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2016年10月

体力勝負の一人旅 No.404【東北沿岸部を行く】


【16日目・2016年8月5日(4)】

 福島駅を降りると人、人、人。浴衣姿の人だらけ。駅へ向かっている人が多く、私は流れに逆らっていた。花火大会かお祭りのなのだろう。よくもこんな日に宿が取れたものだ。
 ホテルでチェックインの手続きをしていると、隣のカウンターで「今日は満室です」と一人の男性客を断っている。
 もし自転車でここを目指していたなら、21時30分ごろ着いて路頭に迷っていたかもしれない。危なかった。

 何のイベントか気になったのでフロントで訊いてみた。
「浴衣姿の人が多かったですが、何かやっているんですか?」
「お祭りをやっています。向こうの通りでパレードをやっています。」
 もう20時40分ごろなので、これから見に行っても間に合わないと思ったが、
「まだやっているんですか?見に行って間に合いますか?」と訊いた。
「まだまだやっていますから大丈夫ですよ」
 よし、夕食やお風呂はあとにして見に行こう。

 外へ出ると、会場方面のビルの屋上に設置しているLED点灯の鉄塔に目がいった。LEDなので色が赤になったり紫になったりとどんどん変わっていく。脇を通ると東北電力のビルだった。

 パレードの通りへ出ると歩道は見物客や店に並ぶ客でいっぱいだ。通りでは30~40人が1団体になり、ねぶた祭りのように掛け声を出して踊りながら進んでいく。踊っている人は皆いい表情をしている。
 威勢の良い掛け声と活き活きした表情が疲れを忘れさせてくれる。

 店頭に貼られたポスターを見つけて、わらじ祭りだとわかった。『日本一の大わらじ』と添えられている。大わらじといえばお寺だ。大わらじが奉納されたお寺が近くにあるのだろうか。
 わらじといえばわらじ娘を思い出す。4年前、本州縦断中に鹿児島で会ったわらじで旅する女子大生のことだ。もう社会人なんだなぁ、元気かなぁ。そんなことを思いながらホテルへ帰った。

下記URLに写真をアップしました。
http://yahoo.jp/box/XrQInM
一部のガラケーからは見ることができません。申し訳ありません。

8月5日(金) 福島
 本日の走行距離 125.51Km(一部計測できず)
 本日の登坂累計 566m(一部計測できず)
 本日の消費カロリー 4362Kcal


体力勝負の一人旅 No.403【東北沿岸部を行く】


【16日目・2016年8月5日(3)】

 岩沼を通過する。あまりアップダウンがないので疲労がたまっている足でもまだいける。とはいえ白石まで休憩なしは無理なので、白石まで20キロを切った『船迫』というところで休憩だ。
 コンビニでエネルギー補充をして、スマホでホテル情報を検索する。楽天で調べると白石駅周辺に空いている宿がない。近隣で探すと温泉の高い旅館しかでてこない。
 白石駅近くのホテルに電話してみると満室だという。「何かイベントの日なんですか?」と訊くと、特別そういうことはないという。ちょっと安心した。だけど早く現地へ行ったほうがいいだろう。

 18時17分に再スタートした。仙台からほとんど平たんで走りやすい。45分ぐらい走って国道4号線とお別れ、白石市街地を目指し左折した。
 19時16分、白石駅に到着する。想像したにぎやかさはない。本当に観光地だろうか。駅前にホテルが何軒かあるだろうと思ったが、駅から見えるのは電話で満室を確認したホテルだけだった。
 このときは駅から少し離れれば、あるいは数キロ離れている新幹線の駅へ行けば宿はあるだろうと思っていた。

 どの駅にもあるような周辺地図が載っている案内板でホテルの広告を探すが見つからない。本当にホテルがないのだろうか。
 駅員さんにホテルがないか尋ねると、満室だったそこのホテルぐらいしかないという。あとは旅館があるけど営業しているかわからないという。
「新幹線の駅のほうはありますか?」
「あっちにホテルはないです」
と意外な答えに、これはまずいかもと思った。

 公衆電話を探して電話帳で調べてみる。あまりにホテル・旅館の掲載数が少なくて、「なんで」と思った。満室のホテルと同じ町名のホテルは1つもない。駅周辺にはないということだ。駅員さんが言っていた旅館は廃業したのだろう。
 近くに温泉が2か所ある。どちらも10キロは離れていないが山道のようだ。今日はすでに125キロ近く走ってきたので、これから山を上る元気はない。
 スマホで検索しているうちに時間ばかりが過ぎていく。改札の上にある電車の発車時刻表示板が気になった。もし福島駅へ電車移動するならそろそろ決めなければいけないな。

 福島駅周辺ならばどんなに遅い時間に着いても宿はあるだろう。福島まで30キロか、平たんなら行けない距離ではない。自転車で行ってしまおうか。
 待て待て夜間走行は危険だ、そんなリスクを負う必要はないだろう。それにせっかくだから白石城を観てみたい。よし、ここは安全第一で電車移動にしよう。

 そうと決めたら自転車置き場を探そう。駅員に駐輪場を訊くと、駅の駐輪場はなく市営駐輪場が近くにあるけどもう係員はいないだろうとのこと。しかたないので止めさせてもらえる場所を探すことにした。
 と言っても商店街はどこも閉まっていそうだ。コンビニがあるがアルバイトに許可を求めても無理だろう。電車の時間が迫っていてちょっと焦っていた。
 そのとき道の向こうで店のドアが開き女性が出てきた。店の前に駐車スペースがありちょうどいい。閉店の準備だと思い慌てて道路を渡った。
 「すいません」と声をかけ近寄ると、夜の女らしき風貌だった。そんなことは構わず「ここに一晩、自転車を止めさせてもらえますか?」と頼んだ。
 開いたドアから店内が少し見えた。店内と言っても見えるのは廊下の華やかな壁。その廊下をちょっと怖そうな男性が横切った。ここは何の店だ?
「ここの駐車場はとなりのビルの駐車場なんです」と残念な返事だった。隣のビルはすでに閉まっている。

 もう探す時間はない。市営駐輪場に無断駐輪しよう。大慌てで市営駐輪場に止めてホームへ駆け込んだ。
 19時52分発のすいている電車に乗ってちょっと落ち着いた。

 一息ついたところで宿探しだ。県庁所在地だけあって楽天で難なく予約完了。地図を見ながらどこで宿探しをするのが正しかったのか振り返りながら福島駅へ向かった。

つづく

体力勝負の一人旅 No.402【東北沿岸部を行く】


【16日目・2016年8月5日(2)】

 震災前のJR仙石線沿いの道を進む。ゴールデンウィークは工事中で未舗装の迂回路になっていたところがつながっている。わずかなことでも復興の進みを体験するとうれしくなる。ちなみに今の仙石線は300メートルほど山側に移っている。

 松島から塩竈まで海沿いの国道45号線を進む。ゴールデンウィークに走った道だ。塩竈神社辺りから国道45号線を通らず内陸へ向かうルートにした。
 国道45号線で東から仙台に入ると転倒地点に行ってしまうので、県道を伝って南から入ることにした。
 県道は道がわかりづらく、県道35号線を進みたかったが自分がどこにいるのかわからなくなってしまった。うろうろしながらたどり着いたのは多賀城市役所付近のスーパーだった。思考能力が落ちているので食事休憩にしよう。

 パンを買い店頭の駐輪場横に座って食べていると、店員さんが「中に椅子がありますから入って食べてください。水もありますよ。どうぞ。」と言ってくれた。お言葉に甘えて冷房の効いた店内でいただくことにした。

 30分以上休憩し、現在地を確認しないまま出発した。道路の案内標識に仙台があったので従えばいいと思ったからだ。
 スタートしてすぐ多賀城駅があった。きれいな駅だ。線路を越えると小さな川が流れていて、駅周辺で工事をしている。もしかしたらここも津波被害を受けたかもしれない。帰ったら調べてみよう。

 道路標識に従い国道45号線に出て仙台入りした。その先で国道4号線に交差し、あとは4号線を南下すればよい。もう道に迷う心配はなくなった。宿泊地を決めればいいだけだ。

 まだ16時30分にもなっていないので仙台泊は早すぎる。明日午前中走って、新幹線の駅に着くぐらいがちょうどいい。
 案内標識を見ていると、名取、岩沼、白石、福島がでてくる。名取は近すぎる。岩沼はあまり聞かないが白石は観光地として有名だ。白石のほうが断然宿が多いはずだ。
 白石まで36キロ以上ある。到着は19時近くになりそうだ。もう少し近い方がいいが、岩沼で宿探しに時間を費やすぐらいなら白石まで行ってしまおう。福島はさらに30キロ先だ。さすがに福島は無理だ。

つづく

体力勝負の一人旅 No.401【東北沿岸部を行く】

【16日目・2016年8月5日(1)】

 昨夜はトレーラーハウスから外へ出て、星空を眺めながらTBCラジオのオールナイトニッポンミュージック10を聴いた。この日はパーソナリティーの斉藤由貴さんが仙台に来ているので仙台からの放送だった。
 最初にスピッツの曲がかかる。旅先で聴く曲はそのまま想い出になる。曲と景色や体験がミックスして記憶に残るからだ。今後しばらくはスピッツの曲を聴くと女川のこの夜を思い出すことだろう。
 斉藤さんの透明な声は星空を眺めるBGMだ。12時近くまでラジオを聴いていた。

 夜が明け、朝から雲一つないいい天気だ。昨日に引き続き暑くなりそうだ。
 当初は明日か明後日に石巻で旅を終える予定だった。石巻まで15キロしかない。もう少し足を延ばして明日帰ることにした。
 普通に考えれば帰る方向の仙台方面へ向かうのだろうが、ゴールデンウィークに仙台で転倒したいやな記憶があるので、どうしても仙台は避けたかった。ゴールは仙台より北の新幹線が止まる古川駅を候補にした。あとは進みながら考えよう。

 10時ごろ宿を出発する。こんな道を通ったんだなと明るくなった迂回を記憶にとどめながら通過した。
 女川駅前を通り国道398号線を東へ進んだ。なんだか足が重い。疲労が蓄積しているのか、それとも当初予定していた旅をほぼ終えて気が緩んだからなのか。明確な目的地もなく惰性で走っているので後者のような気がした。

 暑さで集中力が切れかかっているころジェット機の轟音が聞こえてきた。遥か前方で何機ものジェット機が飛んでいる。各機が違う方向に飛んだり、行ったり来たりしていた。
 そのうちジェット機が撒く煙で星形ができていることに気がついた。航空ショーだろうか。でもそのようなポスターは見ていない。とすると、練習だろうか。確か石巻に航空自衛隊があった気がする。
 しばらくは航空ショーを力に変えて集中力を保った。

 古川まで50キロないだろう。せっかく東北まで来たのだからあと50キロで旅を終えるのはもったいなく思ってきた。前回転倒した海側を避けて仙台に入ろう。それなら仙台に対する拒絶反応は起きないだろう、と自分に言い聞かせた。
 1回の転倒だけでその地を避けたくなる。津波被害を受けた人が海を避けることと程度の差はあれ同じ感情かもしれない。そう思うと海を避けては生きていけない方々は本当につらいだろう。

 航空自衛隊松島基地付近のコンビニでお昼ご飯を食べ、松島の東の半島を通る道『奥松島パークライン』を走る。松島を見下ろす大高森展望台へ行くためだ。

 左側は石巻湾。地図を見ると野蒜海岸が数キロ続いていて海水浴場のマークがある。しかし海水浴客が来ている様子はない。遊泳禁止になっているのだろう。
 この道も津波被害を受けていてあちこちで工事が行われている。有名な観光地のイメージを持っていたが案外何もない道だ。右側にホテルが見えたと思うと営業していなかった。たぶん津波被害のせいだろう。

 野蒜海岸沿いを3キロほど走って橋を渡ると松島らしくなってくる。左側は松島に浮かぶ島々のような地層の岩場が迫ってくる。小舟がいくつか浮かんでいる。岩場が外洋の荒波を防いでくれるので停泊所になっているみたいだ。
 右側に大きいホテルが見えてきて観光地らしくなってきた。そして大高森の登り口に到着。13時ちょっと過ぎだ。
 展望台へは歩かなければいけないようだ。標高差100mぐらいで所要時間は20分ほどらしい。あまりに暑いので自転車からペットボトルを抜き取って登山開始だ。

 10分ちょっとで山頂に到着した。苦労のかいあってよい眺めだ。
 松島湾の手前のほうに養殖いかだが浮かんでいて、その先に島々が見える。テレビや旅行チラシで目にする光景だ。夕日のタイミングだともっといいだろう。だが帰りは真っ暗な山道を下るのでロマンチックに浸ってはいられないかもしれない。
 野蒜海岸も見える。手前の木がちょっと邪魔しているが弓のようにきれいに反った砂浜が見えた。

 山頂の滞在時間は7分ほどで下山した。日陰に止めた自転車の温度計は34度を指している。さあ再スタートだ。

つづく

下記URLに写真をアップしました。
http://yahoo.jp/box/XrQInM
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体力勝負の一人旅 No.400【東北沿岸部を行く】

【15日目・2016年8月4日(6)】

 いくつかのアップダウンを抜けて女川湾を望む高台へやってきた。時間は18時30分を回っている。見通しのきくところで自転車を止め、夕映えの女川湾を眺める。
 山に太陽が沈んだ直後で、まだ明るい黄色い光が静かな女川湾の海を照らす。今日も一日いろんなことがあった。そんな振り返る時間をこの景色が与えてくれた。

 今日の宿は前回利用したトレーラーハウスだ。女川駅から丘を一つ越えて、造成中の高台移転地を通り過ぎた先にある。海から遠く感じるがここも津波被害を受けた場所だ。
 震災前は丘を越えなくても海からここへ通じる道があった。前回来たときはもちろんその道は通行止めだった。通行止めというよりどこが道だったのかわからない状態だった。

 もしかしたらその道が開通しているかもしれない。開通していれば女川駅まで行かなくてよく、ショートカットになる。海沿いを右に曲がれる道がないか注意して走った。
 もう完全に日が落ち街灯のないところは真っ暗だ。左側に魚市場、右側は震災後に建てた水揚げしたものの加工工場が並んでいる。
 右折する道があるとすればこの辺りかもしれない。右折すると駅前を通らないことになる。食事できるところは駅前しかないので、それはそれで困るが開通している可能性は極めて低いだろう。

 右折する場所が見つからないまま駅前に来た。食事する場所を見つけるのが次の課題だ。前回食事したところはもう閉まっている。開いている店はどこも満席だ。
 そうなるとコンビニ弁当になるな。弁当と飲み物を多めに買って丘を上った。

 丘を上りきると、ま、まさかの通行止めだ。この坂を下ればもう宿なのに迂回しなければいけないのか。
 迂回路を見ると2倍以上の距離がありそうだ。しかし問題は距離ではない。坂道の有無が気になる。さらに最大の問題は迷わずに行けるかだ。
 道はだいぶくねくね曲がっているし、目印はほとんどない。しかも真っ暗だ。自力で行くのは無理そうなので宿へ電話した。

「自転車ですけどこの迂回路以外行く道はないんでしょうか?」
「迂回路しか道はないんですよ」
「この地図だと道が良く分からないんですけど」
「これから向かいに行きます」
「自転車ですけど」
 コンビニ弁当をリュックに入れていることもあり、昨日のように自力で宿まで行く気はあまりなかった。
「自転車を車に載せますので」
 と言ってくれて一安心した。

 しばらく待っても車が来ない。迂回路はそんなに長いのか、いやもしかしたら私の居場所が正しく伝わっていなかったのかもと不安になった。
 そこへ1台の乗用車がやってきた。これでは自転車が載らないから違うだろうと思った。若い男性が下りてくる。「先ほど電話された方ですか?」と言う。宿の人だった。
「自転車を載せますか」と宿の人が言ってくれたが、どう見ても載らない。
「載せられないんじゃないですか」
「そうですね」ちょっとまごまごした感じになった。
「じゃあ、ついていくのでゆっくり先導してください。上り坂はありますか?」
「ここの坂を上ればあとは下りです。」
「荷物だけ載せてもらえますか。」
「どうぞ」と言って後部座席のドアを開ける。座席の上は荷物でいっぱいだ。「ちょっと待ってください」と慌てて荷物の整理を始めた。私はちょっと苛立っていた。
 作ったスペースに荷物を載せて出発する。ゆっくりと私の先導をして坂を上った。
 きっと新人君なんだろう。新たな雇用が生まれた証拠だ。それを願ってこのホテルを利用するのだからこんなことで苛立ってはいけないな。

 先導車は体育館の敷地へ入っていく。体育館の駐車場の一部が迂回路になっていた。体育館の敷地を通り抜けると街灯がまばらで一気に暗くなる。
 T字路を右折すると下り坂だ。先導車のあとを気持ちよく下っていく。自力ではスムーズにここまで来られなかったかもしれない。
 先導車も気持ちよく下っているのかどんどん離れていく。見失わないようにブレーキをかけるのは控えてスピードを上げるが追いつかない。
 暗くて路面状態がわからない上に、カーブの先がどうなっているのか当然知らない道をさらにスピードを上げ、「おいおい、もう少し後ろを気にしてくれよ」と思いながらスリル満載で下る。
 次の交差点で先導車が止まって待っていた。ここは見覚えがある。もう宿の目の前だ。
 宿に着いて、GPSの記録を確認すると迂回路は約2キロ、最高速度は38キロだった。

下記URLに写真をアップしました。
http://yahoo.jp/box/aHTkZH
一部のガラケーからは見ることができません。申し訳ありません。

8月4日(木) 女川
 本日の走行距離 94.19Km(一部計測できず)
 本日の登坂累計 1170m(一部計測できず)
 本日の消費カロリー 3808Kcal

体力勝負の一人旅 No.399【東北沿岸部を行く】

【15日目・2016年8月4日(5)】

 仮設商店街を発ってすぐ、前回はなかった小さな木造建築があった。外壁は木だがトレーラーハウスのようでもある。建物に『石巻市復興まちづくり情報館』と書いてある。
 中に入ると、高台移転地の工事の進捗状況や雄勝の歴史に関するパネルが展示されている。地元の人を対象にした施設のようだが、若い男性の係員が親切に説明してくれた。
 テーブルにiPadがあり、その横に消しゴム大のブロックがいくつかあった。係員が「本来ならこのブロックをiPadに乗せると、ブロックに対応したプログラムが動くはずなんですけど、異常な暑さで機能しないんですよ。」と教えてくれた。

 また寄り道をしてしまった。そろそろがんばって走ろう。国道398号線に戻って雄勝湾の南側を進む。たぶんここは国道だと思うが仮設道路のような路面と道幅だ。すぐ右の山側に平行した道もある。前回は山側の道を通ったかもしれないなと思いながら進んだ。
 すると前方で白い煙が上がっている。左カーブを曲がった先に見えたのは電柱に激突している軽自動車だった。その左側に工事関係者の車が止まっている。交通事故だ。

 どうやら軽自動車が単独で電柱にぶつかり、すぐ後に工事関係者の車が通りかかったらしい。工事関係者の2人が車から降りている。1人が警察に電話をしているところだった。
 フロントから白い煙が上がっている。ラジエーターの水蒸気だろうか、フロントの下から赤い液体が流れている。一瞬、血かと思ったが見える範囲では出血している様子はない。オイルが漏れているのだろうか?
 事故車の運転席で年配の女性がハンドルにもたれて痛そうな顔をしている。救助したいが近づいていいものだろうか。恐る恐る運転席に近づき「大丈夫ですか、どこが痛いですか、苦しいですか」と声をかける。
 本人確認をしようと思い、「免許書を出せますか、携帯電話を持っていますか」と聞くがうなずくのが精いっぱいのようだ。
 たぶん骨折かひどい打撲で腕を動かすことができないのだろう。車から休出するのは諦めよう。そうなると私に何ができる?

 警察に電話していた男性が警察の質問の応対に困っていた。「石巻の雄勝です。雄勝のどこかわからないです。」と聞こえてきた。
 そのころには通りかかった車から様子を見に下りてきた人が何人かいた。その中に女川方面から来た地元ナンバーの50歳ぐらいの女性がいたが、ここの地名を答えられるほど詳しくなかった。山側の道路からのぞき込む男性も地元の人だがやはりわからなかった。
 山側の男性のほうを見ていたら前回山側を通ったときのことを思い出した。この景色は硯石の店があったところじゃないだろうか。
「エンドー硯店の前です」と電話している人に告げた。さっき立ち寄ったまちづくり情報館でエンドー硯店の記述を目にしたばかりだからすぐに店の名前がでてきた。

 さあ、これで救急車は来る。「もう少しで救急車来ますからね」と声をかけるが反応がない。工事関係者の人たちや地元ナンバーの女性と「どうしよう」と話をするが何もできない。
 通りかかる車が地元ナンバーなら「あの方、どなたか知っていますか?家族に連絡したいんですけど。」と声をかけるが誰もわからない。
 事故車が道をふさいでいるので、地元ナンバーでなければ事故現場の少し手前から迂回路の砂利道へ進むよう誘導した。私たちにできるのはこのぐらいだ。

 さっきの地元ナンバーの女性が様子を伺いに運転席の近くへ向かった。「えっ!」と声を上げ、表情が変わる。「ちょっと、もしかして」と言いながらぐったりしている女性のそばで「よしこさんじゃない?」と声をかけたが反応がない。
 誰かはわかったがご家族の連絡先までは知らなかった。

 心配して様子を見ていた別の地元ナンバーのおじさんと地元ナンバーの女性は知り合いのようで、「xxさんのところのお嫁さんのよしこさんよ」と女性がおじさんに話をする。
 田舎らしく車から下りてくる人たちは顔見知りばかりで、けがをしている女性のご家族のことは知っているが連絡先まではわからない。工事関係者、旅人、地元民、ここにいる全員がなすすべなく弱っていく姿を見守るだけだった。

 救急車のサイレンが聞こえてきた。電話をしてから長いこと待たされた感じだが実際にはさほど時間はたっていないだろう。工事関係者や地元女性に「私はもう行きますね」と告げて女川へ向かった。

つづく

下記URLに写真をアップしました。
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体力勝負の一人旅 No.398【東北沿岸部を行く】

【15日目・2016年8月4日(4)】

 神割崎をあとにして海沿いの国道398号線を南下する。もうじきあの新北上大橋だ。ゴールデンウィークのときに通行止めだったあの橋だ。もちろん今回は旅行に出る前に、そして昨日もネットで通行止めになっていないことを確かめている。

 もう海岸線から北上川沿いの道に入っただろうか。河口が広いのでどこからが北上川なのかよくわからなかった。
 通行止めで大きく迂回したときのことを思い出しながら、そして今回は確認しているとはいえ少し不安になりながら、あの橋に近づいていく。
 不安とは裏腹に追い風に乗って足は軽快だ。迂回したときも一つ上流の橋から海に出るまで追い風だった。軽快さが余計にあのときを思い出させた。

 橋が見えてきた。復興工事車両のダンプカーが次から次へと橋を渡ってくる。一安心だ。
 橋のたもとに来ると工事中の立て看板があった。一瞬どういうことかわからなかった。近づいてみると、車道は10月31日まで工事期間だが通行止めにはなっていない。歩道は現在も全面通行止めだ。
 大型の工事車両が行き交う中を気をつけながら橋を渡った。

 橋を渡り終えてひと山越えれば雄勝町だ。雄勝町へ行く前に寄りたいところがあり、左折し土手を下った。
 下流方向へ延びる道路の川側は更地、山側は更地の先に壊れた校舎が残っている。ここは旧大川小学校だ。
 震災の日、先生に引率された生徒は避難のため橋に通じる道に出ようと川のほうへ向かっていた。そのとき川を上ってきた津波に飲み込まれてしまったそうだ。地震後すぐに避難しなかったことや川のほうへ向かったことなどから人災と報道されたりもした。

 道路と学校の境には石を数個積み上げたものがある間隔で並んでいる。よく登山で見かける光景だ。
 校舎の近くに慰霊碑があり、何組かのかたが手を合わせに来られていた。

 生徒の避難ルートを私もたどってみる。右前方は北上川の土手があるので川の状況は全く分からない。突然、津波が土手を越えて襲ってきたらとてつもない恐怖を感じるだろうし、パニックになるだろう。
 橋のたもとの少し高いところから学校を見下ろしてもう一度手を合わせた。

 ひと山越えて雄勝町に下りてきた。正確には市町村合併を経て石巻市雄勝町だ。北上川から北は南三陸町、南は石巻市だ。今日の宿は市町村合併をしなかった隣町の女川町で、このまま国道398号線を進んであと20キロほどだ。
 ここでまた寄り道をしよう。国道を左折し、前回も立ち寄った雄勝の仮設商店街へ向かった。道の右側は波がほとんどない穏やかな雄勝湾の海が続く。途中、右側に前回はなかったプレハブ商店街ができていた。徐々に復興が進んでいるようだ。
 2キロほどで仮設商店街に着いたが人気(ひとけ)がない。どの店も閉まっている。貼り紙を見て移転したことを知った。さっきの商店街はここから移転したものだった。

 移転先の商店街はあまりお客さんがいなかった。そろそろ17時になる。前回は昼時だったし、ボランティアの団体が来ていたのでにぎわっていた。それと比較してしまうから寂しさを感じてしまう。
 なんで移転したのか店の人に伺うと、道路工事が始まったのが理由だそうだ。もともと2年間の約束だったから仕方ないんだ、と言っていた。オープンは震災の年だから4年以上はやっていたことになる。

 静かな海のせいもあるし、閑散とした商店街のせいもあるだろう、のんびりした時間が流れている。まだ明るいがもう17時だ。そろそろ女川へ行かないとまともな夕食にありつけなくなる。さあ出発しよう。

つづく


体力勝負の一人旅 No.397【東北沿岸部を行く】

【15日目・2016年8月4日(3)】

 1時間20分ほど食事休憩をして南三陸さんさん商店街を出発した。海沿いの国道に出て、これから向かう方の逆へ数十メートル走った。ゴールデンウィークにも訪れた震災遺構に手を合わせるためだ。
 この震災遺構は防災無線で避難を呼びかけている最中に津波に襲われた南三陸町防災対策庁舎だ。道路の傍らに自転車を止め、手を合わせた。
 ゴールデンウィークに見た景色と多少違っている。工事の柵の位置が変わったり、盛土の状況が変わっているかもしれない。毎日毎日復興に向けて工事をしているのだから当然景色も変わるだろう。

 石巻方面へ向けて海沿いを1時間ほど走り、『神割崎』の案内に従い左折した。南三陸さんさん商店街で仕入れた観光ガイドに載っていた観光名所だからだ。
 キャンプ場を過ぎ、さらに進むと神割崎の駐車場だ。そこから階段を下りること1分ほどで海に出る。見えてきたのは左右に分断された高さ30メートルぐらいありそうな大きな岩場だ。
 巨大な斧で割ったかのように割れ目は垂直だ。ガイドに載っている写真は割れ目の向こうから朝日が昇ってきている。

 まだ下まで続いているのでさらに下りて行く。もうすぐ海岸というところで右下からザブーンと大きな音を立てて水しぶきが上がった。
 予期していなかったのですごい迫力というより恐怖を感じた。すぐ下には『地盤沈下のため波に注意してください』と書かれた看板があった。震災前はどんな感じだったのだろうか。

 もう少し近づいてビデオを構えて波を待った。そういうときは大きな波は来ないものでさっきほどの波しぶきは上がらなかった。
 波しぶきを見ていたらリアス式海岸で津波が高くなる構造と似ていることに気がついた。わずかな岩の割れ目をめがけて波がやってくる。割れ目に集中した波が行き場をなくして高く打ちあがる。
 波を打ち上げた割れ目は斜め45度の角度がついている。だから波が発射台から発射するかのように勢いよく打ち上がるのだ。

 波の恐怖を感じているうちに昨日泊まったペンションのおばさんの話を思い出した。震災から5年経っているのにペンションのあった大谷海岸から海を見られないと言っていた。やはりそういうものなんだろう。
 もし道の駅『大谷海岸』まで迎えに来てもらっていたら海を見てしまったかもしれない。
 いや待てよ、道の駅から海が見えただろうか。ホーム跡や線路には気づいたが、海の記憶は残っていない。迎えに来ようとしたぐらいだから海はきっと見えていないのだろう。

つづく

下記URLに写真をアップしました。
http://yahoo.jp/box/aHTkZH
一部のガラケーからは見ることができません。申し訳ありません。


体力勝負の一人旅 No.396【東北沿岸部を行く】

【15日目・2016年8月4日(2)】

 国道45号線をしばらく走り、あと5~6キロで志津川だ。ここで左折して国道と別れて南三陸町の仮庁舎がある方へ進んだ。その先にある荒島へ行くためだ。
 私の地図には仮庁舎と書かれているが、もう仮ではなく南三陸の町役場だった。他にも新しい建物があり、病院もある。ここが移転後の町の中心地になっていくのだろうか。

 新しい町を抜けて交差点に出る。案内標識は右折すると志津川町内になっている。そのまま直進して、海に向かって一気に下る。
 荒島は私の地図には『歩いて渡れる島』と書いてある。島には荒島神社があり、南三陸町のビューポイントのひとつだ。

 坂の途中で荒島が見えてきた。海岸沿いの道路の手前も海側もショベルカーが忙しく動いている。ここも甚大な被害を受けたようだ。島の入口付近も工事中で渡ることができない。
 島の左側の海に寝ているモアイ像に似た岩があるというので探してみた。震災前ならばそれを指し示す表示があっただろうが、海岸線にいけない今はここから探すしかない。
 たぶんこれかなと思うものを見つけてビデオに録ったがかなりこじつけに思えた。

 そろそろお昼なので志津川の『南三陸さんさん商店街』で食事にしよう。私の地図ではこのまま海沿いを進めば国道45号線に合流して商店街へ行ける。
 しかしさっきの案内標識が気になった。志津川町内が右折になっていた標識だ。下ってきた坂を上るのは避けたいが、このまま海沿いを進んでいいのだろうか。
 暑いので日影を見つけてもう一度地図を確認した。やはり海沿いでよさそうだ。そしてゆっくりと海岸線を進んだ。海沿いの工事現場は続いている。舞った砂が目に入るほどだ。この先で通行止めになっている不安に駆られた。そしてUターンした。

 下ってきた坂を上ると案内標識がある。左が志津川町内だ。こちらの方向でも同じ案内だったので、Uターンして正解だ。
 案内に従い左折すると、一度上ったのに徐々に下り始めた。下り切ったところで左から来た道と合流する。左を見ると見覚えのある海岸線だ。
 志津川町内へ向かわずに合流した道を左折した。するとすぐにさっきUターンした地点に来た。Uターン失敗だった。

 11時50分ごろさんさん商店街に到着した。昼時なので飲食店の中はどこもいっぱいだ。ショッピングモールのフードコートのように各店共用の飲食エリアがある。そこでいただくことにした。
 共用エリアは屋根がついているが基本的には外だ。扇風機とミストがあるがあまり効き目はない。店内ならもしかしたらクーラーがついているのかなと思うがしかたない。
 昨夏の茨城の暑さに比べれば大したことはなく、まだまだがんばれるぞ。こうやって経験をパワーにしていくのだ。

 1時間20分ほど食事休憩をして出発した。海沿いの国道45号線で陸前戸倉まで行き、そこから海沿いの道は国道398号線になる。398号線を10キロ弱走ったところで左折し、神割崎という観光名所へ向かった。

つづく


体力勝負の一人旅 No.395【東北沿岸部を行く】

【15日目・2016年8月4日(1)】

 昨晩は早めに寝たので、朝の5時前に日の出の明るさで目が覚めた。高台の建物なので外から覗かれる心配がなく、カーテンを閉めずに寝てしまったようだ。

 二度寝をして9時45分、宿を出発した。快晴ではないものの雨の心配がまったくいらないほど青空が広がっている。そして朝からやや暑い。
 今日の宿をすでに女川にとった。ゴールデンウィークに泊まったトレーラーハウスだ。当初の予定ではここに泊まった翌日に石巻まで自転車で行き、旅を終える予定だった。
 しかし予定より2日早く進んでいる。残り2日をどう使うか決めかねている。

 女川まで90キロぐらいだろう。余裕があるのでできるだけ気になるところへ寄っていこう。

 11時ごろ、坂を下って歌津というところへやってきた。左側に小高い丘があり、丘の上に神社がある。海へ向かっている道は丘の先で右に曲がり、海岸線と平行になる。
 海と平行になる道の海側は津波被害を受けている。神社は大丈夫だったのかそれを確かめたく、自転車をスローダウンさせた。

 神社に続く石段の登り口に工事車両が止まっていて仕事の邪魔になりそうだった。工事車両に近づくと作業者のおじさんが「神社へ行くの?」と声をかけてくれた。邪魔してまで神社へ行く気がなかったので「いやいいです。津波がどこまで来たか知りたかっただけです。」と答えた。
「森を見ると木がなくなっているラインがあるでしょ、あそこまで津波が来たってことなんだよ。」と教えてくれた。
「なるほど。ありがとうございます。」
「私もここの人間じゃないけど、何回もこっちに来るうちに知ったんだ。」
 小高い丘を見ると、石段の先に作り直したか、塗りなおしたと思われる朱色が映える鳥居が建っている。その辺りまでは木々がまったくなく、薄緑色の草に覆われている。そこより高いところは多少木が残っていて、本殿があり、本殿の裏は津波が到達していないと思われるほど木々があった。
 本殿に到達するかしないかのところで津波が止まったように見えた。そう思うことにして出発した。

 海と平行して走る道の海側は「伊里前(いさとまえ)復興商店街」という仮設商店街になっている。ここにもそこそこの規模の街があったということなのだろうが、商店街以外の建物は走りながら見ることはできなかった。

 商店街を抜けると道は右に折れ仮設道路になっている。歌津大橋通行止めの看板があった。津波で壊れてしまったのだ。
 元の道に合流してすぐに山を上っていく。山を見ると木々がなくなったラインがくっきり見える。そこまで津波が来たことを想像しながら上った。

つづく

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一部のガラケーからは見ることができません。申し訳ありません。

体力勝負の一人旅 No.394【東北沿岸部を行く】

【14日目・2016年8月3日(9)】

 平成の市町村合併と地域格差の話もしてくれた。おばさんが営業していた大谷海岸は旧本吉町だ。気仙沼市は本吉町の他に唐桑半島の唐桑町を編入している。
 合併直前は合併反対者と賛成者が町を二分する騒ぎになったそうだ。町で顔を見れば、あの人は賛成派だとか反対派だとかいう話になったそうだ。

 その原因の一つが財政問題。旧気仙沼市は漁業に集中的に資金投入したためその他に問題がでているという。財政状況は本吉町のほうがよかったそうだ。しかし旧気仙沼市民は自分たちの規模が大きいので「合併してあげる」と思う人が少なくなかったらしい。
 また子供たちの教育も本吉町のほうが充実しているらしい。役場で働く人の教育もそうだ。本吉町の役場はかなり以前からパソコンを導入して、全員が操作できるが、気仙沼はいまだにパソコンを拒んでいる人がいるらしい。
 そういう人が同じ職場で働くのだからストレスがたまるだろう。神奈川で働く私からしたら首をかしげたくなる。

 合併後に発生した震災対応も難しかっただろう。もちろん被害金額は旧気仙沼市が圧倒的に大きいから、復興費用も旧気仙沼市に集中的に投入されたことだろう。気仙沼港付近に復興マンションがいくつも建っていたので容易に想像できる。
 本吉町は集会所の再建にお金が回ってこなかったそうだ。そこで町民自らのお金を投じて集会所を建設し、完成したものを市に寄付したという。合併前に町が二分されても、そこは昔から続いているコミュニティーの力で成し遂げたようだ。
 そして自らの再建を決めると、日本の各地から様々な形の寄付があったという。

 上場企業の合併はその後の成否を報道されるが、市町村合併のそれはあまり耳にしない。だからいざ自分の町がそうなったときに対処法はわからないし、そもそもそうならないような行動を意識したことがない。それに気付かされた。

 ちなみに気仙沼市の南に位置する南三陸町も気仙沼市に合併する話があったが、南北に長すぎるので立ち消えたという噂もある。そうなると巨大化した気仙沼市と石巻市に挟まれた南三陸町と女川町は孤軍奮闘ということなのだろうか。
 地元の人との雑談タイムがなければこんな話も聞けなかった。どこまでが事実かは別にしても貴重な体験だ。

8月3日(水) 気仙沼 大谷海岸
 本日の走行距離 65.91Km(一部計測できず)
 本日の登坂累計 1033m(一部計測できず)
 本日の消費カロリー 3201Kcal


体力勝負の一人旅 No.393【東北沿岸部を行く】


【14日目・2016年8月3日(8)】

 国道から少し入ったところの海の見える高台に新築のおしゃれなペンションがあった。南側には花で作られたアーチのある洋風のお庭もある。観光案内所の方はいいところを薦めてくれたなと思い、顔を思い浮かべて感謝した。

 当然自転車の私のほうが先に着いている。おばさんは中に入っていていいと言っていたが、日が落ちないうちにきれいな庭と共に外観を撮っておこうと構図を考えているところにおばさんがやってきた。
 中へ案内されるとどうやら客は私一人のようだ。中央に吹き抜けの階段があり、2階に登ると吹き抜けを取り囲むように各部屋がある。部屋のドアはバリアフリーのスライドドアになっていて、重さだかバネだかで自動的に閉まってくれる。
 お風呂もトイレも新築感満載で最高だ。しかもリーズナブルだ。

 お風呂から上がって部屋に戻るころには食事の準備ができていた。1階の食堂へ行くとやはり客は私一人。
 嫌いなもの抜きの食材を使った見た目にもおしゃれな料理がテーブルに広がっている。私のためだけに作ってもらった贅沢な食事だ。ボリュームが多いので残さずに食べられるかプレッシャーを感じた。
 飲み物を入れてくれたあとステレオを操作して心地よいBGMが流れだす。おばさんはそのまま一つ離れたテーブルについた。

 「今日は私だけですか?」と訊くと、もう1人遅くに来るかもしれないという。私だけだと思いすごく開放感を感じていたので残念な気持ちになった。
 しかし来るまでは私一人だ。それまで別荘気分を味わうことにしよう。
 昨日までお客さんが多くて、明日からは高校生のバスケ部がいっぱい来るという。今日は合間の日だった。昨日のペンションとまったく同じ状況だ。

 そして食事しながらおばさんとのおしゃべりを楽しむ。これも昨日と同じだ。おばさんは旅行好きで、お客さんから旅の話を聞くのも大好き。ここで知り合ったお客さんの地元へお客さんの手配で、お客さんのガイド付きで旅したこともあるという。
 おばさんの旅話やこれからの旅計画にのめり込んだ。スケールは大きく、友人とオーストラリアを縦断もしくは横断しようという。当初はすべて車移動を考えていたが危険を減らすために電車も使うという。それでも壮大な計画だ。しかもまだ旦那さんには話していないそうだ。わくわく感漂うようなあるいはいたずらっ子のような表情で話してくれた。

 おばさんの旅行好きは子供のころからあちこちに連れていってくれた親の影響だという。それは私も同じで親に感謝しなければいけないことだ。
 自分だけが旅を楽しむのではなく、高齢になった母を各地へ案内して恩返ししなければと思っている。震災の年にがんが見つかり、亡くなってしまった父には申し訳ないが、私の心の中で生きている父はいつも私の旅行についてきているので、それで許してほしい。

 人生を楽しみまくっているようなおばさんだが、おばさんも被災者だった。私と待ち合わせた道の駅「大谷海岸」付近で営業していた。JRの大谷海岸駅と併設されている道の駅で、建物のすぐ海側に鉄道の痕跡が残っていた。
 おばさんのペンションはホームを見下ろすのに最適な場所にあった。BS番組で鉄道の旅をしている関口知宏が電車から降りてくるシーンがある。これはおばさんのペンションから撮影したものだ。
 当然、おばさんはビデオに録っていたが津波で流されてしまい、もう見ることはできない。

つづく

体力勝負の一人旅 No.392【東北沿岸部を行く】


【14日目・2016年8月3日(7)】

 ここへ来る途中におしゃれな自転車屋さんを見かけたがはっきり場所を覚えていなかった。観光案内所に戻って、「近くに自転車屋さんありませんか?壊れちゃったもので。」と少し焦って聞いた。
 案内所の方は即座に教えてくれた。さすがだ。

 すぐ近くだった自転車屋さんに行ってみるとロードバイクやオートバイを扱っている自転車屋さんだった。
 中に入って声をかけると、青いキャップを斜めにかぶった70歳ぐらいの職人っぽいおじさんが「今若いのが出ちゃっているからな、息子に任しちゃっているんだよ。」と言いながら出てきた。
 ちょっと不安だったが、「治るかわかんないけど、まあ見るだけ見てみるか」と言い、素手を油だらけにしながらいじり始めた。
 そして応急処置に取り掛かる。油の付いたプラスチック板をきれいに拭いて、ビニールテープでプラスチック板をスポークを止めてくれた。
「これでどうかな」
 見ていてかっこ良かった。
「おいくらになりますか?」
「いらないよ、このぐらい。」
 ますますかっこいい。お礼を言うと、おじさんは「志津川の手前の右側に自転車屋があるからだめならそこで見てもらいな。」と教えてくれた。

 自転車は調子いいがラッシュアワーのようで道路が混んで思うように走れない。左に見えてくるはずの大島を気にしながら走るつもりだったが、車に神経を使っていたらすっかり忘れてしまった。
 大島のことを思い出したときにはもう通り過ぎていた。そろそろ道の駅「大谷海岸」だ。

 ペンションのおばさんに大谷海岸に来たら電話するように言われている。最初は行き方を説明してくれていたが、私のわかりが悪かったので大谷海岸まで迎えに行くと言ってくれた。
 自転車なのは知っているはずだから車で先導してくれるということなのだろうか。
「自転車ですけど」
「車に載りますから」
「せっかくですけど自転車で行きたいので」
 観光案内所でこのような会話をしていたのだ。

 大谷海岸から電話すると、「迎えに行きますよ」とまた言ってくれたが再度断って行き方を聞いた。通りに面していないので、近くの信号のところで立って待ってくれることになった。
 そしてまだまだ明るい18時ごろ赤系の服を着た年配の女性が立っているのが見えた。国道だけど人がいるのは珍しいのですぐにわかった。
 女性は坂の上のペンションから5分ぐらい歩いて来てくれていた。

つづく

体力勝負の一人旅 No.391【東北沿岸部を行く】

【14日目・2016年8月3日(6)】

 セブンイレブンから峠まで5キロの道のりを30分ほどで上って来た。ここは石割峠だ。中央線のない細い峠道だが峠には祠に入ったわりと大きなお地蔵さんがいた。背丈は80センチぐらいだろうか。新しいユリなどが供えられている。ここは古道かもしれないな。手を合わせて坂を下った。

 後輪でカタカタ音がする。ギアの内側についている円盤状のプラスチック板がスポークから外れて音がしているのだ。
 原因はわかっている。朝、チェーンロックを後輪のギアに絡めたとき、スポークにはめる部分を割ってしまったのだ。応急処置というか、数か所あるはめる部分の1か所だけ無事だったので、他のはめる部分をスポークに寄りかけるようにして走ってきた。
 ときどき外れるのでそのたびにセットしなおしてきたが、いよいよその頻度が無視できなくなってきた。このプラスチック板は何のためにあるのだろうか。場合によっては外してしまおう。

 気仙沼湾にやってきた。ゴールデンウィークに走っているから驚きはしないが、かなり広範囲に盛土工事が行われている。
 ゴールデンウィークに通った道かもしれないが目印になる建物がないからさっぱりわからない。そのまま海沿いを進み、漁業関係の建物があるエリアにやってきた。
 地震で地面が歪んでしまったのか、あちこちの駐車場に大きな水たまりが目立った。私がここへ来る前にひと雨あったようだ。
 気にして駐車場を見ていると、満潮時に冠水すると書かれたものがいくつかあった。地震で地盤沈下したのだろう。そんなところで仕事をしなければいけないのかと思うと、いまだに非日常なのだなと思う。

 気仙沼駅が近づいて道が混んできた。志津川方面へ行くにはそのまま南下すればいい。しかし時間的に志津川の先へ行くのは無理なので、気仙沼市内で泊まることになる。宿情報を仕入れに西へ1キロほど寄り道して駅へ行くことにした。

 16時20分、気仙沼駅に到着し駅前の観光案内所に入った。
「志津川方面へ行くんですけど、あと1時間ぐらい行ったところで宿を探しているんですが」
 見せてくれた宿リストは唐桑のビジターセンターでもらったものと同じだった。それと地図を見ながら候補の宿をいくつか教えてくれた。かなり詳しい情報を持っているようなので、さらに洗濯できることと近くで食事できることを条件に付け加えた。
「ここなんかどうかしら。ここならまだ夕食を用意してくれると思いますよ。新しくてきれいですよ。」
「予約してもらえるんですか」
「できますよ。電話してみましょうか。」
「朝食付きで聞いてもらえますか」
「食事もおいしいですよ」
 ペンションというのが気になっていた。海沿いのペンションの食事だと苦手な魚介類中心になるだろう。ペンションだと堂々と食べ残すことはできない。
「好き嫌いがあって、魚だめなんです。」
「そういうことですか、それも電話で聞きましょうね」と言って電話をしてくれてた。
「お客様が魚が苦手なのでそれ以外で準備できますか」
「そうですね、お客様に代わりますね。」と言って電話を渡された。
 年配の女性の声だった。私の希望を聞きながらメニューが決まっていく。なんて贅沢なんだろう。ここを薦めてくれた案内所の方に感謝だ。

 案内所を出る前に濡れた道路を見て思い出すように聞いた。
「どのくらい前に降ったんですか?」
「30分ぐらい前にすごい雨が降ったんですよ、降られませんでしたか。」 なんてラッキーなんだ。たまにはこういうこともあっていい。

 案内所前の歩道の段差が高かったので押したまま車道に下りた。うかつだった。後輪のプラスチック板がさらに破損し、応急処置で対応できなくなってしまった。

つづく

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体力勝負の一人旅 No.390【東北沿岸部を行く】

【14日目・2016年8月3日(5)】

 来た道を戻って折石を目指す。地名でいうと「巨釜(おおがま)」、「半造(はんぞう)」という聞きなれないところにある。
 案内標識の巨釜・半造に従って右折し、細い道に入る。さらに分かれ道だ。右が半造、左が巨釜。どっちも景勝地のようだ。立ち止まってガイドマップを確認し、折石のある巨釜へ向かった。

 14時30分、巨釜駐車場に着いた。折石はここから遊歩道をさらに進まなければならない。荷物の引き取り時間が迫っている。行くべきかちょっと迷ったが、ここまで来たのだから行かずにはいられない。
 遊歩道入口に折石まで200メートルの表示があった。早足で進んでいく。道は海に向かってどんどん下る。岩場の海へ出ると海岸線の10メートルぐらい沖だろうか1本の石柱が立っている。

 案内板によると、高さ16メートル、幅3メートルの大理石で明治の大津波で先端が2メートルほど折れたそうだ。それが折石の由来だ。今回の津波のことは何も書いていないので被害はなかったようだが、真ん中より少し上の部分に割れ目が見える。次に折れるとしたらこの割れ目だろう。
 ガイドマップを見返すと、ビジターセンター付近の遊歩道に「津波石」の表示があった。今回の津波で高さ6メートルの岩を含む大きな岩が5個浜に打ち上げられた場所だ。そのうち道路が整備され車や自転車で行かれるようになるかもしれない。

 14時50分、巨釜を出発する。あと10分しかなくて焦った。来るときに案内標識に従って右折した交差点まで戻らなくてもよさそうな細い道があった。よしショートカット敢行だ。
 そして無事メイン道路に合流する。こういうときは実に気持ち良く、足が軽やかになるものだ。
 そのかいあってというか、意外に近くて15時ちょうどにセブンイレブンに着いた。中に入って荷物を預かってくれた男性を探し店内をぐるぐる回る。
 すると今さっき店を出た若い女性が戻ってきて、従業員専用の部屋へ入っていく。あれっ、アルバイトに人だったのかな、ぐらいしか思わなかったが、すぐ部屋から出てくるとそのあとに荷物を預けた男性も続いて出てきた。
 15時までの勤務時間を終えた彼女が私に気付いて呼んできてくれたんだ。なんて優しいのだろう。気づいてくれたことも含めて、従業員教育がしっかりしているというか、職場の雰囲気がいいのだろうと感じた。
 店を出ていく彼女に「ありがとうございました」と礼を言った。

 荷物を受け取り、腹ごしらえをして出発だ。とりあえず目指すは気仙沼の中心地、10キロぐらいしかないが峠越えだ。そして雲行きが怪しくなってきた。

つづく

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