さは大丈夫、暑いほうが好きだから」とのこ
と。疲れないポイントは精神的に疲れないことだと言う。「きついな
ぁと思うと疲れちゃうから。俺はこういう歴史的なものを見るのが好
きだから、こういうところを歩いても全然疲れないんだ。」楽しんで
歩いている様子が伺えた。さっきの「暑いほうが好きだから」と答え
たのも精神的に疲れないポイントだと思った。
 ただ最後に「ロケが長いのがつらい」と本音を言ってくれた。この
日のロケは12時間以上に及んだそうだ。

 7時45分、生放送中継地点の川越遺跡に着くと、30人ぐらいの見物
客でにぎわっていた。岩本さんは5~6人で輪を作って談笑している。
本番間近だが余裕があるようだ。
 輪に向かって「おはようございます」と声を掛けるとスタッフや岩
本さんが「おはようございます」と返してくれた。岩本さんは「来れ
たじゃん」みたいなことを付け加えた。昨日、起きれれば来ますと言
ったことを覚えてくれていた。勝手ながら旅仲間の雰囲気を感じた。

 生放送は8時から15分間。終わるとファンに囲まれサインや写真撮
影の対応をする。ようやく「行ってきます」とファンに手を振って
一旦姿を消すと、10分もしないうちに旅支度をした岩本さんが現れ9
時ちょうどに出発していった。

 大井川の対岸の道が東海道だが橋はその道より少し上流に架かって
いる。東海道を一旦外れ迂回するように上流の橋を渡るのが本来の東
海道に一番近いルートだが、岩本さんら一行は下流へ歩いていった。
どうやら河川敷でスポーツしている人と交流したいみたいだ。
 確かに今日ゴールする金谷宿まではわずか4Kmしかないので、あち
こち寄り道するのだろう。
 岩本さんのあとを追うファンは昨日と違い5~6人いる。すべて女性
だ。本格的に歩く格好ではない人も見受けられるが、わずか4Kmだか
ら歩けると思っているのだろう。

 岩本さんが中学生を3人捕まえてサッカーを教えることになった。
間近で岩本さんのキックが見られると思いわくわくしたが、スタッフ
の人に「これ以上近づかないでください」と止められてしまった。

 2時間ぐらいサッカーしていただろうか。最後のほうは私もどさく
さまぎれにボール拾いで参加させてもらった。
 岩本さんは万歩計を付け旅再開の準備が整うと、離れた場所で見て
いたファンのところへ来てくれた。
 ファンからは「お疲れさま」と声が掛かるが、岩本さんは真顔で「
全然疲れていないよ。今日は遊びだから。」と答えた。そして「これ
から行きますがなにかありますか」と言ってくれた。ファンたちはサ
インをもらったり写真を撮ったり、これでお別れの雰囲気であった。
 「さよなら」と言って旅立ったあと、ファンからはまだ付いていく
けどね」と声が漏れた。

 旅立ったのは良いがまた下流に進んでいった。どうやらほうらい橋
に行くようだ。もう12時ごろだったので岩本さんがほうらい橋を往復
している間に食料の調達をすることにした。
 ほうらい橋の入口付近で岩本さんの帰りを待ちながら買い込んだ弁
当を食べる。1時間待っても戻ってこないので、向こう岸から戻って
来た観光客に尋ねると、まだ向こうにいると言う。いずれ戻ってくる
だろうからベンチでしばらく休むことにした。

 2時になっても戻って来ない。地元の人と話すと、山を越えて金谷
に行く道があるとのこと。まさか東海道を無視して金谷に向かってい
るのではないだろうな。また戻って来た観光客に尋ねると「しばらく
向こうにいたけどもういないわよ」
 やられた。まるで探偵ごっこのようにまかれたと思った。昨日に引
き続き渡橋料100円を払ってあとを追った。渡りながらこれが本来の
橋としての使い方だなと思った。

 対岸に着くと急な登り坂。大慌てで追っていく。先行してしまった
昨日とは逆だ。坂を登り切ると辺り一面が茶畑。今まで見てきた茶畑
と違い、驚き、感激した。NHKのスタッフに感謝だ。
 私がイメージする茶畑は山の斜面に延々と続くもの。しかしここは
斜面ではない。平坦なのだ。あとで知ったが牧之原台地といって、日
本の10分の1、静岡の4分の1の茶畑がここに集中しているそうだ。ま
た、同じ作物がこれだけ広範囲に続いているのも全国的に珍しいそう
だ。
 見入ってしまったのは良いが、四つ角に私はいる。どっちに進めば
よいのだろうか。ほうらい橋で道を聞いたときは、黄色の線に沿って
いけば金谷に出ると教えられたが、そんな線はない。車一台が通れる
程度の山道で、観光用に黄色い線が引かれていると思ったのが大間違
え。どの道を選んでもセンターラインのある充分広い農道だった。と
りあえず大井川に沿っていそうな道を選んだ。

 あちこちに軽トラックが路上駐車して茶摘みが行われている。5月2
日が八十八夜だから茶摘みシーズン真っ盛りだ。茶摘みしている人に
「新金谷駅はこの道であっていますか」と尋ねると、「さっきも同じ
ことを聞かれた」と言う。きっとそれは岩本さんたちだと思った。
 分かれ道が現れるたびに大井川沿いを選択する。そして人を見つけ
ては同じ質問をする。すると新情報。「20分ほど前に、東海道を歩い
ているっていうテレビカメラを持った人が通っていったよ。」
 よし、間違えない。その人たちの進んだ道を確認して先を急いだ。
 なんだか、こんな旅もわくわくして面白い。

 ついに、見通しの利く下り坂の先のほうに数人の歩行者を見つけた
。民家がほとんどない道だけに、きっと岩本さんたちだろう。とする
と、ファンの女性たちはどこへ消えたのだろうか。私でも足腰が痛み
始めているから、女性たちはギブアップしたに違いない。東海道を進
めば4Kmの道程も、恐らく10Km以上は歩いているだろう。
 見通しが利かない道になったため、岩本さんたちは見えなくなった
が、新金谷駅付近で合流する東海道を目指した。
 新金谷駅の手前までは目撃情報を得ることができたが、駅を過ぎて
からはパッタリだ。不安になりながら東海道に合流した。
 これを左に進めば金谷宿、右には東海道の案内板があるはず、と思
い右を向くと岩本さん御一行がいた。うれしかった。そして探偵ごっ
こが楽しかった。

 岩本さんから100m以上離れて歩く。岩本さんが通ると商店街の人が
外に出てくる。そのおかげで私は地元の人と会話することができる。
 50歳ぐらいのおばさんが「子供のころはここも島田みたいに昔なが
らの家が残っていたんですけどね」と言っていた。こういう話しを聞
けると旅は楽しくなる。

 16時ごろ本陣に到着する。岩本さんは地元の人と30分ほど会話をし
て車に乗り込んだ。明日朝の中継地点の下見はしないらしい。岩本さ
んはやや疲れているようだったし、スタッフの一人は足が痛いらしい
。それで早めに切り上げたのかもしれない。

 今日は私から話しかけなかったが、車で立ち去りぎわに「何時に着
いたの?」と岩本さんから声を掛けてもらった。スタッフから邪魔扱
いされた気がしていただけにうれしかった。

 私は明日の中継地点である石畳茶屋まで歩き今日の旅を終えた。

本日の歩行距離 およそ15Km

5月4日(木) 金谷宿