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2016年8月

体力勝負の一人旅 No.380【東北沿岸部を行く】

【13日目・2016年8月2日(3)】

 10時40分ごろ宿に戻ってきた。もうここも曇り空になっていた。
 預けた荷物を受け取り外へ出ると女神さまたちも見送りのために仕事を中断して外へ出てきてくれた。
 なんか申しわけなかった。
「荷造りに時間がかかるのでここでいいですよ」と言って仕事に戻っていただいた。

 荷造りが完了したのでお別れの挨拶をしに事務所へ行くと、女神たちは席を立ち深々とお辞儀をしてくれた。なんでこんなに別れ惜しいのだろう。

 女神たちが再会したい人の最後の人だ。旅はまだ石巻まで続くが旅の目的はだいぶ達成できた。少し気が抜けた感じがある。あとはのんびり行こう。

 国道45号線に出て南へ向かった。向かったといっても次の目的地はすぐ近くの『鉄の歴史館』だ。釜石大観音を左手に見ながら小高い丘を上り切ったところに歴史館へ続く道の入口があった。国道45号線はここから下るが、鉄の歴史館へはさらに上っていく。もう少しだがんばろう。

 宿から20分ほどで到着した。曇り空でも坂を上ってくると暑い。入場券を買って中に入り、まずは自動販売機で飲み物を買って休憩だ。
 何か上映物があるらしく、「あと5分で上映が始まります」と係員が教えてくれた。それまで冷たいものを飲みながらラウンジのようなところで休ませてもらおう。

 そこには釜石湾の防潮堤や防波堤に関する展示物があった。大震災前に大規模な防潮堤や防波堤を完成させたが、大津波で破壊され、勢いを止められず街に甚大な被害をもたらした。それを踏まえてもっと頑丈で大規模な防潮堤と防波堤を作ろうとしている。そんな展示物であった。
 津波は跳ね返すのではなく逃がさないといけない。という思いが日々強くなっているところにこの展示だ。多額の税金をつぎ込んでいるから復興工事も他人ごとではない気がしてきた。

 歴史館を出るとうっすら霧がかかっている。4階建て相当の歴史館の上のほうがかすんでいた。ずっとこんな感じで、暑くなく、雨が降らない天気でいてほしい。

 再び国道45号線に戻って南下する。途中食事休憩を30分ほどして走ること正味1時間半、国道45号線から県道9号線に入った。

 つづく

下記URLに写真をアップしました。
http://yahoo.jp/box/JCc6Uz
一部のガラケーからは見ることができません。申し訳ありません。


体力勝負の一人旅 No.379【東北沿岸部を行く】


【13日目・2016年8月2日(2)】

 宿から3キロほど走り、長いトンネルを抜けると青空が一変して曇り空になった。暑さは全くなく、涼しいぐらいだ。カッパを置いてきてしまったが大丈夫だろうか。

 出発して20分ほどで鵜住居の自転車屋さんに着いた。出発前に電話で営業していることを確認したから今日は大丈夫だ。
 店先におじさんがいた。プランター栽培のトマトの横で何か作業をしている。
「こんにちは。ゴールデンウィークのときにブレーキの修理をしてもらったんですけど覚えていますか?」
「覚えているよ。この間、写真送ってもらったよね。よーく来たね。」
「覚えてくれてましたか、ありがとうございます。」
 ご夫婦の顔を見て、お礼を言ったら帰ろうと思っていたが、
「もうちょっとで作業が終わるから、中に入って休んでて。」と言う。
 とは言え、中に奥さんはいそうもなく、1人ポツンと事務所で座って待つのもどうかと思い、雑談しながら作業が一区切りするのを待った。

 今回は客でもないのに作業を中断して事務所で私の相手をしてくれる。そこへ奥さんが帰ってきた。奥さんも私のことを覚えてくれていた。
「麦茶を入れてあげるね」と奥さんが言うと、
「ほらっ、あれあるだろ、出して。」とおじさんが言う。
「ビスケットね」と言い、ビスケットを出してくれた。

 事務所は冷房が入っていないが裏山から冷風がきて気持ちいい。朝は雨というか霧の中にいるような感じの雨だったそうだ。この時期はこういう日が多いらしい。距離にして7キロだがひと山越えた釜石市街とは気候が違うようだ。

 会話をしていたら奥さんが朝の電話を思い出し、
「もしかして朝電話をくれたのそう?」
「そうです。すいません、必要なことしかしゃべらなくて。」
 私が誰かを名乗らず、営業時間だけを確認して切ってしまったのだ。こんなに歓迎してくれると思わなかったので、迷惑にならないよう短時間で電話を切ったのだ。
「いや、私のほうこそ気づかなくてごめんなさい。」と奥さんは言った。おそらくちょっと考えれば思い出せそうなものが脳裏にあったのだろう。
「実は昨日18時過ぎに来たんですよ。そしたら閉まってたから。今日はやってるかなと思って。」
「昨日は工場に行ってたんだ。」とおじさんが言う。
 どこ?という表情をしたら、
「向こうの工場団地のほう。」
「工場は前からあったんですか?」
「いやぁ仮設だ。」
 話に盛り上がって被災地であり被災者だということを忘れていた。でも普段はそれでいいのかもしれない。

 軽トラに乗って年配のお客さんが2人やってきた。おじさんが「あれは漁師だ。見た目でわかるよ。」という。70歳ぐらいのお客さんが荷台から万力みたいなものを抱えて「これ治るかな?」という。ウニ漁に使う道具だ。
 仕事の邪魔をしてはいけないので機会を見て帰ろうと思ったが、おじさんの対応は私よりお客さんを早く帰そうとしているように思えた。
 常連客ではなく、あちこちで断られてここに来た感じだった。おじさんは「中古でよければ何とかしますよ」と言い商談成立。その間、運転手として来た60歳過ぎのガタイのいいおじさんはポケモンGOをやり続けていた。今、出ているらしい。
「私はなんだかわからないけどここによく出るっていろんな人に言われたわ。」と奥さんが言った。
 ポケモンGOに地域格差はないようだ。

 お客さんが帰った後もおもてなしを受け40分も滞在させてもらった。幸せな時間だった。最後に写真を撮ってお別れした。
 店の前から見えるラグビーワールドカップ会場の工事風景を写真に収めたかったが、店先まで見送りに出てきてくれているのですぐに走りだした。
 店からちょっと離れた上り坂の途中に自転車を止め、工事風景を写真に収めた。
 会場は津波で流された学校の跡地に作られる。おじさんは交通の便が悪く、宿も少ないここに作って大丈夫かなと心配していた。そしてあまりの会場の広さに終わった後のことも気にしているようだった。

 つづく

下記URLに写真をアップしました。
http://yahoo.jp/box/mRAb-s
一部のガラケーからは見ることができません。申し訳ありません。

体力勝負の一人旅 No.378【東北沿岸部を行く】


【13日目・2016年8月2日(1)】

 チェックアウトをしにフロントではなく事務室へ行った。ゴールデンウィークのときにお世話になった女神にお礼を言うためだ。
 中に入るとお世話になった2人のうち1人はすぐにわかった。入口近くにいる年配の女性だ。もう1人はあまり顔を覚えていない。というか女神に思えたので自分の中で勝手に女神像を作り上げていたかもしれない。

 前回は女性3人だけだったはずだが、女性2人と男性が2人いる。お礼の品代わりに買った飲み物の数が中途半端だがしかたない。お茶3つとコーヒー1つを差し出しながら言った。
「ゴールデンウィークのときは自転車屋さんを探していただきありがとうございました。本当は昨日もっと早く来てお礼に何かしたかったんですけど遅くなっちゃったもんで。こんなもんですけどもお茶と昨日のフロントの人にコーヒーを渡してもらえますか。」
 そして続けていった。
「確か女性が3人いたと思って3つ買ってきたんですが」と言うと、
「今日は休みなんですよ。昨日電話対応したものなんですけど。」と年配の女性が答えた。
 電話で自転車屋探しの話題を出して半額にしてもらえたので、休みの女性がもう1人の女神だと思った。
「会いたかったんですけど残念です。前回いろいろと対応してくださった方ですよね。」
「それは奥様と私です。」と若い方の女性が言った。どうやら年配の女性は社長夫人のようだ。
「すいません、ちゃんと顔を覚えていなくて。あのときは本当にありがとうございました。」
 確かに言われてみればそんな気がしてきた。本当は『女神のように思っていた』と言いたかったが面と向かって言うのは恥ずかしくて、お礼を言うのが精一杯だった。

 女神の顔を忘れてはいけないと思い「写真を撮らせてください」と言ったが、社長夫人からやんわりと断られてしまった。しかし奥にいた年配男性から「いいじゃない、じゃあみんなで撮ろうよ。」ということになり集合写真を撮らせてもらった。
 直接お礼を言えて、写真も撮らせてもい、朝から充実した滑り出しだ。

 お世話になりついでにもう一つお願いをした。
「これから前回お世話になった鵜住居の自転車屋さんに行って戻ってくるので、その間荷物を預かってもらえますか。」
 昨日宿に着いたときは鵜住居まで逆行するつもりは全くなかったが、なぜなのか朝ご飯を食べるころには行く気になっていた。天気が良いせいもあるし、フロントのおじさんとの再会がうれしかったからかもしれない。

 青空が広がり、9時とは思えない暑さの中を出発した。

 つづく

体力勝負の一人旅 No.377【東北沿岸部を行く】


【12日目・2016年8月1日(6)】

 釜石の中心地に向かう途中、小さな峠を越え道路工事中の下り坂を調子よく走ると工事中の小さな港に出た。港の入口にある防潮堤は無残に壊れたままだ。
 工事中の道はそこそこ標高があると思うが、津波被害を受けたから工事中なのだろう。ここは釜石市両石というところだ。
 港を過ぎるとすぐに上り坂になる。山あいの小さな港だから壊れた防潮堤の撤去が進んでいないのだろうか。

 18時50分、釜石駅近くのホテルに着いた。予約した旧館のフロントへ行くと前回と同じ見た目怖そうだけど優しいおじさんがいた。
「こんにちは、ゴールデンウィークのときに雨でずぶ濡れの状態で来たんですけど覚えてますか?」
「覚えているよ」と言いニコッと笑った。
 覚えてもらえてるだけでうれしくなるものだ。

 おじさんはA2サイズぐらいの大きな紙の予約台帳を開き、早速フロント業を始めた。
「半額券を持っているんですよね。半額にいたします。」とおじさんは言った。あまりのサプライズに私は目を丸くし、驚きとうれしさを隠せなかったが、すぐに”しまった”という表情になり、
「すいません、土日じゃないと使えないと思って持ってこなかったんですよ。」と言った。
「どちらからお越しですか?」
「神奈川です」
 質問の意図はなんだろうか。遠いところから来たから大目に見てくれるということなのか?あるいは期間限定だったから遠ければ半額券の二重使用はないと思ったからなのか?
「券に番号が振られていて、こちらで控えてますから大丈夫ですよ。帰ったら必ず捨ててくださいね。」
「わかりました」と答えたが、想い出のために取っておこうと思う。融通が効くおじさんでよかった。

「どちらも1部屋ずつ空いてますのでお好きな方でいいですよ。どちらも半額にします。」
 またのサプライズに「えっ」っという表情をした。
「こちらですとxxxx円、隣の新しい方は△△△△円。あれっおかしいな。」と言って、おそらく事務員から渡されたであろう金額の書かれたメモと電卓ではじいた結果を見比べていた。
「○○○○円になっているな」
 メモのほうが若干高い金額になっていた。再度電卓で計算しなおして、
「元の価格がこれだから△△△△円になります。」
 特別に半額にしていただいた上に、もしおじさんの勘違いでさらに安くなってしまったら申し訳ないと思い
「大丈夫ですか?」と言った。
「これが間違っているんだろう」とメモを持って独り言のようにつぶやいてから
「この書いたのが違っているようなので大丈夫ですよ。」
 おじさんはさらに続けて、
「新しい方は乾燥まで自動でやる洗濯機があります。どちらにしますか?」と言った。
 私は今回の旅の目的を考えていた。電話でついついケチ根性を出してしまったばかりにこんな事態になってしまった。新館の半額値ならば旧館の正規価格より安いので、これ以上ケチって旧館にすることはない。
「新しい方にします」と答えた。

 支払いを済ませた後、おじさんは荷物を持って新館の3階まで案内してくれる。ちょっといいホテル並みの対応に驚いた。でもフロントはおじさん一人なので、その間フロントを空にしてしまっていいのだろうかと心配もした。
「洗濯機はこちらです。スイッチを押せば乾燥まで自動でやります。」
「こちらがトイレでこっちがお風呂です。2部屋で共用になっているので、使っていたら少し待ってください。」
 風呂場はバスタブと洗い場が別れており、お湯張りはスイッチ一つの自動給湯、しかも追い焚きも付いている。
 普通のビジネスホテルとは仕組みが違うので、初めての人に対しては確かに説明が必要だ。寮の経営をしていたノウハウが詰まった仕組みなのだろう。

 部屋は広々していた。ソファーがあり、ノートパソコンを広げられるような机もある。仕事で一週間とか滞在するなら普通のビジネスホテルよりこっちを選ぶだろう。

 近くのイオンタウンへ夕食を買いに行ったついでに、おじさんと事務員の皆様に差し入れする飲み物を購入した。
 21時過ぎに宿へ戻るともうおじさんはいなかった。フロント業務は呼び出されたら対応する時間帯になっていた。

8月1日(月) 釜石
 本日の走行距離 106.05Km(一部計測できず)
 本日の登坂累計 1365m(一部計測できず)
 本日の消費カロリー 4234Kcal

体力勝負の一人旅 No.376【東北沿岸部を行く】


【12日目・2016年8月1日(5)】

 スーパーに自転車を止めた。現在時刻は16時30分のちょっと前。今日の宿はゴールデンウィークに泊まった釜石のホテルを予定している。残り25~30キロだから確実に行かれるだろう。

 昨日のことがあるのでホテルは決めていたがまだ予約していない。震災前は寮をやっていて、震災後にホテルにしたところで、事務の仕組みが普通のホテルとは違う。
 例えば、予約センターは日中の時間帯と夜間で受け付ける場所が違うようだ。ホテル業以外もやっている会社なので、日中はホテル予約とホテル業以外の事務も兼ねている場所で受け付けている。夜間は用務員のおじさんのような人が元寮の管理室でフロント業務をやっている。だから17時前に電話したほうが何かと融通が効きそうだ。

 ホテルに電話をして空きを確認すると、前回泊まった旧館と震災被害で立て直した新館ともに一部屋ずつ空いていた。新館は高過ぎるので当初から旧館の予定だ。電話するのが遅ければ満室になっていたかもしれない。危なかった。
 無事に旧館の予約を済ませたが、ちょっとここでケチ根性が出てしまった。旅に出る一週間ほど前、このホテルから土日限定の半額券が届いたのだ。土日に釜石泊になる可能性がなかったので券を持ってきていないにもかかわらず、しかも旅行の地に被災地を選んだのは”どうせお金を使うなら被災地で”という思いがあったのに、「半額券を使えるのは土日だけですか?」と聞いてしまった。
「申し訳ありません。土日だけとなっております。」と当然の答えだった。
 この女性は前回対応してくれた女性かなと思い、前回、自転車旅行中に利用させてもらったこと、そのとき自転車店探しでお世話になったことを付け加えて電話を切った。

 さあ、山田湾の地形を見ながら走ろう。スーパーで飲食休憩を済ませて16時55分の出発だ。
 山田湾の南東は突き出た船越半島が囲っている。この半島が湾を構成しているわけだが、船越半島のつけ根の南側にももう一つ船越湾という湾がある。船越湾沿いを国道が通っているが上り坂になっていてある程度行けば高台だ。

 山田湾を襲った津波の第一波は防潮堤が防いだが、山田の街を襲った津波は船越湾から船越半島のつけ根を越えてやってきたそうだ。
 確かにつけ根部分はくびれていて細い。国道でいえば1~2キロの距離しかない。だけどすでに上り始めていて低地ではない。
 地図上では国道より少し東へ行ったところがいちばんくびれていて1キロなさそうだ。国道から見えないがもしかしたら標高も国道より低いかもしれない。
 いずれにしろつけ根部分を乗り越えた津波が街を飲み込んでしまったのだ。この場に来ても想像しがたいできごとだ。
※地図のurl
http://www.its-mo.com/map/print.php?lat=141960844&lon=511272498&lvl=9&slat=142058110&slon=511038410&sicn=link02

 この船越という地名、もしかしたら過去に津波で船が越えてきたからつけられた地名ではないだろうか。それは考え過ぎだろうか。
 ちなみに小田原に船原(ふねはら)という地名が川沿いの高台にある。先祖代々の言い伝えでは津波で船が打ち上げられたのが由来だそうだ。
 帰ったら調べてみよう。

 ホテルに行く前に同じ釜石市の鵜住居に用事がある。そう、ここにはゴールデンウィークでお世話になった自転車屋さんがあるのだ。
 営業時間を調べてないが18時までに着きたかった。しかし着いたのは18時14分。仮設店舗はまだ健在で店頭に自転車やバイクが置かれている。
 開いていてほしいと思いながら近づくとカーテンが閉まっていた。扉は開かず、残念ながら中に人はいなかった。

 ここからホテルまで10キロ弱だと思う。明日わざわざここへ来てから南下する気にはなれない。今日で見納めになる自転車屋さんに手を合わせるではないが、ビデオを撮りながらありがとうと心でつぶやいた。

 つづく

体力勝負の一人旅 No.375【東北沿岸部を行く】


【12日目・2016年8月1日(4)】

 宮古湾を南下中になんとも神秘的な帯状の雲を見た。それは工事中の防潮堤の切れ間から宮古湾を眺めたときだった。
 海の向こうに宮古湾の向こう岸が見えている。たぶん重茂半島だろう。宮古湾に発生した帯状の雲は海面と平行に一定の高さを保って左から右へ続いている。帯の下側は海面にあり、上側から重茂半島の山々が覗いている。帯は左から右へ、つまり宮古湾の奥へ向かって流れている。
 もしかしたら宮古湾ならではの光景かもしれないが防潮堤が完成すると通行中に気付くことはないだろう。

 宮古の次の町は陸中山田だ。陸中山田から宮古へ過去2回行っているが国道45号線を通ったことがない。それはいずれも本州最東端のトドヶ崎へ行くため非常に険しい重茂半島ルート使ったからだ。
 それに比べると非常に楽な道のりで山田湾が見えてきた。海には養殖用のいかだが浮かんでいる。
 山田の街は海沿いを通る国道45号線から内陸に向かって広がっていた。街のほとんどが津波の被害を受けたことだろう。

 防潮堤の間を通って漁港へ出た。カモメが鳴き、波が静かで、人気(ひとけ)がなく穏やかな海だ。内陸のほうを向くと防潮堤で国道や盛土工事の様子はうかがえない。ここの防潮堤は見た目に古く、震災前からあったものだろう。ここから見えるものだけで感じると、ごく普通の地方の漁港で平穏な日常を送っているように思えてしまう。

 海沿いの民宿の2階からでさえも海の視界を奪った防潮堤が津波の第一波を防いでくれた。それで安心した住民が家に戻ってしまったという。そして津波は想定していないところからやってきた。これから通るところなので意識して進もうと思う。

 国道に戻ると内陸側にスーパーが見えた。ゴールデンウィークにも立ち寄った想い出のスーパーだ。そのときも触れたが、遥か以前に利用したことがあり、津波被害を受けてしばらく営業できなかったが、今では当時の面影のまま営業再開している。
 自然とスーパーへ足が向かった。

 つづく

下記URLに写真をアップしました。
http://yahoo.jp/box/6RdfEr
一部のガラケーからは見ることができません。申し訳ありません。

体力勝負の一人旅 No.374【東北沿岸部を行く】


【12日目・2016年8月1日(3)】

 国道45号線に出た。ここから宮古まで40キロ。中間地点より少し先に田老駅がある。その手前のコンビニまでノンストップでがんばろう。

 雨は降ったり止んだりでたまに強く降ったと思えば暑い日射しを受けることもある。田老が近づくにつれ日射しを受ける時間が長くなった。
 しばらく降らないとみて、後輪のキャリアに付けたバッグのジッパーを半開きにし、乾かなかったジャージとタオルを少し外に出した。これで少しは乾いて軽くなってくれるだろう。

 コンビニに着いたのは12時30分、島越集会所から約2時間だ。もし昨日集会所に寄らず宮古へ向かっていたら19時ごろここに着いていただろう。
 ここで夕食を摂ればもうこの後は夜道だ。宮古まで山道でトンネルもあり危険だ。宮古行きを諦めたのは正解だと思った。

 コンビニに入る前に濡れているジャージ等を自転車に広げた。かなり日射しが強いのでコーヒーでも飲んでいるうちにどんどん乾いてくれるだろう。
 店内に入り食べ物を物色していると一気に空が暗くなった。食べ物とアイスコーヒーを買ってカウンターに座ると小雨が降り出していた。
 これはいけない。あわてて自転車を軒下に入れ、干したものをバッグにしまった。なんて変わりやすい天気なんだ。

 雨脚がどんどん強くなる。強くなるどころか大雨注意報でも出ているんじゃないかというくらいだ。いつもなら外に座って食事するが、ここは店内にカウンターがあって本当に助かった。
 カウンターは私が来る前からノートパソコンを開いていたおじさんと後から来たハイキング姿のおばさんたち他数名でいっぱいだ。この大雨では動くに動けないのだろう。まあ私も同じで再スタートする気になかなかなれなかった。

 小降りになったので重い腰を上げる。もう50分近く滞在していた。今日の宿はスタートから100キロ先の釜石を予定しているので必死に走らなくてもいいと思っていたが、ちょっと休み過ぎたかもしれない。

 少し先の田老駅は高台移転した駅のようだ。歩行者専用のトンネルを潜って階段を昇るとホームに出る。津波を避けるためとはいえ、通勤・通学でこの駅を利用する人は面倒だろう。
 ホームから戻ると完全に青空で暑い。今度こそしばらく雨はないだろう。カッパを脱ぎ、裏返してバッグに詰め込んだ。そして濡れた部分をバッグから外に出して乾かしながらの走行にする。

 車が混み出しそろそろ宮古だ。島越集会所から4時間が経過していた。
 宮古駅は国道45号線より内陸に1キロ弱行ったところにある。ゴールデンウィークに駅周辺は散策したので、時間もないことだし寄り道せずそのまま国道45号線で南下を続けた。

 つづく


体力勝負の一人旅 No.373【東北沿岸部を行く】

【12日目・2016年8月1日(2)】

 昨日のおじさんに会えなかったので帰ったら手紙を送ろう。お礼を伝えたいのはもちろんだが一つ訊きたいことがある。
 それはボランティアの太めの女性の発した言葉についてだ。
「こっちに来るならもっと勉強して来な」
 昨夜からずっと気になっていた。
 あちこち工事中で見た目にもまだまだ被災地だ。心に傷を負った人、そんなことを言ってられずがんばっている人がいる。そこへろくに勉強もせず観光気分で来ていいのだろうか。被災者は私を見てどう思うだろうか。来たのは間違えだったのかと考えてしまう。
 ボランティアの意見ではなく被災者に訊きたい。でも訊いていいのだろうかとも思う。手紙に書いたところでおじさん達が否定的な返事をするとは思えない。結局、自分を正当化したいだけなのだ。

 走り始めてわずか2、3分で雨脚が強くなった。木陰を見つけてカッパを着る。昨日宮古へ向かっていれば雨に当たらなかったのにと思ったりした。
 昨日の2人のおじさんは集会所のある団地から離れたところに移転したと言っていた。道沿いに家を見かけるなり、ここかなという思いでのぞき見しながら走った。
 国道45号線へ向けてしばらく走っていると向こうから自転車で走ってくる人がいた。もう雨はほとんどやみそうな状態だがカッパを着ている。お互いカッパを着ていたせいか、ちょっと反応が遅れ、すれ違う直前にどちらが発したか「あっ!」と声を上げた。
「昨日の自転車の人?」とおじさんが言う。
「そうで~す。昨日のおじさんですね。いやー会えてよかった。」
 偶然の再会にうれしくてたまらない。小雨を気にせず立ち止まっておしゃべりを始めた。

「自転車でどうしたんですか?」と私は訊いた。
「昨日2時まで飲んじゃってね、若い人たちはまだ飲んでいたけどね。車を置いて帰ったから取りに行くんだよ。昨日のあなたを思い出してね、自転車で行くことにしたんだ。」
 それを聞いて、おじさんに訊きたかったことなどもう訊く必要はなくなった。私の趣味的行動がおじさんの気持ちに変化をもたらし、アクションがおきた。たった1回の瞬間的な気持ちの変化かもしれないがそれでもいい、十分じゃないか。来る資格など必要ないんだ。

「おじさんの家、何キロぐらい離れているんですか?」
「10キロぐらいかな」
「えっー、すごいですね。その距離を思い立って来ちゃうなんて。」
「いやいや、これ娘の借りて、ギアついているから」
 数分にわたって思いがけない会話を楽しんだ。再会させてくれてありがとう。別れた後、少しの間うるうるきてしまった。

 つづく


体力勝負の一人旅 No.372【東北沿岸部を行く】


【12日目・2016年8月1日(1)】

 朝7時に部屋のカーテンを開け、まだ寝起きでピントのあわない目のまま港を眺めると一人散歩をしている人がいた。傘をさしている。雨なのか。
 だんだんピントがあってきた。細かい雨が降っている。空にそれほど暗い雲はない。大雨にはならなそうだ。

 気になるのは洗濯物だ。部屋の風呂場で洗ったのは良いが、手絞りなので干したその場から水がポタポタ垂れる。垂れが収まってから部屋に干したが、やはり朝になっても全然乾いていなかった。雨では出発までに乾く可能性はないな。

 出発する9時50分ごろは雨が上がり曇り空になっていた。ギンギンに暑ければ濡れたジャージのズボンを履き、塗れたタオルマフラーを首に巻くのだか、我慢してもそんなことができる気温じゃなかった。
 濡れたもの全てをバッグに詰めると重たいので、せめて靴下だけは濡れたまま履いて出発した。

 昨日通ったヘアピンカーブの上り坂を進む。2回目だからか、涼しいからか、はたまた朝の元気なうちだからか、昨日より楽だった。昨日30分で下ったところを今日は35分で上れてしまった。
 集会所に寄って、おじさんがいればお礼を言っておこう。
 集会所前の駐車場で数名が後片付けをしている。1人だけ昨日お話した人がいたのでお礼を言うことができた。後片付けは若い人の役目だろうからおじさん達の姿はなかった。まあ若いと言っても40歳は過ぎているだろう。

 出発準備をしていると小雨が降り始めた。まだカッパは着なくて大丈夫そうだ。

 つづく


体力勝負の一人旅 No.371【東北沿岸部を行く】


【11日目・2016年7月31日(7)】

 集会所を出て10分ほどで漁港の先にある神社に着いた。神社は山側に100メートルぐらい入ったところにある。かなりの急斜面の先に入口を示すかのように白い幟が立っている。そこから赤い幟が続いている階段をジグザグに上った先に小さな本殿がある。今日お祭りの舞台になった神社だ。
 お祭りの舞台だから立ち寄ったのではない。おじさんが教えてくれたのだが、階段まで津波が来たが本殿には到達しなかった。不思議なことに本殿より高い位置にあった家は津波の被害を受けたという。だから神社のパワーにあやかるわけではないがお詣りしたくなったのだ。
 白い幟から右斜面を上ったところに神社があり、住宅地は白い幟の先、海から直線的に上った先にあった。この不思議は、冷静に考えれば神社のパワーで寄せ付けなかったのではなく、津波が直線的に進んだ先の住宅地のほうに津波パワーが集中したためだろう。
 だけど昨日の蕪島神社といい、被害を回避できた神社を立て続けに見ると神社パワーを信じたくなる。

 集会所から正味30分でホテルに着いた。フロントで「海側のお部屋をご用意いたしました」と言われ、おじさんにまた感謝した。
 エレベーターホールへ行くとテレビで見た映像と一致した。やはりここは扉の開いたエレベーターに物が吸い込まれる現象が起きたホテルだった。

 夜遅く、目の前の港に下りてみた。瞬く星々、波の音、人の気配のない空間。鹿児島の最南端に近いホテルでこうやって過ごしたことを思い出した。似たような環境だが8月下旬の鹿児島よりここのほうが涼しい。
 洗濯機がないことを除いては最高のホテルだった。

下記URLに写真をアップしました。
http://yahoo.jp/box/x35JxI
一部のガラケーからは見ることができません。申し訳ありません。

7月31日(日) 田野畑
 本日の走行距離 76.43Km(一部計測できず)
 本日の登坂累計 1125m(一部計測できず)
 本日の消費カロリー 3743Kcal

体力勝負の一人旅 No.370【東北沿岸部を行く】

【11日目・2016年7月31日(6)】

 幟のところまで戻ってくるとおじさんたちは左側の駐車場にいた。進行方向がさっきと逆なので左側は狭い方の駐車場だ。7、8人が集まっていた。
 おじさんのほうに近づいていくと
「おっ、戻ってきたね」
「戻ってきました。やっぱ無理かなと思って。さっき泊めてくれるって言ってたので戻ってきちゃいました。本当に泊めてもらえますか?」
「xxさんのとこ、泊めてやれば。一人だし。」ともう一人のおじさんにふった。
「いやいや、俺んとこは」
 さっきと雰囲気が違っている。まずいかも。でも「宮古のホテル、キャンセルしときな」とも言うので何とかなる(する)めどはついているのだろう。

 宮古のホテルに電話したらキャンセル料なしでキャンセルさせてもらえた。それを報告すると。
「ガショウに泊まれば、空いているでしょ。」とおじさんが言う。ガショウ?聞き取れなかったがこの近くの民宿か旅館なのだろう。
 そこへ座って煙草を吹かしていた50歳ぐらいの太めの女性が会話に入ってきた。
「ガショウはお風呂は11時まで朝は5時から入れるよ。なんで私が知ってんだっつうの。」
 威勢のいい女性だ。
「ときどき利用されるんですか?」
「年に何回か」
「近くに住んでいるのに?」
 話がかみ合っていないと思ったおじさんが助け舟を出す。「彼女はここの人ではないんだ。あなたと同じ方の人。」
 どうやら祭りのために東京からボランティアで来たようだ。

 会話の流れでもうそこに泊まることになりそうだ。他のおじさんも入って会話が進む。
「あそこなら空いているよ」
「でも今から食事は無理ですよね」と私は言った。
「一人ぐらい大丈夫でしょ」
「集会所に弁当が余っているから食べていけばいいでしょ」
「そうだ、そうだ、集会所入って食べてって。今ここでイカ焼いてあげっから。」
 駐車場の横にある建物がこの地区の集会所だ。

 食事にありつけるのはありがたいが、宿の場所と料金が気になった。
「ガショウですか?」
「ラガソウ。ここを下ったところにあるよ。」
「今上ってきたのに下るんですか?」
「来る途中にあったでしょ」
 私は民宿か小さな旅館を想像していた。港の近くでそのような建物はなかったし、田野畑駅までさかのぼっても心当たりはなかった。
「海沿いの白い建物だよ」
 それを聞いて、あっあそこかと思った。そうだとするとかなり遠い。
「田野畑駅のちょっと先のですか?」と私が思い浮かんだところを確認した。
「そこだよ」
「津波が3階まで来たとこだよ」と太めの女性が付け加えた。
「そうなんですか」と返答すると
「そんなのも知らないの。ここへ来るのに勉強不足だよ。もっと調べてから来な。」と怒られてしまった。
 エレベーター吸い込まれ現象があったところじゃないかと言おうとしたが、違ったらまた怒られそうなのでやめておいた。

 おじさんがラガソウに電話して予約を取ってくれた。料金が気掛かりだったが料金交渉もしてくれて、私でも泊まれる値段にしてくれた。
「ほらっ、食べな」と焼き立てのイカを持ってきてくれた。このあと始まる二次会用のイカ焼きを焼いてくれたのだ。
「うまい!」

 お弁当をもらうために集会所へ入ると、女性のきれいな歌声が聞こえてくる。羽田美智子似の20代の方だった。プロのような歌を聞き、お弁当をいただき、お茶までもらい、とても幸せだ。
 被災された方々のお世話になっている事実と太めの女性のきつい一言を受けて、私は被災地を自転車で旅していていいのだろうかと思った。

 18時30分近くになり太めの女性と同じボランティアグループの方が10人ほどやってきた。太めの女性は二次会準備のために先乗りしていたのだ。
 お弁当を食べ終えて集会所を出ると、駐車場で地元の人とボランティアの人がイカをつまみながらあるいは酒を飲みながら談笑している。ボランティアグループのリーダーと思われる方に私を紹介していただき、私もしばらく会話を楽しんだ。

 大きな幟の下のほうに名前がいくつも書いてある。最初のおじさん二人もボランティアグループのリーダーも名前が載っている。こういうのに名前を載せるのは初めてで感慨深いという。
 おじさんたちはボランティアなしでお祭りはできなかったと言い、リーダーは謙遜する。ボランティアがこの町に深くかかわり続け、なくてなならない存在になっていた

 おじさん二人は下の町で子供のころから隣同士の仲良しだ。でも今は二人ともこの移転地区には住んでいない。別の高台に住んでいる。
 お祭りは旧島越地区のものだし、この集会所も旧島越地区のものなんだろう。田舎ならではの一体感を体験させてもらった。

 二次会も加わりたかったが暗くなる前に出発した方がいいので18時45分に皆さんとお別れした。島越のみなさん、ありがとう。

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 つづく

体力勝負の一人旅 No.369【東北沿岸部を行く】

【11日目・2016年7月31日(5)】

 田野畑駅の後もアップダウンは続く。海沿いを走っていると通行止めの立て看板が見
えた。まさか!まぁ迂回路が書いてあるから戻らなくてもよさそうだ。でも困る。
 近づいてみると8月2日からになっている。危ない、危ない。今日は7月31日だ。確か
めるように腕時計に目をやった。

 通行止め間近の海岸線道路を進むときれいな港が現れた。ここも津波被害があったの
だろう。
 港の端にさっきの旅館のマイクロバスが止まっている。観光船発着所の看板があった
から時間的にお迎えだろう。

 ハンドルにつけたGPS機器でときどき地図確認をする。だいたいきつい上りが続くと
どこまで続きそうか推測したり、もう少しだ!と自分を励ますために見る。
 この先ヘアピンカーブがあり道のりほど地図上は進んでいない。谷を渡り、一山向こ
うへ行きそうだ。
 ヘアピンカーブの手前と先の合計3回、三陸鉄道のトンネルを跨いでいる。跨いだと
ころが峠であってくれ、と願いながら走る。

 トンネルを跨いでも跨いでも上りだ。でもあと2つ3つカーブをクリアーすれば直線と
緩やかなカーブしかない区間が続く。上りだとしてもきっと緩やかだろう。
 最後のカーブと思われるところを見上げるとイン側に新しそうな建物が見えた。上り
始めてから家を初めて見る。普通の一戸建てではなさそうだ。何かの施設だろうか。
 カーブを曲がり直線道路に出た。似たような新しい一戸建てが並んでいる。そうか高
台移転した街か!

 道の左側に広い駐車場があり、右側にも7〜8台分ぐらいの駐車場がある。右側に人が
集まっている。さらに道の先の右側に高さ5メートル、いや7メートルはあろうかという
白いきれいな幟が2本立っている。
 幟の裾を一人が持ち、一人がカメラを構えている。できたての幟のようだ。話を聞き
たくて休憩しながら撮り終えるのを待った。

 2人の年配男性に話を伺うと、今日は下の神社のお祭りで、ちょっと前に終わったの
で今年のお祭りに合わせて作った幟をここに設置したところだった。
「ここは新しい街なんですか?」
「津波に流されて、移転してきたんだ。下に駅があったでしょ。」
「田野畑ですか?」
「田野畑の次、島越っていう駅。」
「駅も流されて道路の上に移ったから気づかないかもね。」ともう一人が言った。
「駅の辺りに家があったんだ。」ともう一人が言う。
 場所が定かでない表情をしていたので
「港があったでしょ。」と付け加えてくれた。それでおおよその見当がついた。
 ということはここにいる方々全員が被災者なのだ。お祭りの日なのでにこにこしてい
るが、ご家族は無事だったのかなんて訊けなかった。

 話題は私のことになりいつものように「今日はどこまで行くの?」と訊かれたので、
「宮古です。」と答えた。
 2人は驚いて
「何時に着くんだ?」と言う。
「8時には着くと思うんですけど」
 今、5時をちょっと回っている。
「あと50キロあるよ」
 今度は私が驚いた。まさかそんなにあろうとは。もう少しで国道に出る。そこからは
40キロをきっていると思っていた。国道までだってせいぜい3、4キロだろう。
 おじさんが「無理だよ。運良く今日はお祭りで、これからそこの集会所で二次会があ
るから食べ物あるし、うちに泊まっていけば。お金取らないよ。」と言ってくれた。
 汗の臭いをぷんぷんさせているのに誘ってくれて嬉しかった。しかし今日に限って朝
のうちに宿を予約していたのだ。
「そうさせていただきたいとこなんですが、宿を予約してるので行かなきゃいけないん
です。」
 そのあとも何回か泊まって行くように誘ってくれた。田舎っていいなと思った。

 再スタートしたのは17時30分ごろだったと思う。体力的には到達できる自信はある。
心配なのは天気だ。今日も各地で夕方から夜にかけて強い雨が降るかもしれないと朝の
テレビで言っていた。そして進行方向の逆だが右後方に黒い雲が見える。

 緩い坂を自問自答しながら走った。
 せっかく誘ってくれたのを断って後悔しないのか。高知で断ったときは暫く後悔して
いただろ。キャンセル料と比べているのか。民泊だと二次会が終わるまで風呂に入れな
いぞ!いいのか?後ろ髪を引かれながら前進した。

 今回は田老駅に寄りたいと思っている。田老駅の少し手前のコンビニに着くのはぎり
ぎり日が落ちる前だろう。コンビニで食事している間に暗くなり、田老駅どころではな
くなるな。
 しかも雨が降ってきたら最悪だ。うーん、よし、戻ろう!
 
 つづく

体力勝負の一人旅 No.368【東北沿岸部を行く】

【11日目・2016年7月31日(4)】

 三陸らしい急坂を上ったと思えば下り、下ったと思えば上りだ。繰り返しながらとき
おり海に出る。
 入り江はどこも津波被害を受けているようで、防潮堤工事の真っ最中だ。
 被害エリアに奇跡の一本松ならぬ二本松というか一本は葉がないので1.5本松があっ
た。陸前高田だけが有名だが他にも何ヵ所かありそうだ。

 暫くアップダウンを続けていると今度は白い建物の高価そうなホテルが見えてきた。
今日海岸線で目にする一番立派なホテルだ。
 ちょっと見覚えがある。NHKで放送している東日本大震災関連の5分番組に取り上げら
れたホテルかもしれない。
 番組の内容は、エレベーターの扉が開き、物が吸い込まれる恐怖体験をしたというも
のだった。
 まあ、一人旅の私には縁のないホテルだけどもしそのホテルだとしたら営業再開でき
てよかった。

 ホテルを過ぎ、坂をちょっと上って下りに入るとピンクの花柄模様の建物が見えてき
た。田野畑駅だ。
 県道44号線を選んだもう一つの理由が花柄模様を見るためだ。ゴールデンウィークに
電車の中から見たが、表側しか花柄になっていないので電車からはわからなかった。
 2時間前に見た太田名部防潮堤からここまで目的のものがなかったので、ようやくと
いう感じだ。

 駅舎の中は売店と震災写真の展示ブースと震災の本が置いてある待合室兼休憩室があ
る。30分ぐらい見学したかったがもう16時30分近かったのでゆっくりしていられない。
 宮古までどのくらいか駅前にある観光地図を見に行った。地図を見て焦った。田老ま
で行けば宮古は行けたも同然と頭にあった。
 だが田老はかなり先だ。普代からここまでの倍以上ある。
とはいえ今日100キロ走れば宮古へ行けるはずだから無理とは思っておらず、自分の地
図で距離を確認することはしなかった。とにかく早く出発しよう。

 つづく

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体力勝負の一人旅 No.367【東北沿岸部を行く】


【11日目・2016年7月31日(3)】

 ひと山越えて野田の港に下りてきた。ここも大きな津波被害があったところで、防潮堤
の工事が行われている。
 何重かの防潮堤になりそうで、いちばん陸側の防潮堤は形をなしていた。横から見る
と下にいくほど幅が広くなり曲線が美しい。同じ曲線が美しい熊本城の石垣を思い起こ
させる。

 港からすぐに国道45号線に出た。南下する前にちょっとだけ久慈方面へ戻って道の駅
を併設した野田駅へ行った。
 小泉今日子も食べたと言うソフトクリームが評判だから食べてみたかったのだ。ゴー
ルデンウィークのときは着いた時間が遅く閉店後だったので、さらにその思いが強くな
っていた。

 3〜4人並んでいて期待が膨らむ。今日のような暑い日には最高だ。駅の待合室に座り
味わうのも忘れてペロリと食べてしまった。
 待合室には、野田村のガイドマップといっしょに野田村図書館の蔵書が置いてある。
なぜだかかなり古い斉藤由貴の本「透明な水」があり気になった。

 もう一度ソフトクリーム売り場を見てみると、ここの売りはのだ塩ソフトだった。私
が食べたのは普通のソフト、失敗だった。

 国道45号線を宮古方面へ南下する。暫く進むと防災無線から「13時50分ごろ普代水門
付近で熊が出没いたしました。付近の方はお気をつけください。」と流れた。
 今回は普代で内陸に行く国道45号線と別れ、海側の県道44号線を進むことにしている

 県道44号線へ行く目的の一つが普代水門だ。高さ15.5メートルの普代水門と近くの太
田名部防潮堤が津波から村を守ったと報道されている。

 県道44号線に入り、川沿いを下っていく。川の両側を山が囲んでおり、繁みに熊がい
たとしても気づかないだろう。ただ交通量が多く、こんなところに出るのか?とも思う

 14時20分ごろ普代水門に着いた。怖いので独り言を言ったり歌ったり、声を出しなが
らの見学だ。
 説明板によると、2つとも昭和40年前後の着工で、高さ15.5メートルにこだわる当時
の村長が国や村民の反対を押しきって建設したものだ。
 実際、今回の津波は普代水門を乗り越えてしまったが効果は大きかっただろう。
 熊が怖いので写真を撮ってすぐに立ち去った。

 水門の下流は盛土の工事中だ。工事エリアを過ぎると海に出る。海から爽やかな風が
きて幾分涼しくなった。
 普代水門から5分ほどで太田名部防潮堤に着いた。道の陸側に防潮堤があり、沖縄や
ヨーロッパの城壁のようだ。

 建設中の野田の防潮堤や普代水門、太田名部防潮堤を見て、久慈商店街のおじさんの
言葉を思い出していた。
「久慈は川のおかげで街が助かったんだ。河川敷が全部浸かったけどここの河川敷は広
いから。それと知ってのとおり川が2つあるでしょ、合流して海へ出るので逆に津波は2
つの川に分散されてエネルギーが弱まったんだよ。」
 津波を跳ね返しても他へ行くだけかもしれない。防潮堤の補強合戦に敗れた地域の被
害は甚大になる。そんな気がしてきた。

 つづく

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体力勝負の一人旅 No.366【東北沿岸部を行く】

【11日目・2016年7月31日(2)】

 久慈駅からすぐに久慈湾に出た。海を眺めながらのサイクリングだ。
 小さな海水浴場で子供たちが水遊びをしている。向かいのレストハウスからあまちゃ
ん挿入歌の「いつでも夢を」が聞こえてきた。あまちゃんを意識しているのか偶然なの
かはわからない。

 ゴールデンウィークは工事中で通行止めだったエリアに入った。迂回路は確か標高差
150m以上登る厳しい道だった。
 今回は平坦とは言わないが厳しい坂はなく非常に楽だ。しかも海沿いなので景色がよ
い。久慈のパンフレットに載っている兜岩やつりがね洞はこの道を通らなければ見られ
ない。

 11時ちょっとに小袖海岸の海女センターに着いた。現在は海女の素潜りシーズン真っ
最中だ。
 海女センターの手前にテントを張って2、3軒が店を構えている。海女センター入口で
は採りたてのウニを売る店がスタンバっている。素潜りの実演販売だ。
 そろそろ素潜りが始まる。見学料500円。そんなに見学する人はいないと思ったら、
海女さん4人の後に30人弱の人がついていった。

 海女さんが潜っている間、私は海女cafeでまめぶ汁をいただいた。前回と何か違うな
と思ったらBGMだ。前回はあまちゃん関連のBGMのおかげで居心地がよかった。今回はBG
Mがなく特別な感情はでてこない。
 あまり長居せず海女センターから出ると4人の海女さんが実演販売するテントにいた
。20代と思える海女さんが2人いて観光客の多くの視線を浴びていた。

 海女センターから細い山道を通って野田へ向かった。上りがいのある道だが今日はま
だ体力を使ってないので楽しい。そんなときあまちゃんの挿入歌「暦の上ではディセン
バー」のメロディーが聞こえてきた。だいぶ海女センターから離れたつもりだったがく
ねくね曲がっていてほぼ海女センターの真上にいた。
 実演販売が終わったからBGMをかけたのかと思ったがそうではなかった。1分ほどでメ
ロディーは止まった。そう、久慈市のお昼のチャイムだったのだ。

 つづく

体力勝負の一人旅 No.365【東北沿岸部を行く】

【11日目・2016年7月31日(1)】

 今日は前回も訪れた小袖海岸へ行き、前回は通らなかった国道45号線より海側の県道
を使って宮古まで行く予定だ。

 小袖海岸へ行く前に駅周辺を探索していくことにした。あまちゃん関連の新聞記事が
ウィンドウに貼られ、観光パンフレットが置いてある久慈旅館組合駅前事務所に入って
おじさんに話を聞いた。
 最近はあまちゃん観光はだいぶ減ってしまったとおじさんは言う。あまちゃん関連の
パンフレットはかなり前に作った2種類だけ。その一つに店のシャッターにあまちゃん
の名シーンが描かれた場所を記したあま絵マップがあった。
「シャッターに描くあまちゃん絵の作成途中のって見れないですか?」と訊くと
「去年は4つかな、毎年増やしてきたけど今年は予算が取れなくて作っているのはない
んだ。」と言う。
「看板屋さんが描いているんですよね」と前回どこかの飲食店で聞いた情報を言ってみ
た。
「下絵を看板屋さんが描いて、塗っているのは高校生の美術部の人達だよ、商工会の人
が手伝ったりすることもあるけどね。」と確かな情報を教えてくれた。
 あま絵マップはおじさんが作ったものだった。よく見たら2つのあま絵に見覚えがな
い。確かめに行ってみよう。

 その絵は商店街の駅から遠い方にある。今9時50分、10時開店ならまだ間に合う。急
いで行ってみたら2軒とももうオープンしてシャッターが上がっている。残念だ。

 商店街の休憩スペース付近で写真を撮っていると、休憩スペースのオープン準備でテ
ーブルや椅子の設置をしていたおじさんに声をかけられた。「椅子があるから座って休
んでって、昔の商店街の写真もあるし見てって。」
 このおじさんにもあまちゃん観光は減ってしまったのか訊いてみると、そんなことな
いよ来てるよ、と言う。「せっかく来てくれた人が休めるよう、こうやって準備してる
んだ」と目を輝かせて答えてくれた。

 あくまでも前向きな商店街のおじさん、諦めかけている旅館組合のおじさん。対称的
な二人だった。
 思えば、ゴールデンウィークに泊まった宿のおじさんも昨日の宿のおばさんもあまち
ゃんのことをあまり知らなかった。なんか合点がいってしまった。

 予定以上に久慈の街を散策してしまい、小袖海岸へ向かったのは10時20分ごろだった

 つづく

体力勝負の一人旅 No.364【東北沿岸部を行く】

【10日目・2016年7月30日(3)】

 大雨の中、カッパを着て走り始めるとすぐに南部潜りの種市高校に着いた。雨の降り
始めが今ならば高校の軒下で雨宿りできたのだがそううまくはいかない。
 高校の近くに南部潜りの資料館だか何かがあるが雨だから地図を開くことができない
。手がかりがないか高校の中に入ってみたが見つからなかった。
 手がかりを探しに種市駅に来た。種市の案内地図に歴史民俗資料館が載っている。こ
れだ。もう少し南へ行って左折した左側にある。道沿いでないのでわかりづらそうだ。

 防災無線が聞こえてきた。聞き取れなかったが増水警報だか洪水警報が発令されたと
言っている。このまま旅を続けて大丈夫だろうか。
 不安になりながら左折箇所が現れる度に左折して歴史民俗資料館がありそうか覗いた

 見つからないまま小さな川を渡った。心配するほどの勢いはない。渡ってすぐ左に海
浜公園の案内標識があった。その一角にあるのかと思い行ってみたがない。
 雨の中、荷下ろししている人がいたので訊いてみると通り過ぎていた。資料館は広い
駐車場の奥の図書館の2階にあると教えてくれた。

 行き方を教わったのですぐにわかった。駅の案内地図はあまりにも手抜きでわかりづ
らい。もう少し目印を入れたら分かりやすくなるが、そこまでのニーズはないかもしれ
ない。
 もう小降りになっていた。しかしずぶ濡れだ。その状態のままスリッパに履き替えて
2階へ昇った。
 南部潜り装備一式や南部潜りで引き揚げた十和田湖の湖底に沈んでいた賽銭箱の展示
があった。私が一番気に入ったのは持ち帰り自由の本の栞だ。表は南部ダイバーの絵、
裏はあまちゃんで紹介された南部ダイバー魂の歌詞になっている。

 資料館を出る頃にはほぼ雨は上がっていた。今日の宿は30キロ先の久慈だ。このまま
降らないでほしい。しかし走っているうちに目にした電光掲示板に『久慈地方 大雨注
意報』と書いてあった。

 ゴールデンウィークに泊まった宿なら空いていると思いこんでいたので、次の休憩時
間で電話した。もう17時近くだった。
 失礼だが意外にも満室だった。でも同じような相場の宿を取れたので良かった。あと
20キロぐらいだがんばろう。

 久しぶりの長距離、久しぶりの上り坂、そして雨。もう足があまり動かない。そんな
とき18時のメロディーが聞こえてきた。
『その火を飛び越えて〜♪』
 そう、ゴールデンウィークと同じあまちゃんの挿入歌だ。口ずさんでいると不思議と
パワーが戻ってきた。パワーは落ちることなく、暗くなる前の18時50分ごろ宿に着いた

 気になっていた大雨注意報は小雨程度に留まってくれた。

7月30日(土) 久慈
 本日の走行距離 68.32Km(一部計測データとれず)
 本日の登坂累計 652m(一部計測データとれず)
 本日の消費カロリー 3530Kcal

体力勝負の一人旅 No.363【東北沿岸部を行く】

【10日目・2016年7月30日(2)】

 八戸港にかかる二つの橋、一つめは八太郎大橋だ。どんだけ上るのだろうと思ってい
たがたいして上らなかった。
 こんなもんかと思いながら進むと前方に急勾配の道が見えた。あれが二つめの八戸大
橋か。斜度7%ぐらいの坂を上っていく。まずは足慣らしだ。
 3月まで片道9キロの自転車通勤をしていたが、諸事情によりやめてしまった。だから
ゴールデンウィーク以来の長距離になる。この坂はいい刺激になってくれるだろうか。
 八戸大橋の頂点まで上ってきた。太平洋をのぞむ見晴らしはいいが北の方で雷が鳴り
、海を遠くまで見渡せるような天候ではなかった。

 スタートから30分ほどで正面に赤い鳥居とその先に続く階段が見えた。これが江ノ島
のような島、蕪島(かぶしま)か。
 このまま直進かと思ったら鳥居と道路の間に海があった。いったん右に行って海沿い
を進み陸続きになっている蕪島へ渡った。

 ウミネコで有名な島だけあってすごい数のウミネコだ。近づいても逃げず、人と共存
している感じだ。
 これだけいると糞を落とされても不思議はない。地面の糞密集度が少ないところを探
して自転車を止めた。

 鳥居のある階段下まで行くと、ビニール傘が何本も置いてある。階段の上にある蕪島
神社参拝者に使ってもらうためのものだろう。もちろん雨用ではなく糞用だろう。
 でも傘を使っている人を見かけないので私も借りずに階段を昇った。
 階段の途中に東日本大震災の津波到達地点を示すものがあった。つまり階段の上にあ
る本殿は津波の被害を逃れたのだ。

 本当なら昇ったところに本殿があるのだが昨年だかその前の年に焼失してしまった。
跡地に二拍手して、小さな島を一周しようとした。数分で一周できる小ささだ。
 周り始めてすぐ雨が降りだした。わりと大粒だ。とりあえず木の影で雨宿りする。北
にあった雨雲が南下してきているのでのんびりできないな。小降りになったところで階
段を下った。

 自転車は雨に濡れてしまったが糞の被害はなかった。近くで若い男性が「雨だが糞だ
かわからないね」なんて友人に言っている。まだ油断禁物だ。

 一雨降ったおかげで非常に涼しくなった中、サイクリングを再開する。快適だ。前方
に見えたきたのは要塞か?砦か?海に石垣で囲ったものが突き出ている。近づくと展望
台の案内標識があった。蕪島からぜんぜん進んでないが寄り道したくなる。
 やはり太平洋戦争のときに監視台として使われたものだった。意外に多くの観光客が
いてロシア系らしき人もいた。

 海沿いを進む通称うみねこラインは断崖あり、砂浜あり、巨岩ありと変化に富んでサ
イクリングコースとして最高だ。
 うみねこラインを満喫したあと道は内陸側に向かい国道45号線に合流するが、私はさ
らに海沿いを走る道を選んだ。
 道が続いているのか不安はあるが、こういうのは探検っぽくて良い。

 無事に海沿いをクリアして岩手県に入る。ここは洋野町だ。ゴールデンウィークにも
通った県道247号線に合流し、少し安心しながら木々に囲まれた静かな道を走っていく

 すると雷、大粒の雨だ。木の影に入っても雨宿りにならない。慌ててカッパを取り出
した。

つづく

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