最近のトラックバック

サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

カウンター

紹介

  • フォアアスリート405

西国三十三所編

体力勝負の一人旅 No.308【西国三十三所編】

【26日目・2014年5月5日】

 今日は最終日だ。今回の旅の最終日だけではなく、2010年5月から始めた足かけ4年の西国三十三所編の最終日だ。今回参拝したのは善光寺だけなのであまり感動がないが、一つの旅が終わりに近づく実感はある。

 数日前の天気予報でゴールデンウィーク後半は雨の心配がなかったが、朝の天気予報ではところにより午後から雨だ。
 自転車旅行を始めたころはテレビの天気番組の時間を気にしていた。四国遍路旅の途中で「雨が降ればかっぱを着ればいい。ただそれだけ。」というご住職の言葉を人づてに聞いて、過度に天気予報を気にしないようになった。
 そして今では知りたいときにいつでもスマホで確認できる。便利だけど人類にとって良いことなのか疑問に感じてしまう。

 自宅の小田原まで70Kmほど、籠坂峠を越えるが全体としては下り基調なのでずいぶん余裕がある。柄ではないがカフェでのんびりしたり、観光したりしようと思う。
 ただそれも雲行きしだいになるだろう。

 9時40分に出発した。空全体が曇っていて少し肌寒い。富士急ハイランドの横を通って山中湖方面へ向かう。
 山中湖まで緩やかに登っている。山中湖の手前を右にそれて籠坂峠を目指した。

 この道は以前よく使っていたが見慣れない案内板があった。立ち止まって見ると、「馬車道通り」の解説が書かれていた。「馬車道」なんて横浜みたいだ。横浜の馬車道は確か馬の水飲み場が残っていたと思う。ここは何か残っているのだろうか。
 解説によると、明治30年代~昭和10年代の短い期間だったが、レール上の貨車や客車を1頭の馬が引いていたという。籠坂峠を越えて須走・御殿場まで通っていたというから馬は大変だったろう。
 残念ながら遺構に関する解説はなかった。

 山中湖通りと馬車道通りの分岐点の中央に見ごろを過ぎたしだれ桜があり、その背後に真っ黒な雨雲が控えていた。峠は間違えなく雨だろう。分岐点を過ぎ、じわじわと登りが始まった。

 相当な雨を覚悟して登っていったがパラパラ程度の雨で済んでいる。標高差約130mを登ってきた。馬車道だから当然かもしれないが激坂はなかった。
 峠の少し手前に加古坂神社の石碑と案内板が建っていた。案内板に「昭和四十三年、明治維新百年記念事業として現社殿を再建す。」とあるが、どこに社殿があるのかわからなかった。
 また「籠坂」の字が「加古坂」なのは、加古坂が転じて籠坂になったのか、地名の籠坂と区別するために加古坂にしたのか気になった。伊豆にある地名「修善寺」と寺院名「修禅寺」のようなものだろうか。

 案内板を読んでいたらレインコートが必要なほど雨が降ってきた。レインコードを着てすぐに下ろう。
 気温10度、下り始めると手が一気に冷えた。下れば下るほどどんどん雨が強くなってくる。かなりの量だ。ところどころで路面に川ができるほどだ。相当慎重に走らないと危ない。
 下りのほうが標高差があるのでまだまだ下りきらない。両手はブレーキかけっぱなしで感覚がおかしくなる。雨粒が大きくなり、顔面にバチバチ当たって痛いほどだ。
 雨予報だったとはいえ、予報より早く11時前から降り出したし、そもそも大雨とは一言も言っていなかった。これでは寄り道する気にはならない。

 須走まで降りてきた。須走の浅間神社で雨宿りしている人が十人以上密集していた。ということは私は降られ続けているけど、ここは急に降ってきたのだろうか。

 浅間神社前のカーブを曲がり斜度が緩い直線に入ったがまだブレーキを軽くかけ続けている。少し前方で親子三人が右から小走りで横断歩道のないところを渡り始めた。一度こっちに顔を向けているので私に気付いていると思っていたのに、道の途中で止まるそぶりを見せない。「おい、おい何を考えているんだ」と思った。
 前後輪のブレーキを転ばない程度にさらにかけたが全然止まらない。仕方なく「危ないよー」と叫んだ。
 気づいた大人の悲鳴が聞こえた気がした。大人より先行していた子供の走るスピードが少し遅くなったかもしれない。そして子供が私の進路に到達する前に私は走り抜けた。
 しかし危なかった。大雨は視界が悪くなるのでこちらに気付かなかったのかもしれない。ふーっと一息ついて、目の前に出てきたコンビニに止まった。

 コンビニで「急に降ってきたんですか?」と尋ねたら、「強くなったのはちょっと前からです」とのことだった。たぶんちょっと前までは傘なしでよかったのだろう。さっきの親子が傘を持っていたか記憶していないが、早く家に帰ろうと慌てたのだろう。

 8Kmほど下って国道246号線に合流した。もう雨が上がって薄日が差している。しかし路面に水たまりができているのでレインコートは脱げない。そのまま下り続けた。
 国道は交通量が多く、片側二車線ということもあり車はかなりスピードを出している。コーナーはわざと路面をがたがたにしているし、トンネルも多くて怖いので途中から旧道に入った。

 ローカル線の谷峨駅でトイレ休憩をした。1時間に1本程度しか電車が来ないのにちょうど入ってきたとこだった。7、8人の乗客が降りてきた。半分ぐらいが観光客のようで設置してある周辺案内地図を見ていた。
 私も地図を見て、1日では見きれないほど見どころがあるなと思った。

 15分ほど走って同じローカル線の山北駅に着いた。観光するところかのんびりするところがないかなと思いここに来たが、また雨が降り始めた。寄り道せず家に帰ろう。
 5分ほど前にレインコートを脱いだばかりだったし、まだまだ小雨なのでレインコートを着ずに小田原へ向かった。

 金太郎の地、南足柄を通り、レインコートが必要なほどの雨になってきた。もう残り10Kmほどだからこのまま濡れて帰ることにした。
 そして14時30分、北条五代祭りでにぎわう小田原に無事戻ってきた。私らしく雨の中の帰還だった。

5月5日(月) 小田原
 本日の走行距離 65.9Km
 本日の登坂累計 401m
 今回の累積走行距離 590.1Km

下記URLに写真をアップしました。
https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-wmkxb5djlcbhrudhip5772uz6e-1001&uniqid=c3379f2d-bd3e-4f1a-b81b-8ff0d4aff9a1

体力勝負の一人旅 No.307【西国三十三所編】

【25日目・2014年5月4日(2/2)】

 ここからは下りだ。向かい風のため思ったほどスピードがでないが下りは気持ちいい。ひときわ賑わう清里エリアもあっという間に通過する。
 さらに標高を下げると、左右を山に囲まれ、左側はちょっとした谷で須玉川が流れている。谷をまたぐように何本もロープが張られ、そこにたくさんの鯉のぼりが泳いでいる。200匹や300匹ではきかないかもしれない。

 甲府を通過したのが16時過ぎ、すぐ先に石和温泉があるがまだ終了するには早い。この先は難所の御坂峠が待ち構えている。峠まで25Kmぐらい。登り始めか中腹で泊まるのがベストだ。

 国道20号から峠に向かう県道に入ると、辺りはぶどう畑やもも畑に変わった。道の両側にぶどう狩りの看板がある。あちこちの畑の脇や庭先であやめかしょうぶが咲いていた。気づけば長野と違いチューリップはめっきり減っていた。

 登り口は畑や民家ばかりで宿はまったくなさそうだ。今さら引き返す気もなく、黙々と登った。
 17時30分を回ったが峠はまだまだ先。体力的に峠越えはあきらめて、まじめに宿を探そう。スマホの地図アプリを開き、「ホテル」で検索した。すると峠に行く前に2軒ホテルがあった。このどちらかで泊まろう。

 1軒目は気づかずに通り過ぎてしまった。そして2軒目、看板が見えたがちょっと怪しい。近づくとラブホテルだった。しかも営業していない。これで峠越えしかなくなった。
 どんなにゆっくりでもいい、足が音を上げないペースで登ろう。

 だいぶ辺りが暗くなったころ前方にヘアピンカーブが見えた。確かヘアピンカーブの少し先が峠だったはずだ。ようやくこの長い登りに終止符を打てそうだ。
 ヘアピンカーブを回り、最後の坂を上がると、右にパーキングエリアが見えてきた。御坂峠到着だ。ふもとから標高差700m以上登ってきた。もう18時30分を過ぎていた。

 帰路最大の難所「御坂トンネル」は長さ約2.8Km、こちらか行くと若干上りこう配だ。
 気合を入れてトンネルに突入する。やはり長い。後ろからトラックが迫ってくるたびに恐怖を感じる。「俺のこと気づいてくれよ!」と念じた。
 トンネルを出ると河口湖まで下りだ。もう完全に夜になってしまった。気温11度。スピードを出すと寒いし、暗くて路面状態がわからないのでゆっくり下った。

 19時20分、さあ宿探しだ。河口湖まで来ればどこかしら空いているだろう。ネットや電話でビジネスホテルを何軒かあたったがいっぱいだ。
 次は湖畔の宿を回って「空室」の看板を見つけよう。いつ来たって「空室」の看板を見かけているのでなんとかなるだろう。
 予想どおり3軒連なって空室表示があった。飛び込むと断られることが多いので、まず1軒電話したが「満室」と断られた。次に電話した宿は空室だったが値段が高い。迷っていたが洗濯機がないと言われて、ここも諦めた。湖畔はだめだな。

 体が冷えてきた。お腹はぺこぺこだしそろそろやばい。町役場付近に場所を移してみよう。
 町役場の先にホテルがあった。2階建てで横に長い造りのホテルだ。普通のビジネスホテルや観光ホテルとはあきらかに違う。昔のアメリカ映画に出てくるモーテルのようでもあった。
 ホテル前の駐車場は埋まっている。ダメでもともとと思いながら中に入り、泊まれるか訊いてみた。するとあっさりokの返事。洗濯機を備え、素泊まり3,300円。これはラッキーだ。
 ただし「音楽スタジオがあるので、夜中でも音が漏れることがあります。それでよければ」とのことだったが、泊まらせてもらえるだけでありがたい。
 
 このホテルは音楽活動をする人の合宿所のようになっている。布団の上げ下げを自分でやるのはもちろんのこと、部屋で出たごみは分別して廊下のごみ置き場に出す。24時間入浴できるラドン温泉があり、脱衣所に無料で使える洗濯機がある。
 そういう特別なホテルだから観光客の選択肢に入らず、空室があったのだろう。

 登坂累計は1600mにも及びとてもハードだった。でも峠越えがあり達成感充分な1日だった。

5月4日(日) 富士河口湖
 本日の走行距離 123.9Km
 本日の登坂累計 1612m

下記URLに写真をアップしました。
https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-wmkxb5djlcbhrudhip5772uz6e-1001&uniqid=c3379f2d-bd3e-4f1a-b81b-8ff0d4aff9a1

体力勝負の一人旅 No.306【西国三十三所編】

【25日目・2014年5月4日(1/2)】

 出発のとき、気になっていたチューリップのことを宿のおばさんに訊いてみた。
「長野県に入ってから庭先や道の花壇にチューリップを多く見るようになったんですけど、何かそういう会があるんですか?」
「そういうのはないわ。簡単だからじゃないですか、ほっといても次の年に出てくるし。」と期待外れの回答だった。私は素直には信じなかった。

 宿でもらった佐久の観光雑誌に五稜郭の記事が載っている。五稜郭と言えば北海道函館だ。その五稜郭が佐久市にもあるという。すぐ近くだ。これは行かずにはいられない。
 15分ほど走り臼田駅入口に来た。そこに「五稜郭」の案内板があり、案内に従い左折した。JRの線路を渡ってすぐ道は分岐するが案内板が見あたらない。うろうろして案内板を見つけたが「五稜郭」の案内はなかった。
 畑作業をしているおじさんに訊いてみると、親切丁寧に教えてくれた。そして「ゆっくりしていってください」ともてなしの言葉をいただいた。

 さっき見た案内板に「五稜郭」の文字はなかったが「龍岡城」の文字があった。龍岡城と五稜郭は同じものを差していた。すべての案内板に「五稜郭」を入れたほうが親切だろう。

 緩やかな坂を登ったところに五稜郭はあった。とても静かだった。観光客は3、4組しかいない。
 函館の半分ぐらいの規模だろうか。お堀の幅も半分かそれより短いかもしれない。お堀沿いに桜が植わっており、花見シーズンはにぎわうのかもしれない。

 橋を渡り五稜郭の中に入るとグラウンドと校舎があった。そこは田口小学校だった。
 五稜郭の中の小学校は当然日本でここだけだが、子供たちに特別な思いはないだろう。私もお城の中の小学校を卒業している。お堀を渡って校舎に入ることはごく自然だった。

 函館のように上から眺めるタワーがないので星形を自分の目で確認できない。しかしそばにある「であいの館」に資料が展示されていた。航空写真や函館五稜郭との比較資料などがあった。
 函館五稜郭完成の4年後に龍岡城は完成している。日本に存在する五稜郭はこの2つだけだ。

 であいの館では2人のおばあちゃんのおもてなしもあった。お茶を入れてくれておばあちゃんとの会話を楽しめる。2人とも田口小の卒業生だ。当時は1クラス50人以上いたとか、プールがどうとか、やがておばあちゃん同士で盛り上がった。

 日本で海から一番遠い地点がこの辺りにあるようだ。結構登るというので行くのはやめたが、観光名所作りにいろんなことを考えるなと思った。申請すれば認定証がもらえるらしい。

 五稜郭から緩やかな登り坂を走って40分ほどで小海にやってきた。町の庭先でかわいい人形をみつけたので自転車を止めて写真をパチリ。
 その人形は直径10cmぐらいの木を斜めに切って、切り口に顔を書いたものだ。いったいこれは何の人形なんだろうか。

 「手打ちそば300円」の看板につられて、会場である「小海町の駅」で一休み。ちょうど手打ちそばのとなりでトン汁の無料配布があったのでトン汁をいただいた。それでお腹が満たされ手打ちそばに手が伸びなかった。

 町の駅にもさっきの人形とそのイラストがあったので、トン汁を配布している方に訊いてみた。これは町のイメージキャラクターでプティリッツァという森の妖精だそうだ。さっきの人形は小学生が色つけ作業をする企画があり、そのときの作品だそうだ。
 かわいい人形が各家の庭先や玄関にあったら通りすがりの人たちの話題になりそうだ。

 トン汁で腹を満たした直後だったが行列ができているパン屋さんがあったので焼き立てパンをいただいた。もちもちしていてこれはおいしい。行列になっていなければ買い足したかった。

 左手に大きなパラボラアンテナが見えてきた。野辺山の電波望遠鏡だ。そして標高1375mのJR最高標高地点に到達。今日のスタート地点が700m弱だから登った標高差も700m弱だ。

つづく

体力勝負の一人旅 No.305【西国三十三所編】

【24日目・2014年5月3日(2/2)】

 体調が万全ではないものの追い風に乗って気持ちよく進んだ。上田城を経由して15時ちょっとに小諸に着いた。ここから徐々に登っていくはずだ。それとともにビジネスホテル系はなくなっていくだろう。早めの終了になるが、15Km先の中込駅付近の宿を予約した。

 17時に宿に着いた。まだまだ明るいので、あちこちに案内板がでている「ぴんころ地蔵」に行ってみることにした。
 この町は小さな駅の規模にそぐわないものがいくつもあった。

 まずは駅前商店街。規模は全然違うが、横浜元町商店街に似たオシャレな造りになっている。
 路上にパーキングエリアがあり、互い違いに配置されている。車は一直線に走れず蛇行して通るようになる。そこが元町っぽく感じた。そして頭上にはたくさんの鯉のぼりが泳いでいる。

 商店街を過ぎると飲み屋街だ。スナック系が目立つ。この雰囲気、北の漁村にある飲み屋街が頭に浮かんだ。商店街に隣接しているのも妙だ。

 ぴんころ地蔵付近には、高級そうな割烹や旅館があった。そして高価と思われる鯉料理の店が何軒かあった。そうか、佐久鯉の中心地はここだったのかと腑に落ちた。

 ぴんころ地蔵は白くて作り立てっぽく、見るからに新進のお地蔵さんだ。参道が整備され、両脇に出店もあるのは予想外だった。17時を過ぎているのに営業している出店のおばさんに呼び止められた。
 話を聞くと、おばさんの社長がぴんころ地蔵の発起人だった。ぴんころ地蔵は大往生を願う健康長寿のお地蔵さんだ。できてまだ10余年だそうだ。それなのに遠くから訪れる年配の方がかなりいるらしい。
 社長の本業は鯉店。それも佐久鯉の最初の店で老舗中の老舗。驚くことばかりだ。
 さらに驚いたことに、おばさんの孫娘は学生のとき東京からここまで歩いてきたと言う。チャレンジ精神の血がこの家系に流れているのだろう。

5月3日(土) 佐久市中込
 本日の走行距離 75.8Km
 本日の登坂累計 562m

下記URLに写真をアップしました。
https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-wmkxb5djlcbhrudhip5772uz6e-1001&uniqid=c3379f2d-bd3e-4f1a-b81b-8ff0d4aff9a1


体力勝負の一人旅 No.304【西国三十三所編】


【24日目・2014年5月3日(1/2)】

 昨日の疲れが残っているので朝はゆっくり10時過ぎの出発になった。
 長野駅付近から緩やかに上っている善光寺の参道を行く。参道とはいえこの辺りは駅前の一般道だ。仁王門の手前800mぐらいから車進入禁止になり、中高生ぐらいの子たちが路上に敷いたシートの上に鉢花を並べている。「善光寺花回廊」が今日から始まり、花アートを作っている最中だった。

 仁王門付近に自転車を止めて旅の目的である参拝に向かう。善光寺参拝の意味合いは、四国お遍路の後にお礼参りで高野山に行くのと同じだと思う。
 高野山のときは本堂までお墓に囲まれた長い道を歩き、遍路道中のことや親のことなどが思い浮かんでしんみりもした。善光寺は観光客が多く、賑やかで、高野山のような雰囲気はまったくなかった。

 仁王門、山門をくぐり、私も観光気分で本堂を参拝した。最後に掛け軸に納経をしてもらい、これで掛け軸が完成した。お寺の方が「これで満願ですね、お香を当てて軸を清めてください。」と本堂の手前で焚いているお香のほうを指差した。
 頭にお香をかけている人達に交じって、掛け軸をぐるぐる回しながらお香を当てた。あとは気を付けて小田原へ帰ろう。

 11時30分ごろ善光寺をあとにした。どうも鼻かぜをひいたようだ。今日は早めに終えよう。半日でどこまで行けるだろうか。

 南下して更埴に向かう途中、信号待ちをしていたサイクリング中の3人組に追いついた。前2人が男性で最後尾が女性だ。女性が混じっていたので先に行こうと思っていたが、時速30Km/h弱で走っていて結構速い。いったん間を開けたら次の信号待ちまで追いつかなかった。
 今度は間を開けず4人連結で走った。4人も連結すると空気抵抗がかなり軽減され、とても楽になる。このまましばらく連結走行していたかったが、行き先が違い4、5Kmで別れてしまった。
 最後尾の彼女は小さい一眼レフを肩に掛けて本体を背中で固定し、頭にはビデオカメラをバンドで巻いている。今後の参考にしたいスタイルだった。

 更埴、戸倉を抜けていく国道18号線を走る。千曲川に沿って南下していく快適な道だ。木曽川沿いの国道とまったく逆で、トラックは少なく、路肩は広く、アップダウンもない。さらに路面状態もよく、サイクリングに適した道だ。
 その道を向こうからゼッケンをつけた人が疲労感を漂わせて歩いてくる。何かの大会だろう、もう10人ぐらい見ただろうか。

 坂城町のコンビニで休憩をしていたら、ゼッケンをつけた人が近くに座りコンビニの揚げ物を食べ始めた。
「何かの大会ですか?」と訊いた。
「荒川から信濃川河口まで走る大会です」
「えっ?」と当然のように聞き返した。その大会は5日と半かけて513Kmを走るそうだ。4月30日に出発して今日で4日目だ。
「これから善光寺に行くんです」
「せっかく善光寺に行っても観光どころではないですね」
「善光寺にチェックポイントがあるんです。」
「もうあと2日ですね」と私が言うと、
「関門があって、明日の14時までにあと80Km走らないといけないんで、間に合わないと先に進めないんです。」
 すごい人たちがいるもんだ。初日の雨で足の皮が剥けたと言うので、「それでも走るなんてすごいですね」と言うと、
 生き生きした表情で「好きでやっていることだから」とさらりと言った。
 レベルは違えど、「あー、同じだな」と思った。私も「大変でしょ」と言われることがあり、その時は同じように答えていた。
 私より短い休憩時間で善光寺へ向かっていった。

 さっきの人はフルコースで、今日小諸をスタートするハーフコースの人がたくさん来ると言っていた。確かに今までとは違う元気な人が何人もすれ違った。
 そのたびに「がんばって」と声をかけたり、手を上げて応援をした。そのうちにこちらが元気になっていく。不思議なものだ。

つづく

体力勝負の一人旅 No.303【西国三十三所編】


【23日目・2014年5月2日(2/2)】

 塩尻の街が近づいてきた。ずっとお世話になってきた中山道といよいよお別れ。善光寺道と中山道の分かれ道にやって来たのだ。
 中山道は塩尻宿へ向かい、善光寺道は松本を経て善光寺まで行く17宿19里余の道だ。

 善光寺道に入ってから農地が広がってきた。ぶどうやももの木が目立つ。
 チューリップや水仙の花が庭先や路上の花壇に咲き、さまざまな色で通る人を楽しませてくれる。小田原の水仙はもう1か月前に終わっているので、気候の違いを感じとることができる。

 チューリップが花壇や道端を彩るようになったのはどこからだったろうか。ひれかつ巻きを買ったところよりも手前だったと思う。
 鳥居峠を越えて何十キロも続いているのは、長野県人にとってチューリップは特別なものなのだろうか。

 通り道の近くに松本城がある。行ったことがなかったのでちょっとだけ寄り道して再びコースに戻った。
 ちょっとだけにしたのは宿が心配だったからだ。この先は明科、生坂、大岡、信州新町、長野市と続く。長野市まで70Km弱だ。
 今は15時30分を回っている。長野市まではかなりきつい。明科はすぐに着いてしまうし明日以降がきつくなる。生坂、大岡に宿はないだろう。信州新町なら宿はあるかもしれないがそれほど期待できない。
 それに20年ぐらい前、明科から信州新町に行く途中で完全にバテバテになったことがある。小刻みなアップダウンが続いていたからだ。
 だからのんびりしていられなかった。

 犀川に沿って進んでいく。犀川は水を満々と溜めてゆっくりゆっくり流れている。
 道は小刻みなアップダウンを繰り返しているが20年前の印象ほど厳しくない。もっと厳しい木曽路を通ってきたからそう思うのだろう。

 少し辺りが暗くなるころ信州新町の住宅街に入ってきた。とても宿がある雰囲気には思えない。
 長野市まで30Kmないだろう。途中からは下りだったと思うし、ここで宿探しするよりも長野市まで行った方がよさそうだ。覚悟を決めた。

 完全に真っ暗になった。そこを下っていく。車のライトが頼りだ。今回ばかりは交通量の多さに助けられている。やがて国道19号線がバイパスと旧道に分かれる。そこで多くがバイパスへ行ってしまい、私の行く旧道の交通量が減ってしまった。
 街灯がないエリアも多く、本当に真っ暗闇の走行になった。

 長野市内が近づいたころインターネットで宿を予約した。19時45分になっていた。
 ホテルに着いたのは20時過ぎ。長野駅のすぐ目の前だった。こんな立地条件のよいところでも空室があったのは意外だった。

5月2日(金) 長野市
 本日の走行距離 138.4Km
 本日の登坂累計 m(電池切れで計測できず)

下記URLに写真をアップしました。
https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-wmkxb5djlcbhrudhip5772uz6e-1001&uniqid=c3379f2d-bd3e-4f1a-b81b-8ff0d4aff9a1

体力勝負の一人旅 No.302 【西国三十三所編】


【23日目・2014年5月2日(1/2)】

 朝方もかなり冷え込んだ。鼻はむずむずするし、鼻水が出やすくなっている。風邪をひいたかもしれない。お腹の調子も完治したとは言い難く、まずは寝覚の床観光で様子を見よう。
 寝覚の床はサザエさんのオープニングかエンディングで流れていたと思う。川のある一角だけ石柱がそそり立っている。不思議な光景だ。
 「寝覚」に意味があるのか気になっていたが、ホテルの人に確認したら地区名だった。
 寝覚の床へ行くには私有地を通らなければならない。普通、お寺を通るらしいがそれだと拝観料がかかってしまう。美術館に行く階段を使えば無料で行ける。ホテルの人が教えてくれた。
 当然、無料ルートで行ってきた。近くで見るのも迫力あるが、遠くから見て石柱がまるでダムのようになっているのもなかなかの景色だ。

 ここにも浦島伝説があって浦島堂が石柱の上に建っている。ただ残念なことに工事中でブルーシートがかけられていた。

 出発は10時過ぎになってしまった。今日も国道は走りにくい。平行して通っていそうな旧道を見つけてはそっちを走った。
 そんな中、宮ノ越宿本陣近くの地方スーパーでひれかつ巻きを見つけた。細長いひれかつがかんぴょうやマグロのように巻かれている。わさびの代わりはソースだ。
 値段はかんぴょう巻きと同じ100円。ひれかつ2本とかんぴょう巻き1本を昼食にした。
 ここからは鳥居峠に向けて標高をどんどん上げていく。トンネルが見えたてきた。工事中のため片側通行になっているトンネルの入口に交通整理のおじさんがいた。
 おじさんは歩道を通るように言ってくる。短いトンネルならば我慢できるが結構長いトンネルだ。「歩道は狭くて危ない」とか「パンクの心配がある」と言って車道を通らしてもらうよう何度も頼んだが、「みんな通っているから大丈夫だよ」と、頑として聞いてくれない。しぶしぶガードレールつきの歩道へ突入した。

 突入するなり冷気が前方から襲ってきた。相当な向かい風だ。慌ててレインコートを着た。
 幅が狭くて一本橋を渡っているような恐怖がある。ちょっとよろけただけでも後ろにつけたバッグが壁かガードレールにこすれる。転倒を恐れて壁やガードレールに片手をついた。そんなことが二度三度あるともういやになり、「あーっ」と叫びたくなる。
 ところどころに街灯が届いていない暗闇がある。自分のライトだけではまったく見えない。これは恐怖だ。
 歩くよりちょっと速い程度のスピードしか出せない。トンネルの長さを聞いておけばよかった。たぶん1Km以上あるだろう。いつになったら脱出できるのか。空気がクリーンなのが救いだ。

 大きな声で文句を言いながら走った。どれくらいたっただろうか。ガードレールが途切れているのが見えた。たぶん中間地点だろう。これで助かる、車道へ降りよう。そしてダッシュした。
 下りだったので結構スピードがでている。後ろから車が来る前にトンネルを脱出できた。

 下ってすぐに奈良井宿だ。宿場の入口でレインコートを脱いでいると、荷物をいっぱい載せた自転車がやって来て私の後ろに停めた。
「怖かった」が第一声だ。
 彼も年2回自転車旅行している経験豊富な人だった。その彼はずっと歩道を走って来たと言う。そして「今までのトンネルの中で一番怖かった」と言った。続けてトンネルを迂回する「旧道の峠越えのほうがよかったかも」と言った。そのぐらい難所のトンネルだった。

 ちなみに彼は各務原から来ていて2日目。昨日は馬籠でテント泊。
「旧中山道を走っているけど、宿場を見るのは馬籠、妻籠で満足して、もういいかな」と言う。

 馬籠、妻籠の人気ぶりを再認識して奈良井宿に入った。そして上には上があるんだなと思った。
 古い建物が残っているのは当然で、整備され活用されている。
 保存ではなく奈良井宿ブランドを利用して、奈良井宿と直結していないものでも販売している。宿場町がまだ生きているのだ。
 整備されている区間の長さも、案内所の人や警備の人など裏方さんの数も、私が見てきた宿場の中で最大だ。それも飛び抜けている。
 中山道など歩くつもりは毛頭なかったけど、この辺りは非常に興味を持ってしまった。

つづく

体力勝負の一人旅 No.301 【西国三十三所編】

【22日目・2014年5月1日】

 昨日、恵那まで行けなかった分を挽回したい。目標は110Km先の木曽福島だ。そこを過ぎると峠越えだからその先までは難しいだろう。

 国道19号線を東へ進む。当初はずっと国道を行く予定だったが、ショートカットできる旧中山道に途中から入った。

 カーブの多い坂道を登り、左の視界が開けたら、畑が広がる中に不自然に大きな岩があった。200mぐらい先だろうか。気になったが案内板もなく、名もない岩のようなので寄り道せず先へ進んだ。
 するとすぐ左に大きな常夜燈が庭園にあった。これも案内板がない。よく見ると柵で囲まれていて車道からは入れない。

 隣で農作業をしているおばさんに「あの大きな常夜燈は個人のですか?」と訊いた。
「そうです」とおばさん。
「見ることできますか?」
「隣は今いないけど、いいと思いますよ。そっちからは入れます。」
「個人のにしてはすごい大きいですね」
「お孫さんが生まれた記念に建てたんですって。」
 世の中には凄い人がいるものだ。
「向こうにある大きな岩はいわれがあるんですか?」
「ここ中山道が通っているから、昔お殿様が大岩のところで休憩したらしいですよ。昔は上に祠があったんですよ。上に登れますから行ってみたらどうですか。」

 行ってみると常夜燈は高さ5〜6mありそうだ。横にある石碑を見ると確かに「誕生記念、昭和63年12月吉日」と書かれていた。今年26歳か、この常夜燈を見て何を思うのだろうか。

 大岩は高さ6〜7m、幅10数mぐらい。上に登ると祠の柱を置いたあとが7箇所あった。確かに祠はあったのだ。かなり遠くまで見渡せるので行列を見ながらの休憩は気分がよかっただろう。

 とてものどかな旧中山道を太いエンジン音を轟かせて抜いていくスポーツ車がときどき通る。なんか場違いだ。

 やがて小さな宿場、細久手宿にやって来た。
 宿場の入口に黒い昔の建物があった。そこにかかる看板が視界に入った後、もう一度じっくり見つめた。赤字で「旅館」と書いてあったからだ。本当に営業しているのか?と思った。
 本陣が今も旅館業をやっているのだ。非常に貴重だ。私は貢献できないがこれからも続けてもらいたい。小田原に旧本陣・脇本陣合同の旅館があったが数年前に廃業になっている。だから特にそう思う。

 きつい登りはなかったがだいぶ標高を上げてきた。そして分かれ道。「大湫(おおくて)宿」の案内板の横に「YZサーキット」の案内板もあった。なるほど、場違いの車が多いのはこれだったか。
 しばらくサーキットから聞こえるエンジン音とタイヤのうなり音が私に気合いを注入した。

 国道19号へ合流するため大湫宿の手前で右折し坂を下り始めた。激坂だった。道は細く、カーブが多いので早めに減速しているが60Km/h近くまででてしまう。コースを知っていたらもっととばしていただろう。
 5Kmで250m下り国道に合流する。国道は路肩が狭い上にトラックの交通量が多い。さらに斜度7%以上のアップダウンが続く。
 これがもう15Km以上続いただろうか。国道を進むより、旧中山道の峠越えで馬籠、妻籠の宿場を通ったほうがよい気がしてきた。そっちへ行こう。

 斜度は国道よりも遥かにきついところもあるが、峠越えだと思うとつらさ半減どころか気持ちが前向きになっていく。
 そして着いた馬籠宿は当時の町並みがかなり残っている。家も手入れされていて町並み全体がきれいだ。それほど観光客は多くなかったが、外国の方が半数近くいるので驚いた。
 宿場町を県道が横切り分断している。後半も自転車で行こうとしたがあまりの急坂なので断念した。迂回する形になる県道でさえ激坂だった。

 馬籠宿を過ぎてもまだまだ登り、標高800m弱の峠を越えた。標高差400mぐらい登ったことになる。あとは一気に下る。4Kmで標高差300mぐらい下った。

 妻籠宿も充分町並みが残っている。こちらも外国の方が大勢いた。外国の方は日本人と違って、杖を持っていたり、リュックを背負うなどウォーキングの格好をしている人が多かった。
 馬籠より妻籠のほうが坂が緩くて日本人好みかもしれない。

 険しい中山道だからこそ昔の町並みがこれほどまで残ったのだろう。隣接するこの宿場は旧東海道では味わえない感動がある。

 再び国道19号線に合流した。木曽川に沿って登っていく。走りにくさは相変わらずだ。木曽川を覗くと大きな石というか岩がごろごろしているのが目立つ。水はその間を申し訳なさそうにチョロチョロ流れている。
 今までに大水がでたことは何回もいや何十回、何百回とあったはずだ。それなのになぜ岩が削られて小さくならずに残ったのか不思議だ。

 右のトラックに注意を払いながら走っていると、突然お腹が痛みだした。馬籠の下り坂でお腹を冷やしたのがいけなかったかもしれない。
 もう16時ごろなので、あまり無理せずホテルがありそうな一番近くの町、上松町の宿を予約した。上松町は景勝地「寝覚の床」で有名な場所だ。

 無理しなかったのは正解だった。腹痛はさらに悪化し、2回もコンビニのトイレに駆け込んでしまった。ホテルに着いても痛みは治まらない。

 フロントの人が「雨は大丈夫でしたか?」というので「途中少し降りましたけどレインコートを着るほどじゃなかったです。」と答えた。
 上松町はいっときだけど相当降ったらしい。雨中の腹痛だったら最悪だった。腹痛だけでよかったと思おう。

 上松町の夜は冷え込んで、温泉に浸かっても部屋はヒーターなしではいられなかった。

5月1日(木) 長野県上松町
 本日の走行距離 101.9Km
 本日の登坂累計 856m

下記URLに写真をアップしました。
https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-wmkxb5djlcbhrudhip5772uz6e-1001&uniqid=c3379f2d-bd3e-4f1a-b81b-8ff0d4aff9a1

体力勝負の一人旅 No.300 【西国三十三所編】


【21日目・2014年4月30日】

 朝、小田原は雨が降っていた。傘が必要なほど降っていた。レインコートを着用して小田原駅へ向かったが靴はびちょ濡れだ。大垣もこんな状態だとつらいな。

 9時過ぎに大垣駅に到着し早速雨をチェックする。降っているけれど粒の小さな小雨だ。これはラッキー、傘がなくても大丈夫だ。

 例によって自転車はヤマト運輸に送ってある。駅から1.7Kmほどの道のりを小雨の中歩いて行く。
 道沿いの花壇には赤や白のふわふわしたつつじの花びらがぎゅうぎゅうに押し込まれたように密集して咲いている。視線を下に落としてつつじを見ながら歩いていると、ピンクの花の絵とともに「市の花さつき」と書いたパネルが歩道に埋め込まれていた。ということはつつじではなくさつきだったようだ。

 ヤマト運輸で自転車を組み立ててさあ出発だ。かなり遅くなってしまいもう11時。今日の目的地である恵那まで110Km以上、厳しいかもしれない。

 まず目指すは谷汲山華厳寺。ここは昨年の夏のジョギング旅で、自力で行った最終地点。「旅の続き」のためには行かなければならない。

 道に迷いながら大垣の市街地を脱出すると、道の両側には新緑が映える木々が並んでいる。幹はやや赤茶色。これは柿だ。大垣は柿の産地だったことを思い出した。こんなに広い柿畑を見たのは初めてだ。

 華厳寺へは山越えの最短ルートにした。そうなると急坂は避けられない。斜度8〜13%が続く。距離が短いこともあるが、今日は初日でまだフレッシュ。難なく登り、華厳寺へ急いだ。

 昨夏は華厳寺のあまりの閑散ぶりに驚き、駐車場の広さや連なる店々からシーズン中は賑やかなのだろうと想像していた。
 今日はどうだろう?と周囲を気にしながら13時過ぎに到着した。今日も閑散としていて昨夏の光景がよみがえってきた。あのときも雨だったなぁ。
 似たような状況が旅の「続き」らしさを助長してくる。

 まだ20Kmちょっとしか走っていない。ここからは下りが続くだろうから挽回しよう。
 国道157号線で南下し岐阜市へ向かった。1時間ぐらい順調に走り、岐阜駅を通過。
 県道に入り、二又に別れる道に古い道標があった。「右信州善光寺道」と書かれていて、一番上にお地蔵さんが彫られている。裏に回ってみると明治35年とあった。
 私と同じように、当時はここを通って善光寺を目指した人が多くいた証拠だろう。なんだかうれしくなった。
 道標がある敷地は、以前建物があったところを更地にした感じだ。道標だけがポツリと残っている。よく残ってくれた。そして今後も残っていてほしい。

 各務原市(かかみがはらし)に入った。この辺も柿畑が広がっている。
 雨は降ったり止んだりを繰り返しようやくレインコートを脱げるようになった。気合いを入れ直したいところだが足がかなり疲れている。15時30分なのに半分も来ていない。もう恵那まで行くのは無理だろうけど、「次の大きな町に行ったら宿泊地を決めよう」と決断できない。

 やがて「犬山城2Km」の案内板が現れた。城好きの私はちょっとひかれた。お城見学をしてこの辺りで泊まってしまおうかな。しかし残念なことにもう16時10分。これではゆっくり見学できない。またの機会にしよう。

 次は中山道太田宿の案内が目に入った。行ってみると路面の色が茶色くなっていて中山道だとすぐわかった。道沿いの家々に屋号が表示されている。枡形の道もある。
 それなりの雰囲気はあるのだけど、東海道の宿場ほど好奇心が出てこない。疲れているからだろうか、先を急いでいるからだろうか。

 中山道から国道に合流したら「次の大きな町」は過ぎていた。恵那まで40Km、しかも20Kmは山道だ。あきらめよう。しかし戻る気はない。
 地図を確認すると4Kmほど先に、可児駅と新可児駅が密接している。JRと私鉄の駅だ。ここならば宿はあるだろう、行ってみよう。
 木曽川を渡って少し坂を登った先に町があった。駅前はなんにもなく、ちょっと不安になったが、タウンページでホテルを見つけて無事チェックイン。

 今日は全然だめだったけど明日はがんばろう。

4月30日(水) 岐阜県可児市
 本日の走行距離 81.0Km
 本日の登坂累計 384m

体力勝負の一人旅 No.296【西国三十三所編】


こんにちは

写真をわずか7枚ですがアップしましたので、パソコンかスマートフォンで下記URLからご覧ください。

http://yahoo.jp/box/OpAWsK

祇王井川とお寺の写真です。

今後は旅行中にアップできるよう考えます。

より以前の記事一覧