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2016年9月

体力勝負の一人旅 No.389【東北沿岸部を行く】


【14日目・2016年8月3日(4)】

 津波体験を終えて展示フロアーへ戻ってきた。展示してある被災当初の写真を見て回っていると見覚えのある神社があった。
 これは加茂神社じゃないだろうか。車が本殿にめり込んでいる。さらに見て回ると見覚えのあるローソンが写っていた。荷物を預けたセブンイレブンの先のローソンみたいだ。
 その横の写真はコメリの屋根に車が乗っかっている。この景色も見覚えがある気がした。

 上映の案内をしてくれた女性に訊いてみた。
「あそこの車が突っ込んでいる神社ってここじゃないですか?」とスマホで撮った加茂神社の写真を見せた。
「そうです。加茂神社です。」
「いやー、今見てきたとこがこんなだったなんて・・・。」
 津波体験を終えたばかりなので余計に怖さを感じた。ちょっと間をおいて、
「そこのローソンの写真は唐桑のローソンですか?セブンイレブンが近くにある。」と訊いた。
「そうです。コメリの写真があったでしょ、コメリがあったところがセブンイレブンです。」
「えー、あの場所で屋根の上まで津波が来ちゃったんですか。」
 まさに今通ってきたところだから信じられない。コメリが再建を諦めたのでセブンイレブンが入居したのだろう。

「こんなにすごいのが唐桑を襲ったんですね。家は大丈夫だったんですか?」と女性に訊いた。
「私の家は唐桑ですけど奥の方なので大丈夫だったんですよ。」
 
 津波体験館ともう一つの目的である折石がどこにあるのかいまだにわかっていない。先ほどの女性に訊いてみると、
「もっとずっと手前の漁火パークの案内板のところを右に曲がるんです。」
 そしたら半島の先端じゃないじゃないか。結構戻るな。私の思い込みのせいだが予想外の回答に目を丸くした。
「たぶん通ってきたと思いますよ」と女性は付け加えた。
「あぁわかります。看板ありました。」
 からくわガイドマップを出してきて地図上でも説明してくれた。ここは唐桑町観光協会でもあるようだ。

 そうであればともう一つついでに訊いてみた。
「志津川の方へ行くんですけど志津川は泊まるところがないじゃないですか。でもできるだけ志津川へ近づきたいんですけど宿の情報ってありますか。」
 さすがは観光協会だ。気仙沼市の宿泊リストを取り出して目ぼしいところに赤丸をつけてくれた。
 隣にいる彼女の上司らしきおじさんがあそこはどうだ、ここはどうだと彼女にアドバイスする。
「そこは気仙沼じゃないんで連絡先わからないんですよ。」と言いながら自前のスマホを取り出して調べ始めた。
「ありました。電話番号をここに書いて置きますね。」と紙に書いてくれた。
 市町村合併のせいで思い浮かんだ宿が気仙沼なのかちょっと考えないとわからないようだ。合併前は唐桑町だけ知っていればよかったはずで致し方無い。
 旅行者は町や市にこだわらないこういうガイドを望んでいる。おらが町ではなく地域連携でガイドしてくれるとありがたい。

 志津川の手前で営業中の宿があるエリアをひと通り教えてくれた。震災で営業していないところがあるから、宿リストのあるガイドマップをもらっただけでは危険だった。親切に対応してくれて本当に助かった。感謝、感謝である。
 これで宿の不安なく体力に合わせて前進できる。

 おじさんが「これから一雨来そうだね」とつぶやいた。「降りますか?」と答えると、「昨日も降ったからね。予報も雨だよ。」と言う。雨が降る前に宿を決めたほうがよさそうだ。
 お二人にお礼を言って折石へ向かった。もう14時だ。15時までにセブンイレブンへ戻らなければいけない。折石へ行く時間があるだろうか。

つづく

下記URLに写真をアップしました。
http://yahoo.jp/box/WaCgcq
一部のガラケーからは見ることができません。申し訳ありません。


体力勝負の一人旅 No.388【東北沿岸部を行く】


【14日目・2016年8月3日(3)】

 セブンイレブンでの願い事というのは、荷物置き作戦のための荷物預かりのお願いだ。四国お遍路旅では山の上にあるお寺へ行って戻ってくることがときどきあった。そういうときは荷物を道端に置き、身軽になってお寺を目指す荷物放置作戦をとった。今回は放置ではなく預かってもらおうというのだ。
 いちばんお客さんのことを気にしてそうな店員さんにお願いしたら、即了解いただいた。アルバイト店員ではなかったようだ。

 何時ごろの戻りになるか訊かれたので、先端まで7キロぐらいだから観光するにしても2時間あれば十分だと思い、14時か15時ごろと答えた。
 そして12時30分、セブンイレブンを出発した。

 唐桑半島の先端へ行く理由は二つ。一つはビジターセンターの津波体験館が気になること、もう一つは前回気仙沼を訪れたときに観光情報でやたらと海岸の石柱「折石」がPRされていたからだ。

 多少のアップダウンを繰り返しながら先端へ向かった。地図上は半島の中央を貫く道なので尾根伝いなのかもしれない。
 南のほうが徐々に雲に覆われつつある。どこかの時間帯で一雨来そうだ。

 30分ほどでビジターセンターに着いたが一つ不安がある。途中まで折石の案内表示があったが後半は見かけなかった。折石の近くまで自転車で行けるのか、それともビジターセンターからかなり歩かなければいけないのだろうか。
 ビジターセンター入口にある地図を見て、とりあえず灯台まで歩くことにした。遊歩道を歩き始めて3分ぐらいで道がわからなくなった。いったんビジターセンターに戻って中にいる人にきちんと教わってから向かった方がよさそうだ。

 ビジターセンターは鳴き砂の展示や震災状況の写真が展示されている。別棟に津波体験館があった。上映時間までまだ時間があったが、他にお客さんがいなかったのですぐ上映してくれるという。入場券を買って中へ入った。
 椅子に座って待っていると、後方から「ようこそお越しくださいました。」と聞き覚えのある声で上映開始前のガイダンスが始まった。振り向くと入場券を売っていた女性だった。お客さんが少ないから一人二役で十分なようだ。
 販売時の話し方とだいぶ違ったのでちょっと驚いた。販売時は優しいお姉さん風で今はきりっとした『できる』ビジネスパーソン風だ。

 津波の上映が始まると冷風が吹いてきた。汗で湿った服を着ているので寒くなってきた。それでも津波でずぶ濡れになった人のことを考えると大したことではない。
 映像に連動して椅子が揺れたり、風が吹いたり、なかなか凝った作りになっていた。せっかくの施設なのにあまり人気がなさそうなのが残念だ。半島の先端という立地条件がよくないのだろう。

つづく

体力勝負の一人旅 No.387【東北沿岸部を行く】

【14日目・2016年8月3日(2)】

 いつ雨が降ってもおかしくない天気の中、国道45号線を南下する。
 今日もできるだけ海側を行ってみよう。国道45号線を外れて唐桑半島の先端へ行き、気仙沼の中心地を通過して石巻市まで行ければ行ってみようと思う。これで100キロになる。
 でも急ぐ旅ではないし、今のペースだと日を持て余しそうなので、価値あるところはしっかり寄り道するつもりだ。そのとき気をつけなければいけないのが、津波被害が大きく宿泊施設がない地域が広域にわたっていることだ。ゴールデンウィークに通っているのでその地域も危険性も承知しているつもりだ。

 やぎさわcafeを出てから20分ほど南下しただろうか、坂を下って海に出たところで盛土工事をしていた。
 坂を下り切る手前の右側に神社があった。加茂神社と書いてある。古い本殿なので、下り切る手前だから津波被害を受けなかったと思った。
 しかし近づいてみると、正面付近は工事現場に置くような柵があり、側面の扉はビニールシートが障子代わりのように貼られている。

 本殿と渡り廊下でつながれている家のご主人にお話を聞いてみた。やはり津波被害に遭い、中の建具などは流されてしまったと言う。いつまでになるかわからない応急処置を施したそうだ。ご主人の家も1階の半分弱浸かったそうだ。

 これでも本殿は以前より高台にあるという。本殿から石段を4~5メートル下りたところに鳥居がある。以前は鳥居と同じ高さに本殿があったそうだ。
 津波のこともあるしや国道がかさ上げされたこともあって本殿を国道と同じ高さの位置に移したそうだ。神社が津波を跳ね返すという私の神社パワー説は、ここには通用しなかった。

 下ってきた坂道を見返すと国道の右側、つまり海側の高台に鳥居が見える。さっきのご主人に訊くと、
「震災の時はそこへ逃げて助かったんですよ。」
「加茂神社とあそこの鳥居の関係はあるんですか?」
「ここの集落でお祀りしているんです。まあ昔々、その昔は向こうに本殿があったんですよ。」
 やはりそうだったんだ。加茂神社が被害に遭ったのは本殿を移したからなんだ。神社パワーは言い過ぎだろうが、先人は津波の来ないところに造っていたんだ。

 国道45号線を20分ほど走って県道239号線へ入り唐桑半島の先端を目指す。ところどころで斜度がきついところがあった。先端までこんな調子かもしれない。
 朝方と違っていつの間にか青空が広がり暑さが堪えるようになっていた。そんなとき右前方にセブンイレブンが見えた。
 時計を見ると12時をちょっと回ったところだ。セブンイレブンの200メートルほど先に行き先標識がある交差点が見えた。もしかしたらそこを右折すれば気仙沼市街かもしれない。それは半島の先端に行ってもまたここへ戻ってくるということだ。
 交差点まで行けば左にローソンがある。しかし手前のセブンイレブンで休憩することにした。なんとなくこっちのほうが願い事が通じる気がしたからだ。

つづく

下記URLに写真をアップしました。
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体力勝負の一人旅 No.386【東北沿岸部を行く】


【14日目・2016年8月3日(1)】

 ペンションのおばさんは9時40分ごろに病院へ行くと言っていた。だからあまりのんびりしていられない。
 9時30分ごろだっただろうか、焦りながら玄関の前で荷造りをしていると1台の車がやってきて玄関の前に停まった。

 50代ぐらいの男性が下りてきてこちらへやって来る。病院へ行くお迎えの車かと思い、玄関前をふさいでいる自転車を慌てて動かした。
 ガガッと音がして後輪がロックする。後輪を見るとチェーンロックがかかったままだ。伸び縮みするらせん状のチェーンロックだったので、すぐに気づかず後輪のギアに2、3回転して止まった。
 チェーンを引っ張っても簡単には取れず、手を油だらけにして悪戦苦闘している横でさっきの男性がおばさんと話をしている。なにやら保険か何かの継続契約を薦めているようだ。慌てて自転車を移動して損した気分になった。

 油だらけの手を見ておばさんがママレモンを持ってきてくれた。外の水道で手を洗いながら「すいません、もう病院へ行く時間が過ぎちゃいましたね」と世話の焼ける客になってしまった。

 9時45分、ようやく支度が整った。出発前にペンションの全景をビデオ撮影しておこう。日差しが強く全天の半分以上が青空なので暑くなりそうだ。しかし黒い雲のエリアもある。方角はたぶん南だろう。これから私が進む方だ。
 おばさんに別れの挨拶をしてからビデオ撮影を始めたが、病院へ行く気配がない。私が庭先でうろうろしているから出かけられないのかもしれない。ビデオ撮影を早めに終えて出発した。

 坂を下って国道340号線に出た。陸前高田未来商店街のある交差点だ。何か買えるものがあるかと商店街をのぞいたが10時前なので開いている店は少なかった。
 昨日来た道を戻らず気仙川方面の西へ向かった。昨日通った三陸自動車道のインターチェンジ付近の丘越えより、気仙川へ出て川沿いを海まで下ったほうが楽だと考えたからだ。

 仮設店舗が点在するエリアを通過し、気仙川が近づいてくると盛土工事エリアになった。砂ぼこりがすごい。そして交差点手前の案内標識を見て気仙川沿いの道がないことに気付いた。地図で確認するともともとそんな道はなかった。完全な勘違いだ。

 結局、来た道を戻って丘越えだ。気仙川を目指したことで、おばさんの家があったと思われるところやご主人が発見されたと思われる竹駒駅周辺を通った。ここから海など見えないし、国道を東へ進めば丘がある。ここに津波が来たなんて想像できない。

 三陸自動車道のインターチェンジ付近までは暑く感じたものの、丘を越えて海へ向かっていくと曇ってきた。下りきって盛土エリアを進むころには小雨が降り出していた。
 しかし海が目前になると日が差し青空が見えてくる。今日もころころ変わる天気になりそうだ。

 奇跡の一本松付近の仮設店舗やぎさわcafeは味噌のお店だ。ここにしょうゆソフトクリームがある。ゴールデンウィークに来たときは雨で寒くて食べる気にならなかったが気になっていた。
 3日前にのだ塩ソフトを食べ損なったこともあり、今日は絶対食べるぞと意気込んでいた。さっきの小雨のせいで暑くないがしょうゆソフトをペロッと食べた。さあ次の町へ向かおう。

つづく

体力勝負の一人旅 No.385【東北沿岸部を行く】


【13日目・2016年8月2日(8)】

「利用者はやはり福田荘に泊まったことがある人が多いんですか?」
「特にそういうわけじゃないわね。いろいろよ。」
「福田荘とペンション福田がつながってないのかもしれないですね。」
「ペンションを始めたら地震の日に泊まっていた人から連絡があったの。工事作業者が3人泊まっていたんだけど、その1人から連絡をもらって『亡くなったおじさんが、3人とも連絡がつかなかったからずっと心配していたのよ』と伝えたわ。1人は津波が来る前に避難して、2人はライトがついている鉄塔に登って助かったって言ってた。」
 さらにおばさんは続けた。
「でも鉄塔からすごい光景を目の当たりにして、若い1人は精神的にダメージを受けて入退院を繰り返しているって。」
 町が壊れていく様子を一部始終見てしまったからだろうか。
「津波って引き波と何回も来るでしょ。そのたびに真下を人が流されていくの。『助けて~、助けて~。』と言いながら。それをずっと見てたの、聞いてたの。」
 生の声は重い、重すぎる。でもこれが事実なんだ。

「福田荘のときは合宿免許の生徒さんが良く泊まるって言ってたけど」
「今もときどき回してくれるわ。自動車学校の当時の校長さんは前から津波が来るって言ってて、そこの高台にだいぶ前に移転したのよ。」
「移転前はどこにあったんですか?」
「海のところに道の駅があったでしょ、あそこにあったの。」
 奇跡の一本松のすぐそばだ。当時この辺では一等地だったろう。賃料が上昇傾向にあったことも移転の理由だそうだ。
 おばさんの旦那さんは建設関係の会社を経営していたので移転地探しをしていた。ときどきおばさんも同行して校長の目利きの良さを感じたそうだ。

 おばさんの旦那さんはもういない。津波で亡くなられてしまったのだ。近所の老婆を助けに家に入ったあと津波が来たらしい。旦那さんの人柄が想像できる。
 旦那さんの話に深入りせず、自動車学校の話をつづけた。
「自動車学校は被害全くなかったんですか?」
「直接的な被害はなかったけど、風評被害って言うの?しばらく生徒が集まらなかったらしいわ。」
 風評被害がこんなところにも及ぶなんて考えたこともなかった。

 話を聞けば聞くほどおばさんだけでなく、いろんな人の苦労や悲しみが伝わってくる。それを乗り越えてここまでやってきたのだろう。

 おばさんは一枚の航空写真を持ってきた。
「ここが私の家、この道路で主人が亡くなってたの」と話してくれた。
 その写真には街が全滅した様子が写しだされていた。竹駒駅があった辺りはまともな家が一軒も残っていない。いや、おばさんが指差したところだけ家が残っていた。
「鉄筋コンクリートだったからこの辺で唯一残った家なの。」

 家のすぐ左側に気仙川が写っている。「津波は川から来たんですか」と訊くと、「いや、こっちのほうから来たの」と川の逆側を指差した。「3階から見てたら津波が見えたので、慌てて裸足のままこの山へ逃げたの。」
 私は受け答えに詰まってしまった。
 少し間を空けて「この家は?」と言った。
「私どうかしてたのよね。ちゃんと考えられなかったの。取り壊しちゃったの。この家も、この家もこれだけ壊れているのに修理して今住んでいるのよ。うちは浸水したけど壊れてなかったのに。」
 こんなとんでもない被害を受けた人の気持ちはいくら考えても想像つかない。
「この写真見るのは久しぶりなの。・・・」と言ったまま悲しい顔になってしまった。
 もう震災の話はやめよう。

「昨日まで忙しかったのよ。明日も予約が入っていて、夕方あなたから電話をもらうまでは久しぶりにのんびりして、朝はゆっくり寝てられる思ってたのよ。」
 最後はまた親戚の家に遊びに来た感じの会話になった。朝食の時間を遅めにお願いして、さあお風呂をもらうことにしよう。

8月2日(火) 陸前高田
 本日の走行距離 96.95Km(一部計測できず)
 本日の登坂累計 1473m(一部計測できず)
 本日の消費カロリー 3855Kcal


体力勝負の一人旅 No.384【東北沿岸部を行く】


【13日目・2016年8月2日(7)】

 ペンションへ行くために坂を上る。坂は徐々にきつくなっていく。道を間違えたのでは、と思うほど上ったところに新しいペンションがあった。
 ペンションのオーナーとのお話が楽しみでもあり怖い気もする。軽い雑談ではなく真剣かつ慎重に話さなければいけないかもしれない。それは津波被害に遭われた方がオーナーだからだ。

 もう10年以上前になる。ここ陸前高田でこのペンションの前身ともいえる『福田荘』というところに泊まった。福田荘のおじさんは人と人を出会わすのが好きというか使命に感じているような、あるいは生きがいになっている感じの人だった。
 だからなのだろう、津波に流されてもまた宿泊業をやろうとしたのは。そしてここに『ペンション福田』として再開していたのだ。

 ペンション福田を知ったのはふるさと納税がきっかけだった。陸前高田市に寄付するときにメッセージを送れるようになっている。そこに「福田荘に泊まったことがある」と記載したのだ。
 すると「福田荘の方はペンション福田と名前を変えて高台で頑張っております。」と返信があった。

 その後調べてみるとおじさんは津波被害から逃れたもののオープン前に亡くなってしまったようだ。もう再会できないのは残念だがいつか訪れてみようとそのとき思った。

 入口を開けると60代と思われる女性が出迎えてくれた。他にお客さんはいなさそうで静かだ。木をふんだんに使った建物なので木の香りが漂っている。
 奥へ進んでいくとテーブルの上に大きな花を咲かせたゆりがあった。いい香りだ。
「いい香りですね、このゆり」
「そう、今日買ってきたのよ。いい香りなのでここで嗅ぎながらくつろいでいたのよ。」

 客室のある2階へ通じる階段は幅が広くて、小学校の木造校舎の階段を思い出した。こんなにゆったりした造りの宿に泊まるのはいつ以来だろうか。

 ここは夕食を準備しない珍しい宿なので、荷物を部屋に置いてすぐ食事に出掛けた。坂を下って仮設商店街まで行かないと店がない。おばさんは仮設商店街で食事できると言ったが、やはりほとんどの店は閉まっている。開いている食事処は寿司屋だけだ。
 魚が苦手なので100メートルほど先のスーパーで弁当や総菜を買って宿へ戻った。

 宿に戻ると「早かったね」とおばさんが言う。「閉まっているところばかりだったので弁当と惣菜を買ってきました。」と答えると、「どれどれ、じゃあこっちでいっしょに食べましょう。」と食堂に案内された。
 私はてっきり一人寂しく部屋で食べることになると思っていたのでうれしかった。

 おばさんは自分の食事を台所から持ってきて準備を始めた。
「いっぱい買いすぎたのでこの惣菜を半分食べませんか?」と私が言うと、
「マカロニサラダとおにぎりを食べない?このおにぎりは魚沼産こしひかりで冷めてもおいしいのよ。」と勧めてくれる。
 なんでも福田荘のときから魚沼産こしひかりを使い続けているという。こしひかりを売りにしているところは珍しくないが、魚沼産となると記憶がない。

 おばさんは「どうしてここに電話してきたの?」と言う。
「実は10年以上前に福田荘に泊まったことがあるんですよ。」と言うと喜んでくれた。ふるさと納税がきっかけなことも伝えると、「まあ、納税してくれたの、ありがとうございます。」と気持ちを込めてお礼を言われてしまった。
 『言われてしまった』と感じたのは後ろめたさがあったからだ。陸前高田に納税してもお礼の品が送られてきたり、寄付金の一部が税額控除されるので私の負担はほとんどない。お礼に値することはしていなかったのだ。
 また、一市民が陸前高田市を代表するかのようにお礼を言うのもすごいと感じた。残された市民が一致団結している印象を受けた。

 お礼の品でいただいたブランド米「たかたのゆめ」を広める活動をしている人と知り合いだと言う。地元の人だと思っていたが東京の人で、このペンションにも泊まったことがあるそうだ。
「たかたのゆめは冷めてもおいしいですね。」と言うと、よくぞそこに気付いてくれたと言わんばかりに「そうなのよ。そうなのよ。」と嬉しそうに言った。

 こうしておしゃべりしながらいっしょにご飯を食べていると、親戚の家に遊びに来たようだ。どことなく親戚のおばさんに顔が似ているので余計にそう思った。
 思えば福田荘もこんな雰囲気だった。外で食事を済ませて宿に戻ると、余った生の魚介類を振る舞ってくれた。苦手とは言え、食べてみたら生臭さがまったくなく意外と食べられた。そしておじさんが「まぁつきあえ」とビールを注いでくれた。
 おばさんにもそんな思い出話をして、亡きおじさんのことや福田荘のことをおしゃべりしあった。

 福田荘を営んでいたおじさん夫婦は避難して無事だった。数年後おじさんと奥様の妹さんがこのペンションを始める決意をした。奥様は高齢のため隣の家に隠居中で、妹さんというのが今いっしょに食事しているおばさんだ。
 しかしペンション建設に取り掛かった後おじさんが他界。もう後戻りできず、福田荘で皿洗いや後片付けの手伝いぐらいしか経験のない妹さんが意志を継ぐことになったのだ。
 宿経営は愚か、銀行のATMも使ったことがなく、特別な料理を作れるわけもない。でもやるしかなかったそうだ。それで夕食付きコースがないペンションになったのだ。

 つづく


体力勝負の一人旅 No.383【東北沿岸部を行く】


【13日目・2016年8月2日(6)】

 前回碁石海岸への道を閉ざされた場所へ来た。閉ざされたとはちょっと大げさだが最短コースが工事中で通れず、迂回路の案内板があったところだ。そして今も案内板は立っている。

 陸前高田へ向かうにはこの少し先を右折すればいい。しかし目印がないのでよくわからず案内板の前で地図とにらめっこしていた。
 すると歩いて坂を上ってきた中年女性が「どちらへ行かれますか」と声をかけてくれた。行き先を伝えると親切丁寧に教えてくれた。

「小学校のところで通行止めのところがありますけど、通れるので行っちゃってください。」とか「その先で行き止まりになりますが、ちょっと手前を右に曲がるところがあるので、そこを曲がってください。」とか「セブンイレブンの裏を通過して左に曲がれば県道38号線に出られます。あとはまっすぐ行けば国道です。」など地元の人ならではの案内をしてくれる。

 高台を走る県道38号線ではなく海沿いの道を進もうと思っていたので、その道への行き方を聞いてみると、「地震でガタガタなので行かないほうがいいですよ」と教えてくれた。
 さらにアップダウンを最小限にしようと陸前高田の海岸線に下りないルートも考えてくれる。地図上の三陸自動車道をなぞりながら「自転車が通れる道もあるけど、ここはわかりづらいし、ここは地震の被害でガタガタだし。」と言って、最終的に海岸線に下りるルートになった。

 出発すると女性は碁石海岸へ通じる道を下っていった。私は右折場所付近まで進んで振り返ると女性も振り返ってこちらを見ていた。右折場所を間違えないか気にしてくれているようだ。
 心の優しい方なのだろう。またいい出会いに恵まれた。

 途中、仮設道路を進んでセブンイレブンが見えてきた。ゴールデンウィークに通った道が今は通れなくなっているところもあった。津波被害が大きくまた広域にわたっているため暫定の工事が多いのかもしれない。
 高台から海側の道が見えた。私が行こうとした海沿いの道ではない。それよりもっと内陸側の道だ。車は通っているが未舗装路のようだ。海沿いの道はもっと悪い状態なのだろう。
 女性と出会わなければ何回も立ち止まり、地図を確認し、国道へ出る前に日が落ちたかもしれない。本当に助かった。

 18時20分、道の駅「高田松原」跡地に着いた。うっすらと暗くなっている。道の駅の建物は震災遺構として今も残っていた。外観の被害も大きいが内部は当時のまま残されているようで瓦礫が散乱したままだ。
 どこから侵入したのか入口よりも長い松の木が斜めに横たわっている。人間では太刀打ちできない津波パワーのすごさを感じた。

 あとは予約したペンションへ行くだけだ。ここから5キロぐらいだろう。奇跡の一本松の手前を右折して国道340号線に入った。
 津波前は家々や飲食店があった街の入口付近だったところだ。今は見渡す限り、土・土・土、盛土工事エリアだ。砂ぼこりが目に入り、当然路面に砂が浮いている。
 緩やかな坂を上っていき仮設の小さな橋を渡った辺りあから斜度がきつくなってきた。辺りはだいぶ暗いが前方の坂の上のほうはライトがいくつも付いて道路を照らしている。近づくとそこは三陸自動車道だった。
 これだけ高台にあれば津波がきても大丈夫かなと思うが、この辺りも盛土工事の形跡があった。こんな高台まで盛土しなければいけないのだろうか。

 自動車道を通過して坂を下ると仮設の陸前高田未来商店街だ。ペンションに電話予約したときに、夕食はこの商店街で食べられると聞いていたが、もうほとんどの店の明かりは消えていた。
 ペンションは商店街のある交差点を右折して高台のほうへ行った先にある。そろそろ19時なので食事前にペンションへ行くことにした。

 つづく

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体力勝負の一人旅 No.382【東北沿岸部を行く】


【13日目・2016年8月2日(5)】

 県道9号線に戻って峠越えだ。道が狭いので、四国お遍路やショートカットのために県道の峠越えを選んだ昔の旅を思い出す。国道の峠越えよりも斜度が厳しいだろうが、交通量が少なく木々に囲まれた田舎道のほうが好きだし、記憶に残る。

 苦労して峠まで来ると道が二つに分かれていた。県道9号線のほうを進めばいいことはわかっているが、景色もよいので地図の確認を口実に一休みしよう。眼下に海が見える。たぶん越喜来湾だろう。

 さあ下りだ。道が狭くきついカーブが多いので慎重に下っていく。半分以上下っただろうか、左下の方で道路を作っているのが見えた。トンネルを開けて峠を通らない道を作っているようだ。
 地元の人にとっては非常にありがたいことだろうが、また一つ味のある峠越えがなくなるのは残念だ。

 さらに下っていくと道が二手に分かれる。その左側に石碑と説明板があった。石碑は『明治三陸大津波伝承碑』でその隣に『伝承碑の趣意』と題した説明板がある。
 それは題名のとおり明治三陸大津波の惨状を後世に伝えるものであり、割と最近の平成10年に設置されたものだった。
 説明板によると、津波は東の綾里湾から入り標高32メートルの小さな峠を越えて、南から侵入してきた津波と連絡するに至ったそうだ。
 ここの地名は「道合(みちあい)」というが本当は「みずあい(水合)」だったのではないかと記されている。
 こうして地名に思いを込め、石碑を建て、避難を促している。東日本大震災では綾里湾が最大の波高40.1メートルを記録したそうだ。住民はみな逃げられたのだろうか。

 県道9号線はアップダウンを繰り返しながら大船渡湾方面へ進んでいく。対岸の大船渡の町を見ながら大船渡湾をぐるっと回るべく北上した。道合から50分ほどで大船渡湾に流れ出る盛川に架かる橋に着いた。
 橋を渡って大船渡湾の西側を南下すればすぐ大船渡の町だ。港に接しているためかこの辺りは工場地帯で大型車の往来が多く、路面は荒れ、空気が悪い。

 現在16時35分。大船渡に宿はありそうだが泊まってみたい宿が陸前高田にある。陸前高田まで20キロちょっとだ。行けるだろう。
 車の騒音が気になる中、宿に電話をして無事予約完了。これで一安心だ。

 ゴールデンウィークは国道45号線を通ったが、それより一本海側の県道230号線で大船渡湾沿いに南下していく。
 そこで目にしたものは津波被害の惨状だった。遠目には普通の5階建てぐらいの茶色い建物に見えた。しかし近づくと下の方の窓枠は外れ、荒れた室内が見えている。もちろん空き家だ。
 この建物は大船渡商工会議所。震災遺構として残しているのかもしれない。商工会議所を背にして辺りを見回すと、1台のショベルカーがせっせと動いて盛土工事をしていた。
 商工会議所があるからこの辺りが町の中心地だったのだろう。復興はまだ遠いようだ。

 その後も海沿いを進み、合流した国道45号線をちょっとだけ走りすぐに左折して海沿いの県道を進んだ。ゴールデンウィークに通って気持ちよかった広田半島へ行くためだ。
 ゴールデンウィークは碁石海岸へ行こうとして広田半島を通った。そのときは通行止めの道があり碁石海岸を断念した。今回は行ってみたかったがもう17時だ。あきらめようと思いながら見覚えのある道を逆走した。

 碁石海岸の案内に従って仮設の未舗装を進む。ここは前回通らなかった道だ。意外にも乗用車の交通量が多い。碁石海岸付近の宿を目指す人たちなのだろうか。
 私はこの先を右折して坂を上り、前回通った道に合流した。碁石海岸はまたの機会にしよう。

 つづく

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体力勝負の一人旅 No.381【東北沿岸部を行く】


【13日目・2016年8月2日(4)】

 大船渡へ行くには半島のつけ根を通る国道45号線のほうが近い。県道9号線は半島の海側を通る道だ。それでも県道を選んだのは、急ぐ旅ではないことと初めての道を行った方が楽しいし、津波の被害状況を知る上でもできるだけ海岸線を通りたかったからだ。
 さらに加えるなら、国道が峠越えということも心のどこかであったかもしれない。

 県道9号線に入ってすぐ大規模な盛土工事をやっている場所があった。さっき見た地名は確か「越喜来(おきらい)」だったと思う。見たことも聞いたこともない地名だ。
 ゴールデンウィークも今回も国道を中心に走ってきたので割と知れ渡った地名の海を見てきた。
 県道しかないような海沿いももちろん被害があると想像はしていたが、小さな漁村や人のいない場所ばかりで相対的に被害は小さいと思っていた。
 しかし少し高台から見える場所のすべてを盛土工事している光景を目にすると、全然小さな漁村ではなく、多くの住民がいた場所だろうと想像できる。
 有名な町だけを見て津波の被害を知った気になってはいけないと感じた。

 県道9号線の見どころと思っていたのは恋し浜駅だ。地図の一言コメントに『ここは無人駅 駅舎内のホタテ貝にメッセージを書こう』とある。きっとラブラブなメッセージが書いてあるのだろう。
 ラブラブなメッセージが気になるっているのではない。道が細く交通量が少なく、大船渡へ抜けるには峠越えになる県道で、観光地の通り道でもない。そんなところに駅名とホタテ貝の企画だけで人が来るのか?それが気になっていた。

 『小石浜』という地名を過ぎ、海を離れ坂を上っていく。歩いている人は一人もいない。この先に恋し浜駅がある。ということは『恋し浜駅』は人集めを狙った当て字なのだろう。

 県道沿いに駅があると思っていたが、坂の途中を左に緩やかに200メートルぐらい下ったところに駅があった。駅前に喫茶店らしき建物が1軒あるだけ。人影は見えない。
 見る価値がなさそうに思えて、いったん坂を下るのが億劫になった。まあしかし時間はあるんだ、寄り道していこう。

 車が2台ぐらい停まる駐車場に自転車を止めた。すぐ横にホームへ登る長い階段がある。階段の登り口に時刻表があった。3階建てぐらいの高さを登るのだからここに時刻表があるのは当然だ、なんて思いながらホームを見るだけ見ておこうとゆっくり登った。

 ホームに出たが誰もいない。右も左もすぐトンネルだ。左側に小さな待合室があった。窓越しに紐につながったホタテが垂れ下がっているのが見えた。
 待合室の入口に回ってみてびっくり、人が座るスペースがないくら垂れ下がったホタテで埋まっていた。ここはもはや待合室ではない。ホタテの倉庫だ。展示場というほどきれいではないので『倉庫』の印象だ。

 入ってすぐのところに段ボール箱に入ったメッセージの書かれていないホタテとマジックが置いてある。メッセージを書いて置いておけば、後で係の人が吊るしてくれるみたいだ。

 いくつかメッセージを読んでみたら、ラブラブなメッセージよりも復興を願うメッセージのほうが多かった。ラブラブなメッセージならすぐに飽きてしまうが、復興のメッセージだと次から次へと読んでしまう。
 そんな中におやっと思うものがあった。
『人生出たとこ勝負 グッチ裕三』
 本物だろうか。近くを探すと『彦摩呂』もあった。そして、
『恋し浜 三陸鉄道再開おめでとう! 八神純子』や『心ひとつに前進! 千昌夫』もある。すべて近くにあり、字体が違ったので本物だと思うことにした。
 私もメッセージを書いて『倉庫』を出た。

 さらにホームを歩くと下の道に通じるスロープがあった。このスロープも圧巻だ。スロープの両脇にびっしりホタテが吊る下がっている。さっき一組の中年夫婦を見ただけだが、多くの観光客が訪れる人気スポットのようだ。

 静かなホームとホタテの多さのアンバランスを感じながら階段を下りていった。すると釜石方面からトンネルを抜けて列車がやって来た。確か時刻表には上下ともに1日10本ぐらいしかなかったので貴重な光景だ。写真を撮っておこう。
 そうか、多くの人は列車でやって来て、途中下車するか逆の列車で戻るのだろう。その間でメッセージを書き、時間がありすぎるなら喫茶店で次の列車を待つ。そうやって地域貢献している駅かもしれない。

 つづく

下記URLに写真をアップしました。
http://yahoo.jp/box/W5qnXh
一部のガラケーからは見ることができません。申し訳ありません。


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