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2016年5月

体力勝負の一人旅 No.360【東北沿岸部を行く】

【9日目・2016年5月5日(2/2)】

 久慈駅のホームに出ると小雨が降っていた。傘がいらない程度の雨だし、空を見上げるとどこから降ってくるんだろうと思うぐらい青空のほうが多かった。もし自転車移動だったら私のことだこの程度ですまなかっただろう。
 階段を昇って出口へ向かうと、正面にドラマで使われた『お座敷列車 潮騒のメモリーズ号』の看板がお出迎えだ。

 昼間でも閉まっているシャッターのあまちゃんイラストを写真におさめながら道の駅へ向かう。どこかでのど自慢大会をやっているようで町中にうまくない歌声が響き渡っている。久慈はこういう町なのか。

 駅から20分ほどで道の駅へやってきた。1階の壁に復興の狼煙ポスタープロジェクトと題して、町の人の集合写真とメッセージが書かれたポスターが掲示されている。久慈だけでなく津波被害に遭ったいくつかの町のポスターがあった。
 さらに2階の壁に被災直後の写真が展示されている。どこもかしこも瓦礫だ。昨日まで見た景色は更地だらけで5年たってもこんななのか、という印象だが、瓦礫を片付けて道を作るだけでも大変だったろう。少し目が潤んできた。

 外へ出ると雨はやみ強い日射しで暑さを感じる。のど自慢大会をやっている小高い公園を経由してまたあまちゃんハウスにお邪魔した。
 ドラマで有名になったまめぶ汁、久慈市の郷土料理と書かれたポスターを町で見かけたが、もともとは合併前の山形村の郷土料理だったそうだ。久慈市民でも好き嫌いがわかれる、とあまちゃんハウスの若いお姉さんが教えてくれた。
「僕は昨日食べたけどおいしかったですよ」
 というと、驚いたようなうれしいような表情を浮かべた。きっと彼女は好きじゃないのだろう。

 宮古へ向かう三陸鉄道は16時8分発だ。駅前に戻ってきたがあと13分しかない。ドラマで観光協会が入っていた駅前のビルに大慌てで行くと、ウィンドウにドラマ関連のイラストやら地図やら新聞記事などが貼ってある。
 じっくり見る時間がないので写真を撮っていると横でたばこで吸っていたおじさんが、
「もうはがそうかと思っているんだよね、古いものしかないし。」と言う。
「はがさないほうがいいですよ、僕みたいに再放送を見て今ごろ来る人がいるんだから。」
「BSで再放送やっていたね、今度また再放送やるんだよ。」
「ならなおさら残したほうがいいですよ」
「そうかな」
 この人は何者だろうか?そういえばおととい泊まった宿のおじさんが駅前のビルに観光案内所があると言っていた。ということは観光協会の人だろうか。
「本放送はいつ頃だったんでしたっけ?」
「2012年からロケ始めたから2013年かな。放送して2、3か月ぐらいしたらここがロケ地だってわかって、人がどんどん来たんだよね。」
 やっぱり観光協会の人っぽい。もっともっとお話ししたかったし、おじさんも話したがっている感じだったが、電車の時間があるのでおじさんの話を中断するような形で「ちょっとビルの中に入ってみます」と言ってお別れした。

 ビルの中は想像を絶するものだった。なんだこれは、通路は真っ暗、床のパネルが何か所かはがれたままだし、廃墟のロケに使えそうな状態だ。3階の通路は燕が飛んでいるぞ。入ってはいけないところに踏み入れた気がした。

 さっきのおじさんに申し訳ない気持ちを残しつつ、16時8分発の三陸鉄道で宮古へ向かった。
 宮古到着は17時43分。これからバスで宮古湾へ行ってみようと思う。宮古湾を走ったのは3日前の夜だった。暗かったのでどんな状況だったのか見れていない。だからもう一度行きたい。
 バス案内所で時刻表を確認すると、本数があまりないので着くころには暗くなっていそうだ。ならばと津波被害の大きかったところへ行きたいと尋ねたら、2日前の朝通った港周辺だった。それならもう行く必要はなかった。
 もう少し久慈でおじさんとお話ししていればよかった。旅先に思いを残しつつ去る。行き当たりばったりの旅はこういんもんだ。

5月5日(木) 宮古
 本日の走行距離 8.73Km
 本日の登坂累計 40m

 今回の総走行距離 737.93Km(一部計測データとれず)
 今回の総登坂累計 8890m(一部計測データとれず)
 最終日を除いた1日平均距離 91.15Km
 最終日を除いた1日平均登坂累計 1106m

今回もつたない文章にお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。
訪れた場所は追跡調査してみたいところばかりでした。追跡調査結果をお伝えするかもしれませんのでそのときはまたお付き合いください。

次回の旅は夏です。

下記URLに写真をアップしました。
http://yahoo.jp/box/hemg8P
一部のガラケーからは見ることができません。申し訳ありません。

体力勝負の一人旅 No.359【東北沿岸部を行く】


【9日目・2016年5月5日(1/2)】

 天気予報は今日から3日間連続でときどき雨。気持ちがなえてしまい自転車を乗るのは今日が最後だ。朝時点で決まっている予定は、久慈市内を観光してから三陸鉄道で宮古へ行くことだけだ。
 久慈まで自転車で行くか電車にするか、宮古で泊まるか泊まらずに帰るか、まだ決めていない。
 久慈までの交通手段は昨日から考えるたびに気持ちが揺らいでいる。久慈まで60キロ弱、自転車だと遅くても14時には着くだろう。今のところ雨は降っていないし時間的にちょうどいい。
 しかし久慈-八戸は意外と坂道だった。左足アキレス腱痛が日に日に悪化していることを考えるとやめておこうと思う。

 フロントで電車の時間を確認すると久慈まで1時間40分もかかる。本数も2~3時間に1本しかない。昨夜の駅周辺のにぎわいからここまで本数が少ないとは思わなかった。久慈駅到着は14時5分、これでは自転車と変わらない。また自転車で行っちゃおうかなという気持ちが浮かんでくる。
 食事中も悩み抜いて出した結論は電車移動だ。転倒していることもあるし雨予報も気になるので安全第一で考えた。

 本八戸駅12時30分発の電車だ。それまでたっぷり時間がある。駅近くの八戸城跡と八戸港を観てからヤマト運輸で自転車を送ることにしよう。
 ホテルを出るときにフロントで八戸城跡への行き方を確認した。
「八戸城跡はここを右に出てまっすぐ行けばわかりますか?」
「右ではないです。左に行ってその信号を右に曲がって、あとはまっすぐです。平城で百名城になっている有名なお城ですよ。」
 じぇじぇ、方向が違うな。そっちからも行けるのだろうか?
「お城をさらに行くと駅に出ますか?」と私の思っているところと同じなのか確認した。
「八戸駅ですか?八戸駅に行きますよ」
 言っているお城が違うことがわかった。
「行きたいのは本八戸駅近くにある八戸城跡です」
「八戸城跡?聞いたことないですね。」
 私の持っている地図に載っているが地元の人が知らない、どういうこだろうか。とりあえず百名城へ行ってみよう。

 外へ出ると北側青空、南側厚い雲だ。でも雨雲ではなさそうだ。
 10分ほどで百名城の根城に着いた。天守閣はないものの地元の人がウォーキングを楽しめるような広い敷地が整備されている。本丸の有料エリアは入らずにUターンして八戸城跡へ向かった。

 地図上の八戸城跡らしき場所に小高い公園があった。入口に城跡らしきものはない。階段を昇って公園にいるおじさんに尋ねたが、城なんて知らないという感じだった。謎の八戸城跡探索はこの辺にして港へ向かった。
 今日も西から強風が吹いていてすいすい進む。ということは帰りは厳しい向かい風だ。そろそろ10時30分になる。港まで2キロ。自転車の梱包時間を考えると港へ行く余裕がない。引き返して本八戸駅近くのヤマト運輸へ行こう。

 ヤマト運輸で自転車の分解と梱包をして、足を引きずりながら早歩きで本八戸駅に向かった。到着は12時13分。港へ行っていたら完全にアウトだった。
 ホームへ行こうとしたら改札が開いていない。なぜ?と思ったが、2~3時間に1本しか電車が来ないのだから駅員が常時改札に立たないのは当たり前だ。
 12時30分発の電車で久慈へ向かう。この電車は『リゾートうみねこ』、座布団付きのボックス席でテーブルがついている。本八戸駅であわてて買ったパンをテーブルに出して海を見ながら昼食にした。
 車内放送で「まもなくウミネコの繁殖地蕪島(かぶしま)が見えてきます」と流れた。「昨年、火事で社殿が焼失しました」と続けた。陸続きの蕪島は江の島のような感じだった。電車の旅もいいもんだなぁと思った。

 宮古から都内までは高速バスを利用することにした。新幹線だともう1泊必要になるからだ。ネットの予約サイトへ行ったが満席だ。これはピンチだ。
 いろいろと調べて陸中山田から出る高速バスに空きがあった。陸中山田へ行く手段もめどがついた。最後までハラハラドキドキだ。
 だめもとで宮古発の高速バス会社へ電話してみたら数席空いているという。これはラッキーだ。予約手続きをしているうちにトンネルへ入りプツッと切れてしまったが、その後つながり予約完了。ひと安心だ。

つづく

体力勝負の一人旅 No.358【東北沿岸部を行く】

【8日目・2016年5月4日(3/3)】

 来た道を引き返す形で久慈駅へ戻ってきた。海から離れたとたんに西からの強い向かい風に苦しんだ。八戸まで向かい風でないことを願いたい。

 14時50分、駅の近くのあまちゃんハウスに到着した。あまちゃんロケに使われた小物やあまちゃんグッズが展示されていると宿のおじさんに聞いていた。
 中に入ってびっくりというか感激したのはドラマに登場したあのジオラマがあったことだ。他にも三陸鉄道関連の小物などテレビで見たあの品々があった。
 係員に「これらって真似て作ったんですか?」と訊くと、「NHKから譲り受けたんです」と言う。想像していない回答だった。
「無償でですか?」
「NHKも捨てるものだったので」
「そんなことがあるんですね、他でこんなの聞いたことないですよ。海女センターにあった『海女cafe』の光る看板もそうですか?」
「それは聞いてないけどそうかもしれません」
 ゆっくり見る時間がないので明日もオープンしていることを確認して荷物を預かってもらっている宿へ向かった。

 宿で荷造りし、近くのコンビニで腹ごしらえして出発したのは15時45分。八戸まで55キロぐらいだと思う。ちょっとピンチだ。
 八戸へ通じる国道45号線に出たい。小袖海岸へ行くときに通った道を行けば45号線に出られるが、若干逆方向の南へ進んでしまうので北方向に進みながら合流できる道を選んだ。
 しかしそれが失敗だった。合流地点へ来たが頭上を通る45号線に入ることができない。悲しいかな立体交差の下を通って45号線から遠ざかるばかり。道を尋ねようにも人がいない。
 4キロ先で合流でき、それほど遠回りにはならなかったものの、地図確認のため何回も止まった時間のロスが痛い。

 走ること1時間半、若干の向かい風の中を走ってきて少し飽きてきた。そろそろ種市だ。ドラマの中で憧れの先輩として登場したのが種市先輩だ。苗字はきっと地名の種市からとったのだろう。ただそれだけで種市に行ってみたかった。
 種市の町へ行くには国道から海側を通る県道へ進む。海側へ行けば風が弱まる期待もあった。そして予想どおり弱まってくれた。ただ風以上に気分転換の効果が大きく、もうひとがんばりする気になった。よし、八戸まで行こう。そういえば宿のおじさんが「種市はちょうど中間だ」と言っていたなぁ。明るいけどもう17時30分になっていた。

 18時25分、だいぶ疲れている。ペダルが下に行くたびに左足アキレス腱が痛む。道の駅の看板を見て「休もう」と思った。しかしほとんどのお店が閉まっていた。幸いにも向かいにコンビニがあったのでそこで休憩だ。
 宿の予約と食事を済ませて19時15分に出発、ここからは概ね下りだが向かい風だ。さらに途中から路面が粗くなった。走行抵抗をすごく感じ、左足の痛みもありちょっとつらい。なんで輪行袋を八戸に送ってしまったのだろうと後悔した。

 本八戸駅付近のにぎやかな通りを過ぎ、どんどん寂しくなっていく。歩いている人がほとんどいないようなところに今晩の宿があった。着いたのは20時10分だった。夕食は近くの弁当屋かコンビニしかなさそうだな。

 明日もあさっても天気予報は雨交じり。さあどうしよう。もともとは最長であさって泊まで予定していて、青森駅まで行く気もあった。
 しかし最低限の目的地八戸に着いたし、もう一度久慈市に行きたし、左足アキレス腱が日に日に悪化しているし、これ以上北に行くことはない。
 明日、久慈観光をして旅を終えよう。あとは久慈まで自転車で行くか、電車にするか、悩んでいるうちに眠ってしまった。

5月4日(水) 八戸
 本日の走行距離 88.73Km(一部計測データとれず)
 本日の登坂累計 1089m(一部計測データとれず)

下記URLに写真をアップしました。
http://yahoo.jp/box/ojwwFf
一部のガラケーからは見ることができません。申し訳ありません。

体力勝負の一人旅 No.357【東北沿岸部を行く】

【8日目・2016年5月4日(2/3)】

 1、2キロほどで久慈湾に出て海沿いを南南東へ進む。西風なら追い風になるはずだが向かい風か横風だ。風向きも予報と違っている。
 それほど長い時間風に苦しむことはなかった。すぐに山へ登る迂回路に入ったからだ。大雨になってきた。0.1mmの予報はどうなっているんだ。こんなに外れるものなのか。ときつい坂を登ると愚痴がいくつもでてくる。
 そんなことをいいながらも楽しんでいる。きらいなアップダウンの連続ではなくほぼ登り一辺倒なので登りがいがあるのだ。標高差180mほど登ったところで左折して下りに入る。このまま海まで落っこっていきそうな下りだ。

 小袖の港にでた。家々へつながる細い坂道や海岸沿いの斜面などテレビで見た景色に似ている。港を突き進むと正面に3階建ての白い建物が見えた。これが海女カフェか。
 ドラマで海女カフェを造ったが、当時実際の海女カフェは存在していなかった。ドラマ終了後に建設したのだ。つまりドラマの力で未来を変えてしまったのだ。

 海女カフェの入口横のわずかな屋根の下に自転車を止めた。正式には海女カフェではなく海女センターのようだ。港の奥に海女センターがあり、オープニングに登場しているあの白い灯台が200メートルぐらい先に見える。
 辺りを見回しても歩いている人がいない。海女センターを覗くとお客さんは2人だけ。テレビ放送が終わって2年半、しかも冷たい雨の中では閑散としても仕方がない。

 海女センターに入ると否が応にもあまちゃんの世界に引きずり込まれる。ドラマのサウンドトラックが流れているからだ。
 1階はお土産売り場、2階は海女の古い写真や歴史説明などの展示コーナー。じっくり見たいがカッパから雫が垂れてしまうので遠目に眺めた。
 寒いので早くカッパを脱ぎ、暖かい場所で濡れた体を休めたい。3階の海女カフェに期待しながら階段を昇った。
 フロアーに入るなり「ウォー」と感嘆した。壁には全く想像していなかったものがかかっている。なんとドラマで使用したものとそっくりの文字が光る『海女cafe』の看板があった。

 カフェで落ち着く前に屋上の展望台へ向かった。下から見たときは東屋のような屋根があると思ったが骨組みだけだった。風もあるし、とりあえず見たという程度でカフェへ戻った。

 カフェというか軽食スペースは定員20名弱ぐらいの広さだ。2グループ7、8人がいた。その人たちが食べていたまめぶ汁を注文し、港を見下ろせる席に着いた。寒い日にまめぶ汁は最高だ。

 ここに着いたのは11時ちょっとすぎ、小降りになっていたがまだやまない。スマホで天気予報を確認するともうやんでいることになっている。いなり寿司を注文してやむまで待機しよう。
 海女コスチュームの元気なおばさんが「あったかいお茶飲んでゆっくりしてって」と言ってくれた。ペロッといなり寿司を食べてしまったのでお茶だけで長居させてもらおう。

 窓越しに空を眺めるとまだまだ黒い雲が続いていてやむ気配がない。もう11時30分をまわっている。スマホで雨雲レーダーを確認すると雨雲がないことになっている。地方で雨雲レーダーは使えないな。

 着いたときは閑散としていた海女センターだが、お茶だけで粘るのが申し訳ないぐらいどどっと人が押し寄せ、看板をバックに写真を撮り、まめぶ汁を食べ、ささっと引き上げていく。そんなことが2、3回あった。まだまだあまちゃん人気はすごい。

 12時20分ごろ、ようやく雨が上がったので外へ出た。堤防を歩いて白い灯台へ向かう。内陸の空を見ると青空が広がっているが頭上は雲だけだ。海女センターで雨宿りしている間、もしかしたら久慈の町は青空だったかもしれない。
 灯台から戻るとき海女センター裏の崖の上に『ヒロシ君の監視小屋』が見えた。監視小屋へ行ってもよいのか海女センターで確認してから監視小屋を目指した。
 なかなかの急坂だ。つづら折りを登って3、4分で到着した。中にはおじさんが一人。「ここは本当に監視小屋だったんですね」と言うとおじさんは小さくうなずいた。「何を監視しているんですか?」「密漁とかの監視ですか?」と訊くと、やはり小さくうなずいた。仕事の邪魔のようなのですぐに引き返した。

 ずいぶんと小袖海岸でのんびりしてしまった。久慈へ向けて出発したのは13時40分だった。久慈市内の観光をして14時ごろ久慈を出れば、余裕で八戸に行けると思っていたが最初からつまずいた。
 港を出る前にある駐車場付近になにやら大きな石碑と解説板があった。寄ってみたらなんとなんと『じぇじぇじぇ発祥の地碑』だった。もちろん放映後に設置されたものだ。あまちゃんが久慈を活性化させた効果は絶大だ。

つづく

体力勝負の一人旅 No.356【東北沿岸部を行く】


【8日目・2016年5月4日(1/3)】

 昨夜、食事をしに町に出た。小さな町で19時過ぎに開いている店があまりない。飲食店探しも重要だけどもっと気になるものがあちこちにある。ここはあまちゃんの町だ。
 駅前のショーウィンドウにはあまちゃん関係の記事がべたべたと貼ってある。地方新聞の記事だから遠方から訪れたあまちゃんファンはウィンドウを食い入るように見たことだろう。
 隣はこの時間なのでシャッターが閉まっている。そのシャッターにあまちゃんのシーンがイラスト化され描かれていた。ドラマに登場したイラストとタッチが違うのでもちろん非公認だろう。
 自転車で町をぐるっと周るとあちこちのシャッターにあまちゃんの絵が描かれている。この時間に町に出て正解だ。なぜなら昼間はシャッターが開いて見られないからだ。

 ようやく見つけた中華店に入った。店のおばさんにシャッターの絵のことを訊ねた。
「シャッターに描かれたあまちゃんの絵、どれも同じタッチだけどこの町に描く人がいるんですか」
「いるんです。看板屋さんです。」
「全部ですか?」
「最初のうちはよその高校生が描いたりしてました」
 町はあまちゃん一色だ。散策しがいがありそうで、ここがゴールでもいいかなと思った。

 朝早起きする元気はなかった。昼の12時以降が雨予報だから早く出発できれば良かったが体がついてこない。塩竈の医者に「あざが出てくるようだったらひびが入っているかもしれない」と言われていたが、昨晩そのあざに気付いた。左足アキレス腱痛もあり厳しくなってきた。それでももうちょっとがんばろう。
 昨日行きそびれた小袖海岸へ行き、再び久慈に戻り、市内であまちゃん観光をしてから八戸へ向かう予定だ。観光が終わるまで降らないでほしいが、朝の予報だと時間あたりの降水量は0.1mmだから降っても問題なさそうだ。

 二度寝したようで朝食時間の7時はまだ布団の中だった。リズミカルな音楽が聞こえてハッとした。あまちゃんのオープニング曲だ。市内放送で流れているようだ。これは元気になるぞ。

 ご飯を食べながら宿のおじさんにシャッターの絵のことを話した。「夜のうちに回ってよかった」と、しかしおじさんは「そんなことないよ、シャッター街だから昼間も閉まっているよ。」と言った。

 9時半過ぎに荷物を自転車に取り付け始める。またここへ戻ってくるので荷物の一部を宿に預けることにした。宿のおじさんが玄関でお見送りしてくれる。
「今日はどっちへ行くの?」
「小袖海岸へ行って戻ってきます。14時には戻れると思います。」
「かなりかかるよ。自転車で行けるかな。迂回路はすごい坂だよ。」
 海岸沿いの道が通れないことは朝おじさんに聞いていた。高波で道が壊れたらしい。昨日酒屋のおじさんが言っていた通行止めの道とは別だと思う。つまり小袖海岸は北からいっても南からいっても坂道なのだ。
「重茂半島でたぶんもっとすごい坂を経験しているので大丈夫だと思います。ただ今日も西風が強いっていうのでそれが心配です。」
「何時になっても誰かしらいるから時間は気にしなくてもいいよ」
「ありがとうございます。戻ってから八戸へ行くんですけど、宿はありますかね?」
「40万都市だから大丈夫よ」
「もし八戸まで行けなければ、その手前で宿があるところはどこですか?種市とか。」
「種市はちょうど中間だね。民宿があるけどこの時期はどうかな。種差まで行けばあると思うけど八戸の近くだよ。」

 準備に時間がかかっていたのでおじさんはいったん自分の仕事に戻った。そろそろ準備が整おうとしたとき雨が降ってきた。「おじさん雨が降ってきましたよ」と声をかけると、「ほんとだ」と外へ出てきた。
 みるみるうちに大粒になり、ウィンドブレーカーを着ていたがカッパじゃなきゃだめだ。雨仕様にするため準備しなおしだ。
「降ってきちゃったね」とおじさんは言う。
「いつもこんなんです」

つづく

体力勝負の一人旅 No.355【東北沿岸部を行く】


【7日目・2016年5月3日(3/3)】

 道の駅でご飯を食べてから2時間近くたつ。コンビニが出てきたら食べようと思っていたがしばらくコンビニを見ていない。野田玉川駅のちょっと手前で町の酒屋さんが開いていた。パンもありそうだ。右側だけど入ってみよう。
 パンだけでなくお弁当も売っている。しかも異様に安いものもある。安いパンに手を伸ばしたがよく見たら賞味期限切れだ、お弁当も同じだ。こんなことが地方ではまかりとおるようだ。

 定価のパンを2個取ってレジへいった。レジのおじさんに「あまちゃんのロケ地情報が書かれたものはないですか」と訊くと、「今はないよ」と答えて、そっけないかと思ったら、堀内駅のことやこの先のロケ地情報を口頭で教えてくれた。
「次の野田駅は有名なソフトクリームを売っているよ。小泉今日子も食べたとか、高校生といっしょに電車に乗っていっちゃったとか・・・。でもこの時間じゃ閉まっているかな。」さらに続けた。
「野田駅の先はオープニングで使われた場所だよ。空撮したところ。」などいろんな情報を教えてくれた。

 私はまだ国道で久慈へ行くか、海岸ルートをとるか決めかねていた。海岸ルートの目的は小袖海岸にある海女センターだ。
「宿は久慈なんですけど小袖海岸へ行くか迷っているんですよ。」
「小袖海岸なら野田駅の手前を右に曲がれば行けるよ。野田駅はもうすぐだよ。」
 海岸ルートを選択する気持ちに傾いてきた。明日は雨予報だ。晴れているうちに行きたい場所だから余計そう思った。
「アップダウンはかなりありますか」
「本当ならそんなにないけど、低気圧で道路が通行止めになっているから迂回路がアップダウンだよ。」
「低気圧って大雨ですか」
「いやそうじゃなくて」
「台風ですか」
「まあそんなようなもんだね」
「行けば道わかりますかね?迂回路。」
「案内が書いてあるからわかるよ。通行止めは車だから自転車なら行けると思うよ。」
 そこへ常連客がビールを持ってやって来た。
「ねえ、小袖の通行止めの道、自転車なら行けるよね」と常連客に声をかけた。
「だめだよ。行けないよ。通行止めだから。」
 海岸ルートはやめようかと思った。もう17時過ぎているので海女センターに行っても閉まっているかもしれない。それに足の痛みを考えると、重茂半島の夜間走行のような無理はできない。

 店の外へ出て、常連客と立ち話をさせてもらった。軽トラで来ている常連客は「行くなら曲がるところまでいっしょに行ってあげてもいいよ。」と言う。やさしさに感動して甘えたくなるが、まだルートを決めかねているので丁重にお断りした。

 出発したのは17時30分、やはり国道ルートにしよう。あと17キロだからのんびりあまちゃんの景色を楽しみながら行こう。
 10分ほど走るとまた津波被害の何もない光景を見ることになった。野田村だ。ここまで北にくれば津波被害は大きくないと思っていたがとんでもなかった。ただあまり報道されていないだけだった。

 右側に『道の駅のだ』が見えてきたのであまちゃんロケ地情報がないか寄ってみた。有益な情報はなかったがソフトクリームの売店がある。これがおじさんの言っていた売店だろうか。もう閉まっているが気温が下がってきたので食べる気にはならなかった。
 なぜか高校生が多い。外へ出て振り返ると道の駅であるとともに三陸鉄道の駅でもあった。道の駅と鉄道の駅の共存タイプに出合ったのは3か所目だろう。

 今度右側に現れたのはいろんな生き物の形をした植木たち。タコの植木は8本足が風に揺れて妙にリアルだ。何十株と植わっている。植木畑とでも言ったらいいだろうか。手入れしているおじさんがいたので、大きな声で「すごいねー」というとニコッとしてくれた。
 せっかくだから写真を撮ろうと自転車を止めた。撮影中に18時を知らせる曲が流れてくる。とても聞き覚えのある曲だ。それはあまちゃんの挿入歌『潮騒のメモリー』だった。
 それからしばらく頭の中は潮騒のメモリーが流れた。

 うっすら暗くなった18時30分、久慈のホテルに到着した。ホテルの隣の空き地から線路が見え、そこにはドラマで使われた『潮騒のメモリーズ』のイラストをペイントした車両が止まっていた。もうあまちゃんワールドに引きずり込まれていく。

5月3日(火) 久慈
 本日の走行距離 102Km(一部計測データとれず)
 本日の登坂累計 1257m(一部計測データとれず)

下記URLに写真をアップしました。
http://yahoo.jp/box/GNYmTW
一部のガラケーからは見ることができません。申し訳ありません。

体力勝負の一人旅 No.354【東北沿岸部を行く】


【7日目・2016年5月3日(2/3)】

 国道45号線が海へ行く道との分岐点にさしかかった。国道は左に折れて海岸線と平行になる。直進すれば海方面だ。教わったとおり直進すると風景は一変した。
 あちこち工事中で迂回路表示がある。おそらく盛土工事だろう。車の流れにつられて直進し続けたら、右側の広い駐車スペースにどんどん吸い込まれていく。にぎわっているここは何かと思ったら魚市場にほど近い道の駅だった。新鮮な魚を賞味できるのだろう。

 建物があったであろう更地エリアを縫うように走る。気のせいか土の色が今まで見てきたところより白いように感じる。

 観光客でにぎわう浄土ヶ浜へやって来た。海岸線の散策路がきれいになっていることに気付くが、岩などの自然物は何も変わっていないようだ。
 レストハウス前では歌謡ショーが行われていた。復興ソングを聞きながらここにもあった過去の津波記念碑に刻まれた文字を読んだ。

 浄土ヶ浜をあとにして登り坂を800mほど行くと観光客しか通らなさそうな県道に合流する。そこに仮設住宅があった。今はともかく、震災直後は目の前を通る観光客の姿を被災者はどのように見ていたのだろうか。

 今回の旅で最高の暑さを感じる中、浄土ヶ浜から1時間ほどで津波被害の大きかった田老地区に入った。
 国道の左側にはお城の堀のような斜面が道に平行し、その上に線路と田老駅がある。駅へ行くには斜面に掘られたトンネルを通っていくようだ。

 道の右側は太陽光発電所だ。津波で更地になったので発電所にしたのだろう。

 津波被害が残る光景を見ながら走っていくと野球の声援が聞こえてきた。震災後に造ったであろう立派な野球場で子供たちが試合をしている。スタンドから高校野球のような声をそろえた声援が続く。

 国道を外れ、野球場の脇を通り、防潮堤をくぐって海側に行く。海側といっても震災当時は陸側、当時の防潮堤はさらに先にあり、壊れた状態で残っている。
 新しい防潮堤をくぐったのは震災遺構として保存してある『たろう観光ホテル』を見るためだ。6階建ての2階までは鉄骨だけ残り、3階の壁は残っているが窓ガラスはなくなっている。
 非常階段を昇っていく7、8人のグループがいた。私も昇ろうと少し遅れて行ったら係員に「予約している人だけです」と制された。さっきのグループは『学ぶ防災』ツアーの参加者だった。
 路肩に止めた自転車に戻ると脇に置いておいたヘルメットと手袋がセンターライン付近に転がっていた。今日も風が強くなってきた。

 田老から山へ入っていく。たまに海が見えるがほとんど山の中だ。
 昨日までの寒さからガラッと変わって気温25度。田老から2時間弱走って集中力が切れてきた。眺めの良い橋を渡ったところに『道の駅たのはた』があったので昼食休憩にした。もう14時20分だ。

 駐車場から食堂まで高低差があり階段を20段ぐらい上っていく。転倒で痛めた右足のすねの痛みが悪化している。昨日、遊歩道を走った影響だろう。
 さらに左足アキレス腱も伸ばすと痛い。今日から痛みを感じ始めたが自転車より歩きのほうが痛い。
 今日はできれば久慈まで行きたいがまだ60キロ以上あり厳しそうだ。40キロ先の国民宿舎に電話してみたが満室だった。久慈までの距離は国道を外れて海沿いを行った場合だ。国道ならもう少し短いはず、まあ海へ行く分岐点まで行って考えよう。

 15時に道の駅を出発し、山道を走り続ける。昨日までは寒い寒いと文句を言っていたがついに路上設置の温度計は27度まで上昇した。気温差に体がついていかずペースが上がらない。

 1時間半走って国道45号線は再び海岸線に出る。小さな川に架かる橋に出ると海側の視界が一気に開けた。自転車を止めて眺めると少し下に三陸鉄道の橋、その先に漁港が見える。見覚えがあるようなないような。もしかしたら『あまちゃん』のロケで使われたのかなと、目に焼き付けた。そう、この辺から北はあまちゃんの舞台なのだ。

 さらに数分で堀内駅に着く。堀内駅はドラマで袖ヶ浜駅として使われた。
 自転車を左の路肩に止め、道を渡り、土手を下るように階段を降りた先に駅はある。無人駅だ。ホームに行きドラマのシーンを思い出す。
 あ、もう16時40分だ。宿は久慈まで行かなければないので、どのルートで行くかは別にして久慈の宿を予約した。

つづく

体力勝負の一人旅 No.353【東北沿岸部を行く】


【7日目・2016年5月3日(1/3)】

 昨日泊まったカプセルフロアがあるホテルはなかなか良かった。過去に何回かカプセルホテルに泊まったことがある。そのときの印象は狭い、うるさい、荷物を入れるロッカーが離れているので不便、結果疲れがとれないというものだった。
 今回は普通のホテルのワンフロア―だけがカプセルフロアになっている。その他のフロアーは普通のホテルの部屋だ。食事、お風呂、ロビーは普通のホテル利用者と変わらない。

 蜂の巣のようなカプセルではなく、ビジネスホテルの極小版と思った方が良い。ドアの代わりが鍵のかからないアコーディオンカーテンで、カーテンを開けると、寝るには十分な幅のベッドと同じぐらいの幅のスペースがある。
 スペースに椅子と机があり、コンセントもあるのでノートパソコンを広げることも可能だ。鍵のかかるロッカーは机の横にある。工夫すれば洗濯ロープを張ることもでき、ビジネスホテルの部屋とさほど変わらない。
 ベッドは2階建てだ。私はちょっと料金の高い下だった。ベッドの左のカーテンから入ると1階、右のカーテンから入ると2階のベッドになる。だから普通のカプセルホテルより隣との距離はかなりある。幸い上の人も静かだったので音は気にならなかった。

 サービスも普通のホテル利用者と同じなので、夜はコーヒーとお茶漬け無料サービスがあった。コンビニの食事で満腹になっていないのでお茶漬けはありがたかった。知っていればコンビニで食べる量を半分にしていただろう。
 ホテル不足の地域はこのカプセルフロアを活用すれば解消できそうだ。今後こういう形態のホテルが増えていくだろう。

 10時ちょっと前に出発だ。晴れている。今回一番の天気だ。かといって暑くなくサイクリング日和だ。

 宮古駅の観光案内所で浄土ヶ浜周辺ガイドマップを入手した。絵地図になっていて絵のタッチが11年前にもらった地図と同じだ。同じ人が書いているのか尋ねたら、作成している会社はずっと変わっていないそうだ。
 昨日は暗くてわからなかったが津波被害が大きそうなので状況を聞いてみたが、駅周辺は被害がなかったそうだ。
 観光名所の浄土ヶ浜はどうだったのだろうか。連続する岩々の景色は変わっていないのだろうか。それを訊くと、砂浜が減ってしまったが今は元に戻り、岩も被害はなかったと教えてくれた。

 浄土ヶ浜へ行くのになるべく国道を通るルートと早めに海へ出るルートの2つがありそうだ。アップダウンの少ないのがどっちなのか訊くと早めに海へ出るほうだった。ガイドマップを見せて細かく訊こうとしたら、
「津波の被害でガイドマップどおりに道がないのでこの地図では説明できないんです。」
 国道45号線と海へ出る道の分岐点を指差して「ここをまっすぐ行った後は案内表示があるのでそのとおりに行ってください、としか言えないです。」と答えてくれた。

 浄土ヶ浜の前に寄りたいところがある。11年前に利用した銭湯だ。銭湯で汗を流して宮古駅から出る夜行バスで帰ったのだ。あの銭湯はまだ健在だろうか。
 ガイドマップの裏の市内簡易マップで銭湯を探した。銭湯は温泉マークで記されており、だいたいの場所を覚えていたのですぐに見つかった。観光マップに銭湯が載っているのは珍しい。
 銭湯前へ移動して、「当時と変わらないな、そうだそうだあのときは、・・・」なんて思いだしながら本日のスタートを切った。

 観光案内所の方のお話から海のほうは津波浸水があったもののさほど大きな被害は受けなかったと理解したが、銭湯から走ることわずか4分で目にした津波浸水表示で被害の大きさを想像できた。
 郵便局の壁に貼られた浸水表示の高さは1階の天井につきそうな位置だった。銭湯は駅の近くだから駅までも自転車で6分ぐらいの距離だと思う。
 郵便局の向かいには『災害洪水位標』なる棒状の石標が建っている。そこには過去の災害による浸水位置が表示されている。上からアイオン台風、カスリン台風、チリ地震津波だ。今回の津波をここに刻むことはできない。なぜなら石標の高さを超えていたからだ。

つづく

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体力勝負の一人旅 No.352【東北沿岸部を行く】

【6日目・2016年5月2日(5/5)】

 走って行こうとしたが特に下りは転倒で痛めた右足の甲、すね、ひざが痛む。平たんと緩い登りだけ小走りで進んだ。痛みに耐えながら走ったかいがあり40分で最東端に到着した。
 まだ明るい。津波の痕跡を調べたり、休憩したかったがそんな時間はない。まるで山の登頂証明を撮るかのように記念碑の前で写真を撮って折り返した。
 急いで戻ろうとしたら逆方向に『幻の滝 50m』の看板があった。「うーん、行っちゃえ」と走った。深い青色をした入り江の向こうに小さな海へ落ちる滝があった。滝はまあまあだが入り江の景色に損はなかった。

 帰りは足取りが重くなり45分かかった。18時30分だ、まだ明るい。
 自転車まで戻ると後輪キャリアにつけたバッグに入れておいた小物入れが下に落ちていた。さらに2つのバッグのチャックが少し開いている。車上荒らしか?でも金目のものはないはずだ。
 焦ったが冷静に見ると、ビニール製の小物入れやバックから顔を出した衣類を入れたビニールに穴が開いている。「カラスだな」とつぶやいた。

 そこへさっきの男性がやって来て「早かったね」と言う。「走りましたから」と答えた。男性はキャンプ場関係者ではなく、『みちのく潮風トレイル』を歩いて旅している人だった。
 駐車場の脇にテントが張ってあり、ここで泊まると言う。3年前来たときはもっと荒れていたそうだ。やはり津波被害を受けていたようだ。
 おじさんと話しているうちに薄暗くなってしまった。「暗くならないうちに行きます」と言ってお別れした。

 来た道を戻り急坂を登っていく。左側に民宿があったのでだめもとで尋ねてみた。3階の部屋から灯りが漏れる。白米だけあれば十分だ。そう思って玄関の扉を開けようとしたが鍵がかかっていた。やはり30キロ先の宮古まで行くしかないようだ。

 分岐点まで戻ってきた。ここで道を間違えると大変なので慎重に確認して北へ向かった。この道も登ったり下ったりだ。
 午後から雲って寒さが増していたが、日が落ちてさらに寒い。登りはいいが下りは寒すぎるぞ。厳しいのはそれだけではない。街灯がないから路面状態がわからない。ときどき通る車のライトが頼りだ。
 かといって車は怖い。センターラインのない狭い山道だ。エンジン音が聞こえるたびに「私に気付いてくれ」と念じた。

 想像以上に大きな集落が山中にあった。重茂地区だろうか。海から離れたここに集落があるのは過去に高台移転したからかなと想像を膨らませて、暗くて、寒くて、寂しい今を乗り切ろうとした。
 目を皿のようにしているので目が疲れ、集中力が切れる。そんなときいただいたコーヒーを飲む。ブラックだ。もうちょっとがんばろう。
 震災の影響なのか、ところどころに迂回路がある。正しい道に戻れているのか不安だった。しかし一度走っているというだけで不安を最小限に抑えられたと思う。

 ようやく宮古湾に面した道に出た。キャンプ場から1時間ほどだった。真っ暗な海沿いは断続的に津波浸水区間の標識が立っていた。連続ではないが陸前高田や陸中山田より広範囲かもしれない。
 国道45号線に合流したところのコンビニで休憩だ。もう20時20分になっていた。いつもならば宿探しで焦るところだが、宮古の普通のホテルに設けられたカプセルフロアがここ数日空室になっていることを知っていた。やはりこの時間でも空いていたので宿を確保して、コンビニで夕食を摂った。
 そして21時30分、宿に到着して長い1日が終わった。

5月2日(月) 宮古
 本日の走行距離 80.5Km
 本日の登坂累計 1290m(一部計測データとれず)

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体力勝負の一人旅 No.351【東北沿岸部を行く】


【6日目・2016年5月2日(4/5)】

 11年前に泊まった陸中山田の町にやってきた。お世話になった民宿のおばさんが「津波対策で2階からも海が見えない堤防ができちゃったのよ」と言っていたことを津波のあとによく思い出していた。
 津波はその堤防を破壊し、乗り越えて山田の町を飲み込んだ。

 町の入口に1階が空洞化した理髪店が残っている。サインボールはそのままだ。当時の面影を探そうと、民宿の前を通る堤防沿いの道に行きたかったが工事中で行かれなかった。
 国道の左側は仮設商店街と仮設住宅エリアになっている。震災前は鉄道が通っていたところだろうか。この右側が恐らく民宿があった場所だと思う。この先の左側にスーパーがあったんだけど、と思って走っていると道から少し入ったところにスーパーがあった。
 建物の形、入口の場所、間違えない。記憶どおりだ。確認のためスーパーからでてきたおばさんに「ここは震災前からあった店ですか?」と尋ねると、「震災後しばらく休んでいたけど再開したんです」と教えてくれた。
 壊滅的な被害があった山田でスーパーが残っている。うれしいような、涙が出るような感じだ。当時ここで1Lのペットボトルを買って、自動販売機がないかもしれない重茂半島の山中へ向かったのだった。
 よし、今年も行くぞ重茂半島へ。
 11年前は朝ここを発って本州最東端を経由して浄土ヶ浜に午後の早い時間に着いた記憶がある。今ちょうど15時、果たして無事重茂半島を抜け出せるのか、過酷な本州最東端を目指すべきか、ちょっと考えたがチャレンジあるのみだ。

 標高はさほどではないが斜度のきつい峠をいくつか越えていく。スーパーから1時間半ほど走ったところに過去の大津波の碑がいくつか並んでいた。ちょっと離れた一番右に東日本大震災の新しい碑があった。この集落は全員助かったのだろうか?
 碑から10分ほどで最東端へ行く道の分岐点だ。海まで急な下りだ。下るからにはまたここまで登らなければいけない。最東端はさらに遊歩道を1時間ぐらい歩く。
 今16時40分。どうする?バイクが2台、最東端へ向かって下っていった。私も行くしかないだろう。

 下り切るとキャンプ場だ。11年前は薄汚い印象だったが相当きれいになっている。看板には『日帰り専用キャンプ場』とある。自転車やバイクの宿泊場所だったのにいつの間にか宿泊不可になったようだ。
 16時56分、歩いて遊歩道の入口に向かおうとした。そこへぶらぶらしていた50歳ぐらいの男性が
「これから行くの?」と言う。
「何分ぐらいかかりますか?」と訊くと、
「50分」と即答してくれたのでキャンプ場関係者だろうか。
「戻るころには暗くなりますかね?」
「なるよ」
 ライトを持ったことを確認して足早に向かった。遊歩道入口に『カラスに注意バイクで来た方の荷物を荒らすことがありますので、お気をつけください。』『熊の目撃情報があります。鈴をつけてくだい。』などの注意書きがあった。鈴がないので歌を歌いながら進んだ。

つづく

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体力勝負の一人旅 No.350【東北沿岸部を行く】


【6日目・2016年5月2日(3/5)】

 恋ノ峠を越えると川の向こうに更地区域が広がっている。その中に何軒か仮設建物があった。店の前にバイクが並んでいるのですぐにわかった。

 店の中には50代後半のおじさんがスーパーカブらしきバイクを修理していた。バイク修理が一段落するのを待って診てもらった。
 「このタイプか、ちょっと待てよ。」と言って在庫を探すが「ないなー」と言う。しかし「これは使えそうだな、これはどうだ。」と違うタイプのブレーキシューをいくつか出してきた。
 中には中古もあった。「これは自転車を捨てるとき使えそうだったからとっておいたんだよ。な、まだいけそうだろ。」と言って私の自転車から外したブレーキシューに当ててチェックする。
 選んだのは前輪に中古、後輪がママチャリ用だ。前輪のシューはもう少し乗れそうだがおじさんはのりのりだし、この先パーツを入手できる保証がないからおじさんにお任せしよう。

 まずは後輪のシューを交換する。シューの厚みが本来の3倍ぐらいありリムに当たって取り付けできない。ブレーキワイヤーが短いからこれ以上緩めることもできない。「うちにブレーキワイヤーないし、さーてどうするか。」とおじさんは楽しそうに言う。なぜか私は不安にならず、どう対応するのかわくわくしてきた。
 短いワイヤーをワイヤーカバーとともに切ってさらに短くしてしまった。ブレーキレバーから最短ルートでワイヤーをつなぐと不思議と直ってしまった。短くして直るなんてマジックだ。
 直ったと思ったがブレーキレバーを離してもブレーキの戻りが悪い。原因はブレーキについている棒状のバネだった。「このバネ全然効かないな、触ってみな。」とおじさんは言う。「これじゃあ前からタイヤが振れるときに擦っていたんじゃないかな。」確かに弱い、けど今までこれで乗ってきたんだし、正規品なら問題ないんじゃないかなと心では思っていた。
 おじさんは荒業に出た。「頼む折れないでくれ」と言いながらバネを力づくで逆方向に折り曲げようとする。「こんなことするのは初めてだよ」と言う。しかしなぜか安心感がある。

 荒業のおかげで後輪は無事終了した。前輪は難なく完了し、「輪行袋に入れるときにワイヤーが短いから前輪が回らないかもしれないよ。そのときはワイヤーを外してね」と言いながらハンドルをねじってみせる。
「あ、大丈夫だ。よし完成!」
 ワイヤーのマジックがわかった気がした。

 おじさんは作業しながらいろいろとおしゃべりしてくれた。さっき直していたバイクは冬用タイヤをノーマルタイヤに交換する作業だった。
「今朝新聞配達を終えて石巻から来たんだよ。明日も新聞配達するから今日中に直してくれって言うんだ。石巻のバイク屋でやってもらいなって言ったんだけど、石巻で断られたって言うんだよ」
「石巻じゃ交換する技術がないんですか」
「そうじゃねぇんだ。バイク屋が減っちゃったから忙しくて受けられないんだ。」

「これ見な、タイヤを交換する機械だよ。うれしいじゃねーの、全国から寄付してくれるんだ。この工具もそう、あれも、これも。」
 石巻の自転車屋さんと何が違うんだ、と思ってしまった。
「市から出店してくれって頼まれて見せ出したんだ。いろんなことやっているけど本業なんだかわかる?」
「船だよ。船のエンジン。ここ2年で500~600艘ぐらいつけたかな。」
「津波で船がだめになっちゃったからですか?」
「そうだよ。アワビやホタテ漁に使うんだよ。船の数は震災前に戻ったからひと段落したんだ。みなさんのおかげでだいぶ儲けさせてもらったよ。だから奉仕しているんだ。この自転車いくらで売っていると思う?」
 値札は23,000円ぐらいだった。
「1万円で売っているんだ。赤字だけどだいぶ売れたよ。」

 奥にいた奥さんから「お茶飲んで行きませんか」と声がかかる。お言葉に甘えてお茶を飲みながら会話を楽しんだ。
「津波のときはその山に逃げたんですか」すぐ裏が小高くなっているのでそう訊いた。
 奥さんが「住んでいたのはここじゃあないんだけど、普段からみんなで訓練やってて、指定された避難場所じゃあだめね、なんて言ってね。高台に変えてたから、うちなんかのグループはみんな助かったの。」
 最後に3人で記念写真を撮ってお別れした。別れ際にご主人が「飲む物あったろ」と言って、奥さんが「冷たいのしかないけど」とコーヒーを2缶くれた。

つづく

体力勝負の一人旅 No.349【東北沿岸部を行く】

【6日目・2016年5月2日(2/5)】

 今日以降の予定をどうするか、頭はフル回転だ。最悪は宮古まで自転車で行き、部品をはずして盛岡までバス往復かな。
 最近は危機感が決如していてこんな状況でも仮設商店街を覗きたくなる。観光案内所で入手した釜石マップに仮設商店街の簡単な紹介と地図が載っている。いくつかある仮設商店街のひとつに『自転車店が営業中』とあったのでそこへ向かった。

 旅人にわかりにくい地図だったので歩いているおばあさんに道を尋ねた。おばあさんは、「歩道橋の先を左に曲がる」と教えてくれたが、同じ方向に行くので案内してくれると言う。自転車をひいておばあさんとお話しながらゆっくり向かった。
「津波の被害はどうでしたか?」
「流されちゃったので仮設なの」
「いつごろ仮設を出られそうなんですか?」
「今も役所に新しいところの申請に行ってきたとこなんですよ」
「じゃあもうすぐなんですね」
「当たれば6月ごろ」
「抽選なんですか?希望のところを申し込んで?」
「そう。選んで申し込むの。一人暮らしだから自分でやらなきゃいけないけどよくわからなくて、役所で聞いて手続きをしてきたの。」
「こういうときだから役所の人も親切に教えてくれるでしょ」
「そうね」
 そんな会話をしながら仮設商店街に通じる路地を左折してすぐ自転車屋さんが見えた。お礼を言ってここでお別れ、私は店へ向かった。

 店名を見て宿の人が電話してくれた店じゃないかと思った。部品がないと言われた店だが覗いてみよう。
 店の中にいた奥さんに話しかけるとだんなさんを呼び、いっしょに自転車を確認することになった。外へ出ると案内してくれたおばあさんがちょうど店の前まで来ていた。奥さんとおばあさんは知り合いのようで、私を連れてきたいきさつを話し始めた。
 その間、だんなさんは私の自転車を確認し、「こういうのはおいてないな」と言った。「津波でみんな流されちゃったから一般自転車の部品しか置かないんだよ」
「店も家も流されちゃったんですか?」
「海のほうにあったからね」
「それで仮設で営業しているんですね」
「最初はもとの場所で再開したんだけど、人がいない。人が歩いてないんだよ。これじゃぁ商売にならないなって、こっちに来たんだ。まあここも厳しくてね。」
「でもこうやって営業している自転車屋さんがあると、町の人は助かるでしょ、だってパンクしたら直せないですもんね。」
「みんなそういうんだよ。だけどいつ来るかわからないあなたのために待っていられないんだよね。」

 奥さんが会話に加わり別の話題になった。
「今はアパート暮らしだけどやっぱり元のところに住みたいね」
「そんなに離れてないところで住んでいるんですよね?」
「そうだけど海のそばで育ったから、匂いとか、風とか、音とか違うんだよね。盛土とかいろいろあってまだ住めないんだ。」
 慣れ親しんだ光景がなくなる寂しさ、それはふるさとをなくした感じかもしれない。
 10分ほどおしゃべりして鵜住居へ向かった。

つづく

体力勝負の一人旅 No.348【東北沿岸部を行く】

【6日目・2016年5月2日(1/5)】

 出発前に自転車の点検をしに外へ出た。晴れているが寒い。酷使したブレーキを見ると後輪はシューがほとんどなくなっている。前輪のシューも半分以上なくなっている。後輪の減り具合から推測すると前輪も酷使すれば旅行期間中に使い切るだろう。
 過去に日本縦断や長野の山越え、四国遍路などをしてきたがこんなに急激に減った記憶がない。日本縦断のときでさえ1回交換で済んだ気がする。今まではあまりブレーキをかけずに下ったからかなぁと一瞬思ったが、原因は砂だろう。
 復興工事区間を通ってきたので路面に砂が浮いている。雨の日は水溜りが茶色くなるほどだ。砂、雨、三陸のアップダウンの三重苦で減りが早まったのだろう。
 今日は今回のたびで一番の斜度をもつ坂道に行く。本州最東端重茂半島だ。ブレーキ交換できなければ危険な場所だ。その場合、本州最東端はスキップして北へ行こう。

 部屋へ戻るとき怖い顔のおじさんとすれ違った。おじさんは「チェックアウトしますか?」と訊く。私は「まだです」と答える。「チェックアウトするときは隣の建物の事務所に行ってください」と言う。まだ9時をちょっと回ったばかりだがこちらの建物のフロントを閉めるらしい。

 9時40分ごろチェックアウトのため隣の事務所の扉を開けた。ホテルのフロントの様相はまったくなく、普通の会社机が6個ぐらい向き合って一つの島を作り、3人の女性がパソコンに向かって事務仕事をしている。ごく普通の会社の事務所そのものだ。
 一番奥に座っていた女性がこちらに来て「チェックアウトですね」と言う。私の情報が引き継がれているようで、昨日雨の中を自転車で来たことを知っているようだった。そして「これを使ってください。役に立つと思います。」と言って粗品と書かれた長細い小さな箱をくれた。
 ずっしり重かった。サイズと重さからして墨かと思った。硯石の産地を通ったばかりだからそう思った。でも役に立つかな。
「なんですかこれ?」と訊くと
「開けていいですか?」と言うのでうなづいていったんお渡しした。彼女が取り出したのはドライバー、缶切りなどがセットされている折りたたみ式ツールセットだった。そこにはホテル名ではなくホテルと関係なさそうな会社名が印字されていた。
「こちらは普通のホテルじゃないみたいですけど、なんかの会社ですか?」
「ホテルだけじゃなくて警備もやっている会社なんです」
 なるほど、会社の事務所の光景だった理由がわかった。

 津波の被害状況などちょっとお話させてもらった後、「ブレーキ交換したいので自転車屋さんを知りませんか」と伺った。
 すると別の女性が「xx自転車はどうだろうね」と言ってパソコンを操作し始めた。ネットで検索してくれているようだ。
「この辺りは津波で流されちゃっているから今あるかどうかわからないのよ」と女性が言った。
「電話で確認してからのがいいわよ」と別の女性が言う。
 パソコン操作していた女性が電話をかけるが出ない。営業していないのだろうか。
「ホームセンターにもあるものですか?」と最初の女性からの質問だ。
「自転車部品を扱っていればあるかもしれないです」
 本来の事務仕事を中断して、親身になって対応してくれる。そのうち釜石の自転車屋さんと連絡がとれたようだ。しかし津波で店のものは流されたので、今はママチャリ関係しかそろえていないと断られた。
 さらに調査範囲を私が進む北方向へ拡大してくれた。そして鵜住居で可能性のある店が見つかった。鵜住居といえば津波被害の大きかった町だ。部品確認のためいったん私に電話を代わった。
 ありそうな雰囲気を見て取って、電話をかけた女性は「電話を戻してください」と言う。電話を戻すと場所の細かい確認をしてくれた。こういうのは地理に詳しくないと話にならないから助かる。
「仮設店舗で営業しているところが多いからネットの場所ではだめなのよ。このお店も仮設店舗で営業しているそうです。峠を越えて川を渡った左側が空き地みたいになっていてそこにあるそうです。」と言って地図をプリントしマーカーで場所がわかるようにしてくれた。
 検索ワードに自転車屋さんを入れても仮設店舗の場所が出ないので、仮設店舗の近くで営業しているドラッグストアで検索した地図だった。気転はきくし、本当に親切だ。女神に見えてきた。
「ここになかったらこの大槌のホームセンターに行ってみて下さい。」
「そこにもなかったら次の大きな町はどこですか?」と訊く。
「宮古です。宮古になければ盛岡に行くしかないですね。内陸のほうが確実です。」とアドバイスをくれた。
 本当に本当に心からお礼を言って宿をあとにした。

つづく

体力勝負の一人旅 No.347【東北沿岸部を行く】


【5日目・2016年5月1日(2/2)】

 建設中の橋を右上に見ながら気仙川に架かる仮橋を渡ると、ぞろぞろと右側の細い道へ入っていく人の流れがあった。奇跡の一本松へ通じる道だ。
 細い道の横には浄化センターが建っている。真新しい感じはないので津波に耐えた建物なのだろう。5年経っても見学者の流れが途切れないほどだったので、歩く人の迷惑にならないよう途中で自転車を止めて歩いていった。幸いにも雨は傘がいらないほど小降りになっていた。

 歩いている人たちの会話を聞いていると皆初めて来た人たちだった。子供連れあり、学生、年配の夫婦と年齢層は広範囲だ。
 津波前後の写真があった。津波前から一本松は一本松だった。松並木から離れたところにこの一本松はあったのだ。私はてっきり松並木の中の一本だけが残ったと思い込んでいた。
 一本松の奥に壊れた黄色い建物が残っている。おそらく一本松と松並木の間にあったのだろう。津波の威力の大きさを感じさせる。
 先ほどからまた雨脚が強くなってきた。横で記念写真を撮っている家族は大慌てだ。私も写真はそこそこに退散することにした。

 一本松から道路を挟んだ逆側に見学者用の駐車場があり、道の駅のような販売店が並んでいる。駐車場は7割ぐらい埋まっていた。一本松の保存に税金が使われたため賛否両論あったが、経済効果や震災を風化させない効果は大きいように感じた。
 トイレに行く途中、観光名所の碁石海岸のポスターがあったので遠回りになるが行ってみることにした。

 陸前高田は11年前に泊まった地だ。当時を思い出しながら海沿いの直線道路をゆっくり走った。道の海側に使われていないが建物が残っている。大きなホテルがあったはずだがホテルは取り壊されて残っていない。これは道の駅の建物だろうか。だとするとこの先左側のレストランで夕食を摂ったっけ。
 小川を渡りゆるい坂を登る。そうだ間違えない。レストランから民宿に戻る途中に川と坂があったことを思い出した。坂を越えてすぐ左側に民宿福田荘があったはずだ。今は更地だ。直線道路の両側はずっと更地になっている。津波浸水区間の標識は連続4キロ以上に及び、今までで一番広範囲だ。

 碁石海岸を目指して国道45号線を右折して県道に入る。ここは高台なので津波被害はなさそうだ。適度なアップダウンがあり、のどかで店はほとんどなくのんびりサイクリングに適したコースだ。と思いながら30分ぐらい進むと防潮堤工事のため通行止めだ。迂回路はあるがかなり遠回りなので碁石海岸をあきらめて国道へ向かった。

 大船渡を過ぎ、11年間記憶に残り続けた急坂を登る。国道45号線と三陸自動車道が平行している区間が多く、三陸自動車道が無料開放されているので私の進む道は静かなものだ。
 11年前も静かな道だった。当時、自動車道がトンネルに入っていくのを恨めしそうに見ながら蛇行する道を登っていった。夏だったこともあり、木々が茂りうっそうとして本当に国道だろうか、あっているだろうか、と不安になりながら登り始めたのを覚えている。
 今日は雨が降っているものの木々が少しカットされたおかげか当時より明るく感じる。そして路面もよくなっている気がした。
 登りの後は下りだ。路上の気温表示は7度に下がっていた。安全面もあるがとても寒いのでゆっくりとブレーキをかけっぱなしで下った。

 やがて釜石観音が遠くに見えてきた。そろそろ釜石の町だ。
 港が見えてくるとやはりあちこちで工事をしている。港は機能しているようでかっこいい大きな船が留まっている。

 11年前の釜石の記憶は釜石駅方面に行く途中のコンビニだ。健在なのか確かめるため駅へ向かった。そして見つけた。うれしかった。セブンイレブンだと記憶していたがあるのはローソン。でも場所は間違えなさそうなのでセブンイレブンは記憶違いだったのだろう。
 どうでもいいこだわりだったが達成感を得て釜石駅へ宿情報を仕入れに向かった。

 まだ17時30分なので釜石駅の観光案内所が開いていた。「洗濯機がある宿を教えてください」と尋ねると、「それなら長期滞在者向けのこちらがいいです」と即座に勧めてくれたのが大渡パンション。パンションって何だと思いながら予約した。

 行ってみると普通のホテルのような看板がなく、アパートのような建物でアパートのように壁にホテル名が書いてある。入口がわかりづらく、小さな会社の入口みたいなドアーを開けたら玄関があり、その4、5メートル先にこれまた小さな会社の事務所のような部屋があった。中に怖い顔のおじさんがいる。聞いてみたらそこがフロントだった。
 おじさんは顔が怖いだけだった。「土足でいいのでこちらへどうぞ」と言う。私は部屋の窓越しに受付を済まそうとしたが、ずぶぬれ姿の私を見て「寒いから中へどうぞ。ストーブも点いているよ。」と暖かい部屋へ入れてくれた。
「雨が降っていましたか?」
「降ってますよ。こっちは降ってなかったんですか?」
「午前中は霧雨程度でした」
 ほぼ1日中本降りだったのは私の頭上だけだったようだ。
「パンションってどういう意味ですか?」
「寮です」
「寮?」
「震災前は寮だったんです。震災後にホテルに変えました。」
「この辺に大学があるんですか?」
 神奈川なら寮を利用するのは大学生なのでそう聞いた。
「大学はないですよ。高校生が利用していたんです。」
 神奈川ならば通える範囲に高校があるものだからピンとこない。
「津波の被害はどうだったんですか?」
「ひどかったです。浸水しました。」
「でも壊れずにすんで、営業再開できたんですね。」
「まあ建物は壊れなかったけど再開まで半年ぐらいかかったかな。隣はトラックは突き刺さるし、ぐちゃぐちゃになって建て替えました。」
 隣は大渡パンションの新館だ。隣の建物が流れてきたものを受け止めてくれたおかげで、こっちは助かったのかもしれない。
 寮からホテルに変更したいきさつは聞きづらかったので聞けなかった。体を温めてから3階の部屋へ向かった。階段は疲労がたまっている足にきつかった。

5月1日(日) 釜石
 本日の走行距離 89.50Km
 本日の登坂累計 1271m

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一部のガラケーからは見ることができません。申し訳ありません。

体力勝負の一人旅 No.346【東北沿岸部を行く】


【5日目・2016年5月1日(1/2)】

 昨夜の宿は『復興支援ホテル』の触れ込みだった。だからと言ってフロントで特別その説明があったわけではない。でも一般のビジネスホテルとはちょっと違った。
 外観は2階建てということもありアパートのようだ。チェックインのためフロントへ行くと2人の若い女性が待っていた。この規模で20時過ぎなら1人で十分だと思う。フロントの後ろはかなりスペースがある。宅配便の荷物の一時置き場なのだろうか。
 お風呂は別棟になっていて、フロントで部屋のカードキーと風呂のカードキーを交換する。フロントの仕事は増えるが私たちは安心だ。
 チェックインを済ますと対応してくれた女性がこちら側に出てきて「荷物をお持ちしましょうか」と言う。旅館か質の高いホテルのような対応だ。こんなサービスには慣れていないし、予想もしていなかったので「いえ、結構です」と答えた。
 女性は「部屋までご案内します」と言う。「荷物を持ちましょうか」と言うぐらいだから当然なのだが、部屋までご同行するとは思ってもいなかった。
 部屋のほうへ数メートル歩いたところにある食事メニューの掲示で立ち止まり夕食の説明が始まる。1か月分の献立表が貼ってあり、今日はここだという具合だ。朝食付きプランだったので夕食を食べられると思っていなかった。へとへとなのでありがたい。
 2階の部屋へ行く途中に食堂やコインランドリーなど館内の案内をしてくれる。各階にコインランドリーがあり、復興支援ホテルらしい。
 部屋のドアーも女性が開けてくれた。驚いたのはその後だ。女性はそのまま部屋の中へ入っていく。私はついていく。女性は部屋の明かりを点け、部屋の説明をひととおりしてくれた。ビジネスホテルチェーン店より安い料金なのにこのサービスに感激し、「すごくサービスいいですね」と言うと、「ありがとうございます」と答えた。
 夕食はチケットをフロントで購入する。食堂は社員寮みたいだ。給仕するおばさんが1人、寮母さんの雰囲気があった。寮母さんと調理する人の最低2名、もしかしたら皿洗いする人もいたかもしれない。私が滞在した45分間で他の客は3名。フロントも含めて人件費の比率が高そうだ。復興支援ホテルだから当然地元雇用なのだろう。
 
 天気予報は朝から雨で夕方に上がることになっている。朝はホテルでのんびりするつもりでいた。8時ごろ外を見ると降っていない。9時ちょっと前になっても降ってこない。ならば降りだす前に港周辺を散策できるかもしれない。慌てて準備して9時30分過ぎにチェックアウトした。
 ホテルの外観などをビデオ撮影しているとポツポツと降ってきた。かっぱの準備をしているうちに本降りになってきた。隣で車に荷物を積み込む人も急な雨に大慌てだ。

 海周辺を見てから陸前高田へ向かうつもりだ。
 近くに不動の沢駅という不通になっているJR気仙沼線の駅がある。どんな状態か見たくてよってみると、線路は撤去され舗装されている。駅は路面電車の駅のような感じだ。雨がやんだのでビデオを取り出しホームのほうへ行ってみた。
 不通だと思っていたが営業している様子だ。『大船渡線BRT 大船渡魚市場前駅 開業』のポスターが貼ってある。BRTとは専用の軌道をバスが走る交通手段だっただろうか。だから線路を撤去して舗装路になっているのか。
 2、3日前のシーンを思い出していた。不通になっているはずの路線をバスが走っているのを一瞬見かけた。すごく遠かったし、すぐに視界から消えてしまったので定かではないがバスに見えた。地面が見える角度ではなかったので舗装されていたかどうかはわからない。そのときは幻か復興作業者用の特別車両かと思っていた。
 
 舗装されているのは気仙沼駅方向だけ。海方向は草ぼうぼうになっている。ここが始発駅なのだろうか。だとしてバスはどうやってUターンするのだろうか、そんなスペースはない。
 そこへ予想していなかったところからバスがやってきた。一般道から入ってきたのだ。舗装された軌道を通って気仙沼駅へ向かった。どういうことだ?
 また雨が降ってきた。海へ行こう。

 海のほうはあちらこちらで工事をしている。今までの被災地と違って立派なマンションがいくつも建っている。これが復興住宅なのか以前からあったものかはわからない。
 海沿いまで道が通じていたので港をぐるっと周って国道45号線に合流した。

 唐桑半島の付け根の山を越えていく。雨はやまず、路上表示の気温は8度だ。仙台で転倒があったので下りは慎重にブレーキをかけながらスピードを落として進んでいく。
 前輪は抵抗の少ないタイヤなので雨だとブレーキの効きが悪い。その分後輪ブレーキを多用するのだが今日は後輪も効きが悪い。ゆっくり下っていくと右側に建設中の大きな橋と一本松が見えてきた。あの陸前高田だ。

つづく

体力勝負の一人旅 No.345【東北沿岸部を行く】


【4日目・2016年4月30日(3/3)】

 昨日予約できなかった民宿を何軒か通過した。今は15時、もし予約できていたら昨日は何時まで走っていただろうか。橋の通行止めで半べそをかいていたかもしれない。人間万事塞翁が馬だ。

 民宿の先に津の宮仮設住宅があった。おじいさんが1人ポツンと立って道路を眺めている。このおじいさんも塞翁が馬なのかもしれない。
 あの日は病院に行く日だった。病院の後は食事をして、海際の集会所でおしゃべりするのが常だった。しかしあの日は体調が悪く、食事をする気になれずまっすぐ家に帰ってきた。そして何かを感じて集会所に行かなかった。
 集会所は津波で流されてしまった。もしそこへ行っていたら生きていたかどうかわからなかった。自宅も被害を受けたが、自宅にいたから避難できた。
 そう話してくれたおじいさんは仮設で1人暮らしだ。このおじいさんも3日になれば大型車が通らなくなるので出歩けると言っていた。

 坂を下って国道45号線に合流する少し手前から更地エリアが広がっている。戸倉という地域でここも川が流れている。川があるところの被害は甚大だ。
 国道45号線に合流してすぐ左側の更地に仮設のセブンイレブンがあった。仮設のコンビニを見るのは初めてだと思う。ここに来るまでこんな状態だと知らなかった。5年経っても仮設なのかと正直思うが応援したい。

 多くの方の避難を受け入れたホテル観洋前を通る。入口付近を見る限りはかなりの盛況ぶりだ。
 ホテル前の坂を下ると志津川だ。志津川の町が見えるにしたがって信じがたい光景が明らかになっていく。
 町などない。見えるところすべてが白い砂や土、砂利で覆われた工事現場だ。ここも川の周辺が何もない。海沿いの道を左折してゆるい坂を登っていく。周囲はまだまだ盛土作業中だ。
 昨日は志津川も宿泊候補地に考えていたがとんでもなかった。

 この先によく報道されている仮設商店街『南三陸さんさん商店街』がある。立ち寄ったが残念ながら物色する時間がない。もう16時45分だ。それに休憩していると冷たい風がどんどん体を冷やしていく。
 まずは宿を抑えたい。大きな津波被害を受けていてかつ40キロと遠いが、宿がありそうな町は気仙沼しかない。ネット検索すると泊まれそうな金額のホテルは満室ばかりででちょっと焦った。しかし『復興支援ホテル』と銘打ったホテルはリーズナブルな料金でまだ空きがある。駅から遠いからだと思うが自転車だから関係ない。復興支援ホテルって何?と思いながらも早速予約をした。

 国道45号線に戻ってすぐ海側に見覚えのある悲しい建物が見えた。鉄骨だけになった防災庁舎だ。この庁舎から防災無線で避難を呼びかけた女性が犠牲になってしまった。
 国道を挟んだ逆側にお地蔵さんの背中が見える。バリケードがありお地蔵さん側に入れないが背中越しに手を合わせた。

 国道45号線には津波浸水区間を示す案内標識がある。入り江を通るたびに標識が設置されている。ここもかと思いながら次の坂を登っていく。斜度8%の坂を登りきろうとしたときだった。おもむろに視線を上げた先に『津波浸水区間 ここまで』の標識があった。
 辺りは完全に山だ。ここから海は見えない。しかもあと数メートル津波が高ければ頂上を乗り越えてすごい勢いで下っていったことだろう。

 南三陸さんさん商店街を出て40キロ弱。もう19時で薄暗くなってきた。予定ではそろそろ市街だが、計算を間違えたか迂回路が多かったためか50キロ弱走らなければいけなさそうだ。
 右前方に大島が見えてあと国道は気仙沼バイパスとなり徐々に海から遠ざかっていく。そして20時、ようやくホテルに着いた。
 130キロ弱も走り、長い1日が終わる。
 
4月30日(土) 気仙沼
 本日の走行距離 128.86Km
 本日の登坂累計 1458m

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体力勝負の一人旅 No.344【東北沿岸部を行く】


【4日目・2016年4月30日(2/3)】

 雄勝湾の奥まで戻って来た。立ちこぎをしても進まないほどの強風だ。そうかと思えば風向きが変わり、右に左にと大きく蛇行する。これは危ないと思い立ち止まり後ろを振り向くと、原付バイクのおばちゃんもバイクを支えるのがやっとで立ち往生していた。車は恐る恐る私たちを抜いていく。突風が収まるのを待って私たちも出発した。

 北上川の土手に登る坂の左側に通行止め案内の看板が見えた。必死に登っていたからまざまざとは見なかったが、2本の橋のうち下流の橋が通行止めのようだ。
 良かった、これから渡る橋が通行止めじゃなくて。下流にもう1本橋があったんだなぁ。そんなことを思いながら土手へ上がった。
 そして目に入ってきたのは橋の入口に立て掛けられた通行止めの看板とバリケード。
 なぜ?嘘でしょ?そんなばかな。そう思いながらゆっくり登っていく。一人の関係者らしき男性が歩いて橋を渡りきり、バリケードを動かして橋のたもとに止めてある車に乗ろうとしている。
 今、通行止めにしたばかりなのか?歩行者は通れる?ならばあの人が立ち去る前に行かなければとスピードを上げた。
 私に気づいた男性は車から降りて、両腕を大きく振り頭の上で何回も交差させ、「ここは通れないです。迂回して下さい。」と言う。私は自転車を止めて頭をうなだれた。その様子を見てか「4月11日から通行止めになりました」と付け加えた。
「自転車も駄目ですか」と聴いてみるがもちろん駄目だ。
「向こうに行くにはどうしたらいいですか」
「土手沿いの道を上流に11キロぐらい行って飯野川橋を渡って下さい」
 そんなぁ、車ならどおってことないかもしれないけれど自転車なんだよこっちは。と言いたい気持ちだ。普通、もっと手前から表示があるものだ。それがなかったことと上流から吹いている風に立ち向かわなければならないことでイライラしている。
 それに昨日女川の観光案内所で道が繋がっていることも確認していた。だから最初に見た通行止め看板で別の橋が通れないと思ったのだ。
「飯野川橋を渡ったら向こうの土手沿いの道を来ればそこに出ますか」と向こう岸を指差した。
「来られますけどどちらへ向かわれますか」
「気仙沼」
「ならば戻って来ないで飯野川橋を渡ったらそのまま45号線を行くことをお勧めします」
 少し冷静さを取り戻し、津波の影響で通行止めになっていることを確認した。今回はこういう事態も想定済みだったはずだ。

 さあ向かい風に向かってがんばるぞ。横風より走りやすいと言い聞かせながらときおり立ちこぎを混ぜて時速8、9キロで進んでいく。たまの横風で土手から落ちないよう細心の注意をはらった。
 45号線をお勧めされたがそっちへ行く気は毛頭ない。せっかく向かい風に立ち向かっているのだから対岸で追い風の恩恵を受けなきゃもったいない。それに11年前、海まで川沿いに進む45号線が強烈な向かい風だったいやな記憶がある。

 1時間かけて12キロほど進み飯野川橋を渡った。今度は当然追い風だ。まだ風は弱まっていない。さほどがんばらなくても時速28キロ前後で進んでいく。
 ところどころで土手の下に古い道がある。今走っている道は最近造った道のようだ。路面はきれいで快調に進み、風の勢いが増したのか後半は時速35キロ前後で走ってしまった。所要時間は23分、往復で1時間30分ほどのロスだった。

 橋を過ぎてからも追い風ですいすい走れる。30分ほど走り、右側に海を見ながら左カーブを下っていく。小さな湾になっているその先は一面が更地になっていた。あまり報道されていない町だと思う。
 漁港前の短い平坦な直線をおじいさんがゆっくり歩いている。自転車を止めて声をかけてみた。
「ここも津波でやられちゃったんですか」
「何?耳が遠いの」
 もう一度大きな声で訊いた。
「そうだよ。ここは全部家だったんだ。全部駄目になった。残ったのはあの1軒だけだ。」と直線道路の終わり付近の少しだけ高台にある家を指差した。
「おじさんは仮設ですか」
「そうだよ。作業場が気になってこっちに来てみたんだ。今日はダンプが少ないから歩けるよ。普段は怖くて歩けねぇ。3日、4日、5日はもっと静かになるよ。」
 復興を急ぐと住民の不満につながってしまう。難しい問題だ。
「女川や雄勝はテレビで知っていたけど、こちらもだったんですね」
「ここは相川って言うところだ」と教えてくれた。

つづく

体力勝負の一人旅 No.343【東北沿岸部を行く】

【4日目・2016年4月30日(1/3)】

 朝7時、朝食を食べに外へ出た。ほぼ快晴のいい天気だ。食堂はトレーラー3台にわかれている。さらに厨房が1台あり、4台が中庭デッキを囲むように設置されている。
 デッキにはテーブルと椅子が置いてあり早くチェックインした人はコーヒーなどを楽しめるのかもしれない。
 客層はバイクの一人旅、さまざまな年代のカップル、3世代の家族など意外にも広範囲だった。

 出発する9時ごろは曇り空になっていた。国道398号線へ出るために急な坂を登って下って女川駅を通過し、さらに下りながら左にカーブする。カーブの途中の右側の高台に病院らしき建物がある。
 昨日トレーラーハウスの方が病院も津波に浸かったと言っていた。こんな高台でも駄目なのか、やはり信じられない。
 その建物に『女川は流されたのではない。新しい女川に生まれ変わるんだ。』と横断幕がかかっている。5年経ったとはいえこんなことをかかげられる町はすごい。

 今日も強風が吹いている。西風だから北へ進む私にとっては横風になる。三陸らしいアップダウンの道になると山のおかげであまり風を感じなくなった。そして山の東側を北上していく。

 坂を登リきった左側に仮設住宅が見えてきた。陽当たりのいいところだ。そこは旧女川第三小学校のグラウンド。校門脇の花壇に鮮やかな色のチューリップが咲いている。
 おばあちゃんが洗濯物を干していたのでお話しさせてもらった。
「おはようございます」と声を掛けると、「今日はあったかくていいね」とおばあちゃん。宿を出たときは曇っていて強風だったからむしろ寒いぐらいだったが、言われてみればここは陽が射して暖かい。
 天気の話で打ち解けやすくなるのは日本人全国共通でありがたい。
「仮設の暮らしは大変ですよね」
「そんなことないですよ」
「買い物は遠くに行かなきゃいけないでしょ」
「いや、スーパーが来てくれるの。だから不便じゃないの」
「1週間分とかまとめて買うんですか、しょっちゅう来ないでしょ。」
「来てくれるの。2、3日に1回来るの。」
「それはありがたいですね」
「仮設だと寒くないですか。昨日トレーラーハウスに泊まったんですけど夜寒くて。」
「狭いからすぐあったまるのよ。トレーラーハウスは安いの?」
「安くないですよ。ビジネスホテルよりちょっと高いかも。朝食つきで6,500円。」
「それは高いわね」
「仮設はいつ出られるか決まっているんですか」
「えーと、今5月だから、、、来年だね。」
「5年いたことを考えればあと少しですね」
 住めば都なのか、不満の言葉がでなくてほっとした。でも体を動かす機会が減っていることが気がかりだ。

 1時間ほどで雄勝湾の南側の入口にやって来た。海には養殖用のいかだがたくさん並んでいる。津波でいかだはほとんど駄目になったと聞いていたのでだいぶ復活しているようだ。
 南側はあまり津波被害を感じなかった。雄勝は質のよい硯石の産地であることを紹介するボードも残っていた。
 西へ進み湾の奥近くに行くと見渡す限り工事現場だ。湾の最奥に流れ出る小さな川がある。そこに架かる小さな橋から上流を見渡すと何もない。もとの状態がわからないが今は何もない、ただの砂地だ。
 国道は北西へ延びているが、仮設の『おがつ店こ商店街』へ行くために湾をぐるっと回った。

 途中右側に変なプレハブがポツンとあった。『もみじハウス』の表札がかかっている。入口には『無料休憩所』と書いてある。
 中に入ると涙が出るような曲が自動でかかった。『広島の空』という歌のようだ。寄せ書きで埋まった日の丸や震災前後の写真が掲示されている。震災前は道路の両側、特に山側は家がびっしり建っていたのがわかる。涙が出そうな状態でもみじハウスをあとにした。

 雄勝町庁舎にプレハブ2階建ての商店街がある。女川に比べると3分の1ほどの規模だ。11時過ぎだが食堂は繁盛していて、危うく「予約客が来るから」と断られそうになった。予約客が来る前に石巻焼きそばをさっさと食べて外に出た。
 隣はお弁当屋さんだ。こちらも団体客の注文が入っていて繁盛している。その団体客は愛知からバスで来た20~30人ほどのボランティアだ。1泊4日の強行スケジュールで明日のお祭りの準備に来たという。こういう人たちがお金を落とすのも大事な復興支援なのだろう。

つづく

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体力勝負の一人旅 No.342【東北沿岸部を行く】


【3日目・2016年4月29日(3/3)】

 仮設商店街から坂を下って見えてきたのは工事現場。道路工事だろうか。今度は坂を
登って行くと左側に反った屋根が美しい新しい建物がみえた。両手を広げ鶴のポーズし
てさあ行くぞと感じさせる。移転した女川駅だ。移転したと言っても海まで数百メータ
ーしか離れていない。
 駅舎に背を向けると正面に海が見える。まっすぐ海へ通ずる道は歩行者用でレンガが
敷かれ、両側に店舗が並んでいる。
 その先は工事中で通れないが完成すれば海まで出られるようになりそうだ。

 トレーラーハウスを目指して駅を越えて進むと『共同墓地』『献花台』の案内表示が
いくつかあった。急坂を登って再び下ると左の斜面を切り開いて整地工事をしていた。
高台移転地なのだろう。
 下りきったところにトレーラーハウスがあった。トレーラーが20台ぐらい並んでいる
。フロントで話を伺うと、津波で流されてしまった4軒の民宿のオーナーが共同出資で
トレーラーハウスを立ち上げたと言う。
 「ここは津波の後に山を切り開いて造ったんですか。」
 「元からあったんてす。ここも津波がきましてね。この少し山のところに町営住宅が
あったのですがそこもやられました。」
 「あの山を越えてきたんですか。」
 ここへ来るときかなりの斜度の坂を登って下って来たのでそう訊いた。
 「いえ、今は通行止めですけど通られて来た山の左側は海から道が通じていたんです
よ。川があるので遡上して来ちゃったんです。」
 神妙な顔をするしかなかった。利用することでわずかながらの復興貢献になればと思
う。

 1台のトレーラーが2室に分けられている。部屋に入ると装備は普通のビジネスホテル
と変わらない。むしろ広々としていて、ソファーやいくつかの大きな採光窓があり、天
井にはおしゃれなファンライトが設置されている。トレーラーハウスの先入観ががらっ
と変わった。

 まだ16時をちょっと回ったばかりで夕食には早い。何もなさそうだけど周辺散策に出
掛けた。
 すぐ近くにも献花台の案内表示があったので手を合わせに行こう。向かう途中にかな
りの数のプレハブ住宅が建っている。工事関係者の宿舎と思っていたら仮設住宅の看板
がかかっている。
 1軒1軒は狭く、マンションのベランダのような隣との間の目隠しはない。洗濯物は外
からも隣からも丸見えだ。
 5年経ってもまだ多くの人が仮設暮らしだ。なんともいいようがない。ここから見え
る高台の整地作業は続いているものの完成はまだまだ先に感じる。

 宿の周辺は工事エリアと仮設と献花台しかないので夕食を食べに駅前まで移動する。
急坂を登リ降りするから大変だ。
 高台移転する年配の方は歩いて駅や駅のそばの病院に行けるのか心配になった。

 駅前のレンガ通りに飲食店が何軒かある。店が早く閉まるかもしれないと思い17時ち
ょっと前に来たがお目当ての洋食屋は閉まっていた。早すぎたかもしれないので同じレ
ンガ通りにある交流館で津波被害と復興の展示物を観て回った。
 津波がどこから浸入し、どのエリアを飲み込んでいったのかよくわかった。

 17時過ぎに洋食屋に行ったが閉まったままだった。同じ一角にある17時閉店の店がま
だやっていたのでそこで夕食をとることができた。

4月29日(金) 女川
 本日の走行距離 67.17Km
 本日の登坂累計 440m

体力勝負の一人旅 No.341【東北沿岸部を行く】


【3日目・2016年4月29日(2/3)】

 塩竈を離れ、観光客で賑わう松島を通過し仙石線沿いに進む。内陸に入る国道と違っ
て仙石線は海沿いを行く。
 ところどころで津波被害の道路補修工事をしている。そのたびに交互通行や迂回にな
る。旅行者と違って住民はたまらないだろう。

 東名駅と野蒜駅は松島湾の東に位置する。このエリアは線路が流出してしまい、修復
ではなく内陸のほうに新しい線路を敷き駅も移した。
 住民も集団で駅の近くの高台に移転するが生まれ育った環境が変わるのは辛いだろう
。旧駅の近くに津波被害を逃れた新しい家もある。わずかに内陸に建っていたから助か
ったのだろう。
 この家族は集団移転の対象なのだろうか。いままで駅のすぐ近くだったのに新駅まで
はかなりの距離になってしまう。しかも新駅は高台だから歩きや自転車だと大変だ。
 野蒜新駅へ行ってみようとしたが、案内図を見るとまだ直線的に行ける道がなく、山
側に行き過ぎるように相当迂回しなければならいので行くのをやめてしまった。新駅を
前提にした道路は今まさに建設中だ。

 旧野蒜駅の駅舎はコンビニと交流センターが使っていた。ちょうど昼時だったので復
興工事関係者が弁当を買いに来ている。
 交流センターでは津波前後の比較写真が展示されていた。使われていない2階に津波
到達地点の表示がある。想像できない津波のすごさを感じた。

 石巻の中心地に来るとあちこちで道路工事の真っ最中だ。迂回しながら再び海沿いの
道に来た。長い直線で重宝されそうな片側2車線の道路が1車線しか使えない。津波の影
響だろう。5年経っているのにまだこんな状況なのか。

 女川に近づくと通行止めで迂回路に回された。迂回路は入口から急な登リだ。どこへ
連れて行かれるかと思ったが、登リ始めてすぐ左側にプレハブ造りの仮設商店街『きぼ
うのかね商店街』があった。
 高校のグラウンドに設置されている。入って正面に金融機関が何店舗かあり、左側に
商店が並んでいる。元は駅周辺で営業していたらしい。
 肉屋さんで串カツとコロッケを買い、津波の状況を聞いたがまだ津波のすごさにピン
とこなかった。

 15時になったので宿の確保に動く。ビジネスホテルはなく民宿が多いエリアなのでこ
の時間に予約しないと食事の準備が間に合わないとの理由で断られてしまう。
 商店街に観光案内所もあったので宿情報を仕入れよう。
 20キロぐらい先の雄勝かさらに先の北上川を越えた南三陸町の宿情報を尋ねたが、女
川町の宿しか紹介できないと言われてしまった。だが雄勝に宿はない、とも教えてくれ
た。
 40キロぐらい先になるが南三陸町の民宿に何軒か電話してみたがすべて駄目だった。
目と鼻の先の女川で本日終了するのはもったいない。次の大きな町、志津川まで55キロ
。暗くなるけど無理な距離ではない。
 迷いに迷ったが風は強いし安全第一で女川泊に決めた。観光案内所で空いているのは
トレーラーハウスしかないと言われてそこを予約した。こういう宿は初体験だ。どんな
んだろうか、少し不安だ。
 宿探しに時間を使いすぎてしまった。もう16時になる。自転車のところに戻ったら風
で倒れヘルメットは数メートル先まで飛ばされていた。ここに来るまでもときおり向か
い風に苦しんだ。女川泊で正解かもしれない。

つづく

体力勝負の一人旅 No.340【東北沿岸部を行く】

【3日目・2016年4月29日(1/3)】

 昨日泊まったホテルはやはり以前泊まったホテルだった。外を眺めながら食べる食堂
と駐輪場の記憶がよみがえってきた。ただホテル名にピンと来ない。
 「こちらは10年前にもありましたか?」とフロントで訊いてみると、
 「ありましたけどオーナーが代わってそのころは別の名前でした。」と教えてくれた
。たいしたことではないがこれですっきりした。

 今日はまず塩竈港に行ってみよう。塩竈港に『塩竈の地名の由来』の説明板があった
のを記憶している。津波でどうなってしまったのか確認したい。
 そのあとは鹽竈神社。ホテルにあった絵地図っぽい散歩地図の鹽竈神社は長い石段と
うっそうとした木々に囲まれていて興味をそそられた。
 塩竈のあとは松島を通過し、仙石線と平行した海沿いの県道を進み、石巻、女川、雄
勝と津波避難にあったところを回るつもりだ。
 見て回るところが多いので今日のゴールは決めていない。でも80キロ目安とすると雄
勝から6キロ先の北上川河口付近になる。まあ行っての様子にしよう。

 9時30分ごろ宿を出発した。転倒の影響は足首がちょっと腫れている程度で漕ぐのに
問題はなかった。
 昨日からの雨は朝早くにやんだようで路面がところどころ濡れている。今は雲り空だ
。気温が低く風が強いのでとても寒く感じる。薄手のウィンドブレーカーを着ていたが
すぐに厚手のに着替えた。

 塩竈港に行くと震災報道で見たことのあるマリンゲート塩釜とイオンがあった。イオ
ンの屋上で一晩明かした報道はよく記憶している。
 マリンゲート塩釜の入口には津波到達地点を記す表示がある。警備のおじさんによる
と120cmだそうだ。昨日の病院も床上まで来たと言っていた。海から1キロ弱離れていそ
うなのに、120cmの津波が到達するなんて想像できない。

 塩竈由来の説明板が見当たらない。さっきの警備のおじさんに訊くと、「見たとこは
ないけどその辺にあったのなら津波で駄目になったんじゃないの」と答えてくれた。
 そのあとも港周辺の被害状況なども話してくれたので、「ありがとうございました」
とお礼を言うと、「こちらこそ」とお礼を言われてしまった。

 次は鹽竈神社だ。古い建物がところどころ残る鹽竈海道を行くと海から1キロぐらい
のところにある。202段の急な石段の先に本殿があった。休憩なしではとても昇れない

 石段の上はにこんなに平坦な敷地があるのかと思うほど広々としていた。

 さあ、次は縄文土器の展示がある壱番館へ行ってみよう。
 数分で到着したが展示場は休みだった。同じビルの屋上が展望台になっているので行
ってみることにした。
 エレベーターで最上階へ行きうろうろしていると、事務室からおじさんが出てきて屋
上に出る階段を教えてくれた。
 屋上から眺めると海の近さがよくわかる。実感した上でおじさんと津波の話をさせて
まもらった。おじさんは「1階に津波到達のマークがあったでしょ、あそこまできたん
だよ、まあ塩竈はいいほうです。桂島のおかげです。桂島はやられちゃったけどね。」
という。
 松島を数々の島が津波から守ってくれたのは知っているが塩竈もそうだったのか。

つづく

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